1月20日の大統領交代を目前にして、首都ワシントンで起きたトランプ支持者たちの大暴走。しかし、それをあおった張本人は、最後の最後に「日和(ひよ)った」。"トランピズム"はどこへ行く? 『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが解説する!
(この記事は、1月18日発売の『週刊プレイボーイ5号』に掲載されたものです)
■あおったけれど「ガチ」になりきれず
1月6日、米ワシントンD.C.の連邦議会議事堂に数千人ものトランプ支持者が突入し、一時占拠。支持者4名と警官1名が死亡、多数が重軽傷を負いました。この大惨事を受け、トランプ政権の高官は相次いで辞任を表明。想定外の"流血"とともに、4年間続いたトランプ劇場は幕を下ろそうとしています。
支持者が暴徒化した大きな要因はトランプ大統領自身にあります。大統領選挙の投票結果を認定する連邦議会の合同会議に先立って開いた集会で、「決して敗北を認めない」と演説し、熱狂する支持者たちに議事堂への行進を促したわけですから。
不正選挙を訴えた訴訟で全敗したトランプにとって、これは最後の一手にして一世一代のギャンブルでした。とはいえ、さすがに選挙結果を覆せるなどとは思っていなかったでしょう。
それよりも支持者のパワーで議会を妨害することで自身の存在感を見せつけ、ホワイトハウスを去った後も共和党を"トランピズム"の影響下に置くこと、来年の中間選挙や2024年の大統領選でカムバックすることを目指し、その下地づくりとして"最後のショー"をやるという意識だったはずです。
ただ、そんな思惑とは裏腹に、トランプに"偽りのゴール"を提示された支持者たちは「自分たちの力で不正選挙を覆せる」と本気で期待してしまった。それがこの悲劇の最大の原因です。
支持者があれほど乱暴狼藉(ろうぜき)をはたらいたことはトランプも想定外だったでしょうが、とりわけ痛かったのは警官にも犠牲者が出てしまったこと。BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動が盛り上がった際も一貫して警察の側を守ってきた大統領として、暴徒化した支持者たちの行動を非難せざるをえなくなったことは致命的でした。
騒動後にトランプが「暴力を望んでいない」と、はしごを外すような発言をしたことに失望した支持者も少なくないようです。
もっとも、事前にあそこまであおった以上、いくら議会や警察の大多数を敵に回そうとも、最後まで支持者と"心中"する選択肢もあったはずです。例えば、議事堂へ突入して警察に射殺された元空軍兵士の女性支持者について、「彼女は祖国のために戦った」といった"感動的な追悼スピーチ"をトランプがブチ上げれば、コアな支持層の留飲は下げられたでしょう。
しかし、そこまでやった場合、トランプ自身が犯罪行為を扇動した上に擁護までしたということで、刑事訴追される可能性が極めて高くなる。もしかしたら現職のまま逮捕されるというシナリオもあったかもしれません。結局のところ、トランプはそこまで「ガチ」になることができなかったということです。
ナチス・ドイツのヒトラーやリビアのカダフィのような"本物"ならそれもいとわず、刑務所にブチ込まれることすらパフォーマンスとして利用したことでしょう。そして全議員が反トランプになっても、「支持者だけで新政府を立ち上げるんだ」と息巻いたかもしれない。
しかし、トランプはおそらく最後の最後で怖くなってしまった。口では大それたことを言うけれども、本心では愛されていたい、人気者でいたい――そんな感情が強かったのだと思います。彼には達成したい理想があったわけではなく、やはりベースのエンジンとなっていたのは「承認欲求」だったのかもしれません。
■これから始まる"公開処刑"の末路
米メディアではすでに、議事堂に突入した人々のSNSアカウントなどでの言動を子細に分析するような報道がなされています。それに続き、今後はアメリカの分断を白日の下にさらした「トランプ現象」についてもさまざまな検証がなされていくでしょう。
その過程では、トランプ本人はもちろん、トランプを擁護したメディア、トランプの主張を垂れ流したツイッターやフェイスブック、トランプ政権に参加した身内やブレーンを務めた人々......そういった"悪者"があげつらわれ、"公開処刑"のような形になると思います。社会をダメにした悪者は排除しろ、これで世の中は変わる、本当の多様性の時代が来る――と。
しかし、そういったインスタントな幕引きは、問題を解決するわけではなく「見えなくする」だけ。やや感覚的な物言いになってしまいますが、僕は日本でのオウム真理教地下鉄サリン事件の後のメディアの"お祭り騒ぎ"を思い出しています。
当時、多くの人は「自分とまったく違う人たちの狂気」としてオウムを総括し、「彼らがいなくなってよかった」と素直に胸をなで下ろしたことと思います。
ただ、狭い意味での"トランプ的なもの"を排除しても、白人至上主義、Qアノン、不正選挙、そういう物語を信じてしまった民衆の心を生み出した社会構造は残ります。あくまでもトランプは「原因」ではなく「結果」。
その視点が抜け落ちたまま、トランプを信じた差別主義者は頭が悪かっただけだというような考え方が主流派になってしまったら、それこそ危険な流れでしょう。自分と違う考えの人たちを悪魔化するという図式からトランプ現象は生まれたのですから。
日本でも、最後の最後まで"トランプ応援団"だった右派論客が何人もいました。数年前まで立派な保守派と見られていたような人物も、どんどん陰謀論にハマっていきました。そして今、敗走するその論客たちを反対陣営から小ばかにする向きもあります。
月並みな表現になりますが「正義の反対は不正義ではなく、もうひとつの正義」。その原理原則を理解しない限り、社会は前に進むことはありません。ポスト・トランプの時代になるわけではなく、"トランプ以前"の状態に時計の針が戻るだけです。
●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が発売中!