1933年、仙台市生まれ。『トラック野郎』シリーズでも大人気を博した 1933年、仙台市生まれ。『トラック野郎』シリーズでも大人気を博した

映画『仁義なき戦い』シリーズなどで知られる名優、菅原文太がこの世を去った。

最期のメッセージとして菅原が遺した言葉を2回にわたって伝えた記事が週プレNEWSでも大反響http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/08/40282/  http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/16/40645/)。

そこで熱烈なアンコールに応え、その元となった本誌昨年39号(9月17日発売)のラストインタビューを、哀悼の意をこめて全文再掲載する。

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映画『仁義なき戦い』ーー。若い世代の読者も一度は耳にしたこともあるだろう。 数十年にわたり、日本男児の意気を演じ続けた俳優は、しかし80歳を迎える直前にその道から退いてしまった。 「権力による規制」「デジタル的思考の趨勢(すうせい)」ーー彼の決断の理由は数あれど、現在は農の世界に身を置き、真の豊かさを求め叫び続けている。 「いいんだよ、人間は孤独で。それを愛せたもの勝ちなんだ」彼のその言葉を俺たちはどう受け止めればいいのだろう?

■「そんなことはどうでもいい。やめようや」

正直なところ、いわゆる平成元年生まれ周辺の読者たちにとっては、どーでもいいことなのかもしれない。しかし、昭和50年代以前に生まれた男たちにとっては、いまだ納得がいかず、かつて覚えた広島弁で“そりゃダメじゃろ”とグチってばかりいる。

2012年11月、菅原文太は役者業からの引退を発表した。

表向きの理由は、東日本大震災の復興状況が進まない現状を踏まえ「映画を撮っている場合ではない」ということだった。実際に菅原は民間の非営利団体の中心メンバーとして活動し、被災地の復興に力を注いでいる。

また2009年からは住居を山梨に移して耕作放棄地を使い、農業を始めている。今や70年代の日本映画界を代表する銀幕の大スターは農家のおじいちゃんになってしまったのだ。

いや、生まれ故郷の悲惨な状況に黙っていられず、菅原が「映画を撮っている場合ではない」と口にした思いは理解できる。だけれども、農家のおじいちゃんになる必要がどこにあるのか。これが理解できない。というよりも、ギャップが埋められていない。

宮崎駿監督も飽き飽きしたのかもしれんよ

例えば菅原が演じた、あの『仁義なき戦い』シリーズの主人公・広能昌三(ひろのう・しょうぞう)。どんなに時代が移ろうとも、広能昌三は男の憧れ、永遠の心震えるアウトローなのだ。リアルタイムで観ていない世代もDVD作品として復活した広能昌三を食い入るように見つめ、少しでも彼に近づこうと無駄に広島弁を覚えたものだ。

それでなくとも鑑賞後に“俺が広能のオジキの代わりに、相手のタマ、とったるよ”と無意味にいきり立った愛すべきバカ者は数知れず。

当たり前のことだが、広能昌三は菅原が役者としてつくり上げた架空の男であり、ふたりを同一視するのは間違っている。でも、そこまで世代を超えて影響を与え続けている菅原文太が農家のおじいちゃんでいいのか。

もちろん農業は立派なお仕事だとわかっていても、ほかにもっとキャリアを生かすふさわしい場があるじゃろうが、と勝手に思い込んでしまうのはいけないことか。菅原からすれば余計なお世話なのか。

しかも、役者引退会見当時の資料を読みあさっても、先頃刊行された菅原の初の対談集『ほとんど人力』(小学館)を読み込んでも、どこにも納得できるはっきりとした引退の理由が読み取れない。

実は、取材当日もそうだった。役者への未練を問うために、あえて“役を演じるとは、菅原文太にとってどういうことだったのか”と質問すると、腹の底にまで響く低い声で、こう言ったのだ。

「そんなことはどうでもいい。やめようや。演じるなんてものは、ただ演じるということ。それ以上のものでもなきゃ、それ以下のものでもない。結局はそういうな、演じるとか、そういうことに飽きたということかもしれない。

この間、宮崎駿監督が引退会見をしただろ。彼もまあ、年も年だからね、俺と同じように飽き飽きしたっていう部分はあったんじゃないか。疲れもあるだろうし。監督も人間だから、なかなか正直には会見で“飽きたから”とは言えんもんだよ」

土とともに生きる百姓を選んだんだ

普通なら、ここで引き下がる。

老いたとはいえ、あの菅原文太が目をスッと細めて「やめろ」と拒否したのだ。引き下がらないと、えらいことになるかもしれない。

でも、この先、再び名優に会える保証はどこにもない。そう思えば思うほど“引き下がっちゃいけんけぇ。なぜ、引退を決意したのか、その本音を聞き出さなきゃダメじゃけぇ”と自らをなんとか奮い立たせ“ええいっ、いっちゃれ!”と菅原の胸の奥をノックし続けたのである―。

「映画がなんとなく……な。まっ、面白くなくなってきたし。それでまあ、役者を辞めて何をするにしても過去に自分がやったことしかできんだろうと思ってな。今から左官職につけるわけがないんだし。

そういう意味で振り返ってみれば、俺は農家で生まれ育ったからね、土いじりは手伝った経験もあるし、なんとかなるんじゃないか、と。それに百姓はなんといっても第1次産業だろ? 人間の営みを考えた場合、根幹を成す大事な職業じゃないか。だから俺は、土とともに生きる百姓を選んだんだ」

(取材/文・佐々木徹 撮影/熊谷貫)

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