『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、「説明」や「議論」がない日本社会について指摘する。

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5月下旬に防衛費の大幅増額、訪日客の新規受け入れ再開を相次いで打ち出した岸田政権。これは安全保障、インバウンド経済、コロナ対策という重要なテーマに関する決定ですが、私が知る限り、国会やメディアで議論が盛り上がったわけではなく、政府や与党が説明を尽くしたわけでもなく、「しれっと発表された」という感想は否めません。

ただ、これは決して珍しいことでもありません。日本という国の政府は課題に対処する際、説明を十分にしないまま「現実路線」を取ることが多い。個々の対応はそれなりにリーズナブル(=ありえる選択肢のうちのひとつ)なのだけれども、開かれた議論を通じてあらかじめ落としどころやコンセンサスが明示されることは極めて少ないのです。

例えば原発を含めたエネルギー問題も、沖縄の基地移転問題も、なし崩し的に決まってきた(もしくは現状維持が続けられてきた)印象があります。

これは政府の問題というより、日本社会の気質に起因しているのかもしれません。「原発再稼働のリスクと、再稼働しないままの未来図の比較」とか、「処理水を海に流すことの科学的・社会的影響の検証」とか、「インバウンド復活のプラス影響と、感染対策を緩めることのマイナス影響の精査」といった議論が、広く国民に求められる空気はありません。

むしろ"最悪のシナリオ"を俎上(そじょう)に載せて過剰に騒ぎ立てる人が影響力を持ってしまう傾向があるため、永田町や霞が関はなるべく議論をすっ飛ばして「しれっとやる」クセがついているようにも感じられます。

例えば現在なら、安全保障を取り巻く状況は明らかに激変しています。日本が非武装化した上に「愛国心のパラメーター」をいったんゼロにするという第2次世界大戦後の"手打ち"も、1970年代以降の台湾に対するあいまいさと中国共産党に対する許容も、東アジアの秩序形成のために必要だったと思いますが、もはや当時とは状況が変わっていることも認めざるをえないでしょう。

にもかかわらず、「対症療法で切り抜けていくことのメリットとリスク」や、「70年前の制度設計の欠陥」が真剣に議論されていないのです。

国家や社会にとっての"全体最適"な解決策と向き合うことで不都合が生じたり、不快な思いをしたりする人には、なるべく気づかれないようにやっていく――それは戦後の日本が選んだ"成長戦略"だったのかもしれません。

しかし、これだけ世界が流動化し、また日本社会の制度設計が各所で耐用年数を超えている状況下では、議論を避けてうやむやに、緩慢に動き続けるのはかなり危ういことではないでしょうか。

今は日本に限らず、多くの国が厳しい選択に直面しています。例えばアメリカでは銃規制と中絶禁止の是非が社会を二分し、ドイツではエネルギー政策と安全保障政策をどう転換するかが国民的イシューとなっています。

こういった問題に立ち向かうときに、結論の正しさが大事なのか、それとも議論というプロセスが大事なのかは意見が分かれるところかもしれません。

しかし私としては、個別の施策や制度という「点」のみをいじり続け、世論形成という「面」を軽視する日本のやり方に対して、「本当にそれでいいんですか?」とどうしても思ってしまうのです。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。昨年はNHK大河ドラマ『青天を衝け』、TBS系日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』への出演でも話題に!

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