今後何をやっていきたいのかを語る徳島市長の内藤氏今後何をやっていきたいのかを語る徳島市長の内藤氏

「投開票日の約2ヵ月前に立候補を決めた」「それまで政治経験はなかった」内藤佐和子(ないとう・さわこ)氏はなぜ、徳島市長になろうと思ったのか? そして、今後何をやっていきたいのか? その本音を聞いてみた!

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■市長に政治経験は必ずしも必要ではない

無投票で決まるかと思われていた2020年の徳島市長選挙。そこに突如、立候補し、全国で最年少の女性市長(当時36歳)となった内藤佐和子氏。彼女はなぜ市長になろうと思ったのか? 市長になって何をしようとしているのか? その本音を聞いた。

――なぜ、市長になろうと思ったんですか?

内藤 市長になろうと思ったというより「この街を良くしたい」という思いが根底にあるんです。

私は、社会的弱者の人たちや困っている人を助けたいという思いから弁護士を目指していたんですが、東京大学法学部に入学した直後に、難病である多発性硬化症(中枢神経の病気)だということがわかりました。

そして、一度は絶望したんですけれど、家の中に引きこもっていても、外でバーベキューをして楽しんでいても、時間は同じように過ぎていく。悩んでいても楽しんでいても一緒なら、楽しんだもの勝ちだと考えたんですよ(笑)。

それで、学生記者をやったり、ベンチャー企業を始めたり、ビジネスコンテストに参加したりしていました。そして、私がそうやって東京で楽しい生活を送っていると、徳島で同窓会があるというので帰省したんです。そうしたら、街がすごく寂れているのを感じました。

高校生の頃は商店街にゲームセンターがあったのに、帰省したときにはなくなっていたんです。「同窓会の後に友達とプリクラを撮ろう」と思っていたのに撮れなかった。

「若いコが自転車で行ける距離に遊べる場所がなくなると徳島市から若者がいなくなる。なんとかしなきゃ」と考えたんですが、単純に「徳島市を盛り上げよう」と声を上げるだけでは何も変わらない。

その当時、私の周りには東大、早稲田、慶應などいろんな大学の学生がいて、彼らは卒業すると官僚になったり大企業に就職したりする。10年後、20年後には影響力を持つ人もいるだろうし、彼らや地元で活動している人たちと一緒に何かを始めれば、地方の現状をわかってもらえるし、徳島を継続的に盛り上げられると思ったんです。

そこで、学生たちと徳島の中小企業、NPOの方たちが一緒になって徳島活性化コンテストを開催しました。

――どんなアイデアが出たんですか?

内藤 徳島には「たらいうどん」という郷土料理があるんですが、顧客が高齢化していて、いかに若い人に来てもらえるかが課題でした。

そこで、たらいうどんを出すお店のそばに縁結びや恋愛の神様である愛染明王(あいぜんみょうおう)が祀(まつ)られているお寺があることに目をつけました。そして、うどんの中に「運命の赤い糸」に見立てたピンクの麺を1本入れて、それをハート形にして提供するというアイデアを考えたんです。

それだけじゃなくて、ピンクのかわいい箸袋も作って、その箸袋を結んでお寺に持っていき、愛染明王の前に置いてあるたらいに入れると恋愛が成就します、というストーリーもつけました。そうしたら、観光協会の協力もあって実現したんです。

2020年の徳島市長選挙に36歳0ヵ月で当選し、「徳島初の女性市長」「最年少女性市長」となった内藤氏。それまで政治経験はなかったが、市長に政治経験は必ずしも必要ないという2020年の徳島市長選挙に36歳0ヵ月で当選し、「徳島初の女性市長」「最年少女性市長」となった内藤氏。それまで政治経験はなかったが、市長に政治経験は必ずしも必要ないという

――行動派なんですね。

内藤 そうですね(笑)。私は中高一貫校に通っていたんですけど、体育祭などの行事に力を入れない学校でした。当時は文化祭も生徒会もなかったんです。でも、どうしても模擬店をやりたくて、署名を集めたら先生からめっちゃ怒られました(笑)。

中高生の頃から、どうすればいい学校や社会になるのか考えて実行する。38歳になった今も思いは変わらず、「徳島を良くしたい」という思いだけで市長になったんです。

――でも、市長選に出ようという直接のきっかけはあったんじゃないですか?

内藤 直接のきっかけは、徳島市と県の軋轢(あつれき)です。徳島市はこの30年ほど、音楽・芸術ホール建設の計画がありました。場所の変更や再開発計画の頓挫(とんざ)など紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、市内の県有地と市有地を含む土地に建てることになったんですが、市長選前にはまったく進んでいませんでした。

前市長は県との間で土地使用の整理がつくまで、事業者の選定を待つよう議会から付帯決議を出されていたにもかかわらず、県との協議が整わないまま事業者を選定し、さらに県の登記となっている県有地は市の土地だと主張し始めたことで、計画が暗礁に乗り上げました。「いい大人がいったい何をしているんだ」と思ったんです。

加えて、徳島市長選初の無投票選挙になる公算が強かった。選挙の投開票日は、20年4月5日だったんですけど、1月9日に「私、出ます」って言って、2月11日に事務所開きをしたので、実際の活動は2ヵ月くらいです。

30年間動かなかった新ホール建設が進む。イラストは完成予想図30年間動かなかった新ホール建設が進む。イラストは完成予想図

――というか、普通は無投票になるからといって、「じゃあ、私、出ます」とならないですよね。

内藤 だって、誰も出ないんですよ。この現状を変えたいと思う人が誰も出ないなら、自分が出るしかなくないですか?

――でも、それまで政治経験とかなかったわけですよね?

内藤 政治経験はありませんが、大学卒業後、地元の徳島に帰ってきてからこの10年間、観光、まちづくり、男女共同参画など、市や県の多くの重要課題の審議会に審議委員として出ていました。だから、徳島市のさまざまな課題を理解しているという自負はありました。

私は、首長の仕事はさまざまな分野についての意思決定をしていくことだと思っていて、そのためにはジェネラリストである必要があると思っています。だから、自分の支援者の要望や自分の関心テーマについて深掘りする、議員などの政治経験があることが必ずしも首長としての能力にはつながらないと考えています。

また、これだけ変化が激しく、新型コロナウイルスやロシアのウクライナ侵攻など先が読めない時代には、従来の行政経験にのっとってかじ取りをしても、時代に沿ったものになるかはわからないですよね。

これまでは前例踏襲でよかったかもしれませんが、今後は加速度的に技術が発達していくでしょうし、時代の転換期にあると私は考えています。すると、今までの経験が逆に邪魔になるかもしれない。

個人的には、これからの市長は新しいことにチャレンジしていける人、予期せぬ事態にもスピード感を持って対応できる人が求められるのではないか、と思います。例えば、スタートアップの経営者のような考え方ができる人が必要ではないでしょうか。

■若い人も楽しめる阿波おどりを目指す!

――徳島市長になって、まだ2年しかたっていませんが、何か改革できたことってありますか?

内藤 長年解決できていない問題の整理とともに、職員の挑戦するマインドを醸成しつつ、資金獲得にも邁進(まいしん)しています。

例えば、先ほどの新ホールの問題では建設する場所が確定していなかったのですが、就任半年で場所の面積を広げ、県と市が協力して県立ホールとして建てるということを提案しました。

そして、新たに策定した「徳島市中心市街地活性化基本計画」に位置づけ、内閣総理大臣から認定を受けて、国からの補助金をもらえるようにしました。

また、百貨店の「そごう」が撤退した徳島駅前ビルには、金融機関と共に、徳島市も20億円を融資してリニューアルをしながら、駅中心のまちづくりを進めています。

どうして行政経験のない私が、このようにスピード感をもって推進できるのかというと、そのプロジェクトを推進するためにさまざまな人の知恵を借りながら、職員と共に県と共働しつつ、議会にも諮(はか)りながら進めているからです。

ステークホルダー(利害関係者)に説明しながら進めるから、30年間進んでいなかった事業も動き出す。当たり前のことだと思われるかもしれませんが、これがなかなか難しかったのが今までの徳島ともいえます。

――なるほど。じゃあ、今後やりたい改革とかあります?

内藤 阿波おどりは、運営している徳島市観光協会が大赤字だということで、週刊誌やワイドショーをにぎわしたことがあります。ただ、その赤字というのは40年間で約4億3000万円です。1年だと約1000万円。

例えば、桟敷(さじき)席の新設といった開催経費や、雨天のときの払い戻し金など、どうしてもお金がかかる部分はあります。一方で、収益になる人気席のチケットや広告の売り上げなどは、徳島新聞が持っていく。それでは赤字になりますよ。

資産はあったのに、阿波おどりの一会計だけを見て前市長は観光協会を破産に追い込みましたが、県庁所在地で観光協会がない市はありません。現在、実行委員会が中心となってやっている阿波おどりも、事業として採算がとれない部分は行政が支援した上で、黒字にしていきたいと思っています。

具体的には、今は桟敷席で見る人は年配の人が多く、私たちの世代(30~40代)でも「阿波おどりを見たい」という人は減ってきました。だから、若い人も楽しめるようなものに変えていかないといけません。

例えば人気ユーチューバーなど若い人に影響力のある人、団体、会社などとコラボしながら、伝統は大切にしつつも、新しくて面白いものにしなければと思っています。

2020年、21年と中止や規模縮小になった阿波おどりだが、今年は無事開催2020年、21年と中止や規模縮小になった阿波おどりだが、今年は無事開催

――あと、残り任期2年でできますか?

内藤 あと2年ではできないかもしれませんが、その基礎はつくっておきたい。徳島を稼げる街にしなければいけないですし、地方都市全体がもっと頑張らないといけないとも思います。

――徳島市の問題は、地方都市全体の問題でもあると?

内藤 日本全体の問題でもあると思います。今、新型コロナで社会が閉塞(へいそく)感を感じていたり、円安や物価の高騰、ウクライナ問題などで、自分たちの暮らしがどうなるか不安になっている。

そうしたマクロな視点を持ちつつ、徳島市では何ができるのか。そして、徳島市がやったことで全国に広げられるものがあれば、広げていくということもやりたいと思っています。

――全国に広げられそうなものってありますか?

内藤 女性の政治家が少ないので、女性視点の問題にはあまりスポットが当たらないですよね。

例えば、21年末に18歳以下の子供を持つ世帯に対して、ひとり10万円を給付する政策がありました。しかし、離婚されたタイミングによっては、子供を育てていない父親側にお金が振り込まれるという状況が発生していたんです。

子育てをしている母親は、その給付金を受け取りたいですよね。私のフェイスブックにも同様の書き込みがありました。だから、徳島市は本来届けなければいけない、離婚して給付金が振り込まれなかった母親側に、独自に10万円の給付金を渡すことにしたんです。

これって、徳島市だけの問題じゃないですよね。それで、ひとり親の支援団体さんなどと一緒に緊急声明を出したり、国会議員さんに働きかけをしたら、その後、徳島のやり方を参考にして国も動いてくれたんです。

2020年4月1日に保育所などの空きを待つ待機児童ゼロを達成2020年4月1日に保育所などの空きを待つ待機児童ゼロを達成

――すごいですね。じゃあ、地方から日本を変えられると思いますか?

内藤 逆に、地方からしか日本は変えられないと思っています。

各自治体によって状況は違うので、それぞれが知恵を絞って考える。そして、全体として取り入れるべきものは取り入れていく、というほうが今の時代に合っていると思います。

明石市(兵庫県)の子育て支援の取り組みはマネしたいけど、財源を捻出できない自治体も多いと思います。子育て政策などは国がいいものを拾い上げてくれると、日本の子供たち全体に行き渡るのでいいと思います。一方で、政策はトレードオフなので、何をやり何をやめるのかを決める必要もあります。

――ところで、なんで『週刊プレイボーイ』の取材を受けようと思ったんですか?

内藤 『週刊プレイボーイ』のような媒体だと、日頃、政治に関心がない人にも届くんじゃないかなと思ったからです。

――でも、批判されるとか考えなかったんですか?

内藤 取材を受けるだけで批判されますかね?(笑)。ただ、何か新しいことをやろうとしたり、何かを変えようとすると批判は出てきますよね。全員が賛同してくれることはありませんから。

――内藤さんは、リコール運動があったり、不信任決議案を2回も出されたり、批判されることも多いようですが、なんでそんなに強いんですか?

内藤 主要なアンチの人は内藤佐和子を市長から降ろすこと、批判することが目的化している気がします。接戦であった選挙を引きずっている。もちろん、政策についての建設的な批判は聞く必要がありますが、誹謗中傷や事実でないことに基づいた批判には、毅然(きぜん)とした対応が必要だと思っています。

私は徳島や日本をいい方向に進めたいと思っているので、訳のわからない批判や誹謗中傷はどうでもいいんですよ(笑)。

ただ、できるだけわかっていただけるように、これからさらに情報発信を強化していこうとは思っています。

――ありがとうございました。

●内藤佐和子(ないとう・さわこ) 
1984年3月28日生まれ。徳島県徳島市出身。2009年、大学在学中に、まちづくりグループ「徳島活性化委員会」を結成し代表に就任。2010年、東京大学法学部卒業後、徳島に帰郷し、まちづくり活動を行なう。2020年、徳島市長に就任。2021年、在日米国大使館などから「勇気ある女性賞」を受賞。同年、内閣府「男女共同参画会議」の議員に就任。著書に『難病東大生』(サンマーク出版)がある 

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