『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、石破茂元防衛大臣との議論から考えさせられたこととは――?

(この記事は、3月7日発売の『週刊プレイボーイ12号』に掲載されたものです)

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本稿締め切り時点ではウクライナ情勢はまったく先が見通せず、予測めいたことをここに残せる状況ではありません。ただ先日(ロシアの本格侵攻より前の話です)、「スカパー!」の番組で自民党の石破(いしば)茂元防衛大臣とじっくり議論させていただく機会があり、その内容が今の状況に対して非常に示唆に富むものだったので、少しご紹介したいと思います。

番組の中で、歴代の日本政府はなぜロシアや中国、北朝鮮などの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な振る舞いに毅然(きぜん)と対応できないのか、石破氏に質問しました。ある国が別の国に狼藉(ろうぜき)を働いても、日本周辺海域に向けてミサイルが発射されても、基本的には非難の先陣を切ることなく、他国の陰に隠れて遺憾の意を表明するだけ。

あるいは、例えばミャンマー政府によるロヒンギャ難民への虐殺行為を「知っている」にもかかわらず、破綻した言い訳を聞き入れてしまう......。大火事を目の前にして「煙が見えますね」としか言わないようなこの体質が、いったいどこから来ているのか知りたかったわけです。

石破氏の議論は囲碁のように碁石をため、時間をかけて本質に行き着くスタイルなので、発言をきちんと"積分"してみれば極めてロジカルなのですが、短時間のメディア出演などではただ禅問答を繰り返している、はぐらかしているなどと批判されがちです。しかし、今回の問いに対し、石破氏はシンプルに「集団的自衛権がないからじゃないですか?」と言いました。

その論理を要約すると以下のようになります。NATO(北大西洋条約機構=つまり相互の集団的自衛権を担保する枠組み) があるヨーロッパと、日米同盟しかない日本には大きな違いがある。いざというときにアメリカしか後ろ盾がおらず、かつ自衛隊の法的位置づけも曖昧であることが、日本政府に確信的な態度を取らせることを阻害している――というのです。

思わず考えさせられました。資本主義経済が成熟した民主国家であっても、自国の安全を保障する意思と論理が確立していない限り、人権も人道も平和についても、理想を掲げることすらできない――確かにそうかもしれません。

無条件の護憲を掲げて安全保障の議論を避けてきた左派も、その左派の姿勢をくさすことに主眼を置いてきた右派も、その意味では長年、共謀関係にあったということなのでしょう。

今年は米リチャード・ニクソン元大統領の電撃訪中からちょうど50年。ニクソンといえば後にウォーターゲート事件で辞任したことからダーティな印象も強いですが、あの訪中で中国とソ連を引き離し、冷戦構造の軸をシフトさせることに成功したことは間違いありません。

「共産主義はすべて敵」といったイデオロギーよりも冷徹に実利を手にした大統領として、中露の接近が危険視される今、その功績が米メディアであらためて見直されています。

中露両国と国境を接する日本には、安全保障の議論を棚上げにして「見て見ぬ振り」をし続ける余裕はもはやありません。どうすれば安全や平和を守れるのか。考えられるすべてのオプションをテーブルに乗せて、国会でもメディアでも、ハードな議論がなされるべきだと強く感じています。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。昨年はNHK大河ドラマ『青天を衝け』、TBS系日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』への出演でも話題に!

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