『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、参院選が盛り上がらない理由について語る。

(この記事は6月20日発売の『週刊プレイボーイ27号』に掲載されたものです)

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本号発売の直後には参議院選挙が公示されますが、普段にも増して盛り上がりを感じません。コロナが落ち着いてきたからだとか、野党に元気がないからだとか、いろいろな事象が絡み合ってのことなのでしょうが、私の中には、日本社会において"大きな物語"が求心力を失っているのではないかという仮説があります。

その理由のひとつは、やはりロシアのウクライナ侵攻という冷酷な現実を目の当たりにしたことでしょう。

以前から指摘されていた中国の台湾侵攻の可能性もより具体的にイメージされるようになり、防衛費の大幅増を「まあ、そうなるよね」と受け止める人、あるいは「日本は平和憲法の特別な国」といったイデオロギー優先の"大きな物語"に違和感を覚える人は明らかに増えた。

その是非はともかく、この流れは憲法改正問題や沖縄の米軍基地問題に波及していく可能性もあります。

原発についても同様です。資源大国ロシアの暴挙によって世界のエネルギー事情は激変しました。そんななかでも原発再稼働を検討することさえなく、綱渡りの電力供給を続けることへの疑問の声は、少しずつ、しかし明らかに大きくなっていると感じます。

もしこの夏、電力危機を理由にどこかの原発でなし崩し的に再稼働が始まっても、「原発は人類が生んだ悪である」という"大きな物語"が10年前のように広がったり、当時ほどの大規模なデモが起きたりしそうな雰囲気はありません。

また、右派の"物語"も消失しつつあります。象徴的だったのが東京五輪に対する冷めた反応です。コロナ禍での開催だったという事情を差し引いても、20年前のサッカーW杯の頃と比べて「日本はすごい」「感動をありがとう」などと共鳴する人は減りました。

五輪の記録映画も動員に苦戦しているようですが、ナショナリズムで自分たちの生活が豊かになることなどないと多くの人が気づいているのかもしれません。

こうした潮流を好意的に解釈すれば、旧来の価値観が徐々に退場し、現実をシビアに見る世代が増え、日本にもリアリズムが誕生しつつあるとの見方もできるでしょう。保守vs革新という"大きな物語"を前提とするパラダイムが機能不全に陥っているのは明らかなので、現実的な視点が増えることは歓迎できます。

しかし一方で、多くの社会的イシューに対して「憤るより慣れろ」と現状を追認するムードが定着しつつあるとすれば、それはリアリズムというより、「"大きな物語"にリソースを割く余裕すらなくなった」という解釈も成り立ちます。

SNSに飛び交う声を見ても、現役世代の人々には、日々の生活で直面している格差や不平等、上の世代に対する不公平感が充満しているように思えてなりません。そして、そういった根源的なニーズを政治に託すほどの期待感すらなくなってしまったのだとすれば、事態は相当に深刻です。

だからこそ今、日本の政治家には外交的リアリズムだけでなく、「不公平を解消するための現実的な議論」が求められているように思います。

高齢者の票がどうとか、支持母体がどうとか、いろいろと都合はあるのでしょうが、それによって選挙が「無風」になっているのだとすれば、それは本末転倒も甚だしいのではないでしょうか。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。昨年はNHK大河ドラマ『青天を衝け』、TBS系日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』への出演でも話題に!

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