原爆傷害調査委員会(ABCC)に勤めるアメリカ人医師の父を持ち、アメリカ国籍を持つ日米ハーフとして少年時代を広島で過ごした国際ジャーナリストの モーリー・ロバートソン氏。
各国首脳が広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れ、その模様が世界へ発信されたG7広島サミットの「成果」と、広島の未来について考察します。
* * *
現職のアメリカ大統領が各国の首脳と連帯して原爆資料館に滞在し、被爆者の言葉に耳を傾けて対話をし、芳名帳に平和への誓いを記した――。
人類史上初の被爆地・広島で開催されたG7サミットは、人類にとって決して小さくない一歩になったのではないでしょうか。アメリカ国籍を持ちながら、少年時代の長い時間を広島で過ごした人間としてそう感じています。
今回発出された共同文書「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」に対し、日本国内からは「核保有国の行動を正当化している」といった批判もあります。しかし強調せざるをえないのは、現在の国際社会では東西冷戦末期以来、最も核の脅威、存在感が増しているという事実です。
ロシアのプーチン大統領はウクライナやNATOに〝核の脅し〟をかけ、米ロ間の新戦略兵器削減条約の履行も一方的に停止した。東アジアを見ても、中国は2035年までに約1500発の核弾頭を保有するとされ、北朝鮮も戦術核兵器の大量生産や新たな大陸間弾道ミサイルの開発に意欲を示している。
日本を含む同盟国に対するアメリカの拡大抑止(核の傘)の重要性が高まっているこの局面で、G7の首脳が無邪気に「今すぐ核をなくそう」と手をつなぎ合うことは、どう考えても現実的ではありません。
ゼレンスキーに今、和平を求めるのは無責任
被爆者や、被爆の実態を知る方々の多くが核兵器を憎み、戦争を絶対悪であると感じるのは自然なことです。その声を伝えることも重要でしょう。
しかし「報道」を掲げたメディアの記者が、まるで〝被爆者・被爆地を代表している〟かのような語り口で、現在進行形で侵略を受けているウクライナのゼレンスキー大統領に「広島に来て和平の話をしないことには違和感がある」などと、まるでウクライナ側にも戦争継続の責任があるかのような質問をしたことについては、厳しく批判的にならざるをえません。
そもそもの話をすれば、2014年にロシアがクリミアとウクライナ東部ドンバス地方を不法に占拠した後、ドイツのメルケル首相(当時)が対ロ経済制裁の緩和を主張するなど、西側諸国(特にEU)は強い団結を保てませんでした。それによりロシアの行動を国際社会は事実上追認する形となり、ひいては今回の侵攻を招いたという側面も間違いなくあります。
つまり、暴走する独裁国家と「停戦=現状維持」で妥協しようとしても、相手にとっては「もっとやれる」というシグナルにしかならない――これが現在の国際政治や安全保障を議論する上での大前提、いわば一丁目一番地です。
それでも「今すぐすべての武器を捨てよ」と叫ぶ言論の自由も、確かにこの国にはあります。しかし、それは無責任で説得力を持たない。
戦争なき世界、そして核なき世界は、あらゆる手段を用いて獲得した平和の先にあるものであり、辛抱強く時間をかけて目指すしかない。それが民主主義陣営の共通認識であると理解すべきでしょう。
アメリカ社会が原爆投下の歴史と向き合う布石に
それともうひとつ。2016年のオバマ大統領に続いて、バイデン大統領が原爆資料館を訪れ、献花し、黙祷をささげたことの「意味」についてです。
残念ながらアメリカでは、1945年8月の広島・長崎への原爆投下を「民主主義を守るための正義の鉄槌(てっつい)」だったととらえる人が多数です。日本の人々が納得できるかどうかは別として、アメリカにはアメリカなりに、当時はそうやって〝正当化〟しなければならない理由があった。
そのため現在でも、被爆地の被害の実相を知る一般人は多くありません。しかし両大統領は、アメリカが向き合いたくない真実に向き合う姿勢を見せた。
謝罪の言葉がないことに憤る日本人がいることも理解できますが、アメリカの世論やこれまでの経緯を考えれば、かなり踏み込んだ行動であったことは間違いなく、その影響はじわじわと世論にも及んでいく可能性があります。
今回のニュースを見たアメリカ人は、広島の人々の多くが今を生きるアメリカ人を憎んでいるわけではないことを知ったはずです。おそらく広島、そして原爆資料館を訪れるアメリカ人は今後増えるでしょう。
なぜ原爆の使用を決断したのか、そしてなぜ被害の実態を矮小化して伝え、正当化していったのか。そのことに米社会が向き合うための布石が今回打たれたことを、私は評価しています。
日本と広島に問われている「ウクライナへの共感」
戦争の記憶がまだ生々しく残る1960年代に、5歳の私は原爆傷害調査委員会(ABCC、現・放射線影響研究所)に勤務する医師の父と共に〝加害国〟から広島に移り住み、公立小学校でクラスメイトと広島弁を喋りながら少年時代を過ごしました。
その経験も踏まえて言えば、戦後の広島には、何か〝もやのようなもの〟がずっと覆いかぶさっていたように思います。
広島には当然のことながら被爆した方々やその家族・親族・知人が多く、その中で平和教育が行なわれ、毎年8月6日には外から来た活動家も参加する中で怒りの声と鎮魂の祈りが渦巻く。
しかし、そこでうたわれた「平和」は、戦争の傷痕が重すぎるあまり、しばしば内向きになってはいなかったでしょうか。
あるいは、これは広島というより日本の戦後左派全般への問題提起ですが、憲法9条に代表される「日本が争いに関わらないこと」を重視するあまり、紛争や戦争の当事者に共感し手を差し伸べるよりも、ただ「あってはならないもの」として遠くから眺めてきたのではないでしょうか。
これからも日本は、広島は、そうあるべきでしょうか?
人も街も生き続けている今の広島を見て、ウクライナ人は未来に希望を持つでしょう。それと同時に広島、そして日本の人々が戦禍にあえぐウクライナにどれだけ共感できるか問われているとも感じます。
戦争が現実に起きている世界で、正面から戦争に向き合うことこそが、本当の平和、核なき世界の実現に向けた一歩になるはずだからです。
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数