レベル7の大事故から4年半、「アンダーコントロール」とは程遠く、汚染水漏れが多発するなどトラブルが絶えない福島第一原発。
収束現場は過酷を極め、今年に入って4名が死亡している。被曝の危険性を伴うにもかかわらず、給料や危険手当のピンハネも相変わらず日常茶飯事だという。
そんな“残酷現場”の実情を元作業員が告発。今年2月から福島第一原発で下請け企業の作業員として働いたA氏(48歳)だ。
法令で定められた原発作業員の被曝限度は5年で100mSv、1年で最大50mSv(通常作業の場合)だが、A氏は3月の1ヵ月間だけで10mSvほど被曝したという。さらに、「ジャンパー」と呼ばれる、もっと「ヤバい仕事」があるというのだが…。(前編記事→「今年に入って4人死亡! 元イチエフ作業員が告発する残酷体験」)
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原発事故処理作業員を「ジャンパー」と呼ぶことがあるが、ここで言うジャンパーは極めつきの危険作業を請け負う人たちのことだ。A氏が作業内容を明かす。
「一般作業員が入れない高線量の場所に進入し、通路に散乱する汚染瓦礫(がれき)を撤去して作業路を確保する。倒れて動けなくなった偵察ロボットを起こしてくる。超高線量の物質に遮蔽(しゃへい)板をかぶせてくるなど、危険だが誰かがやらないといけない作業の請負人です。
大量に被曝するため、5分、10分といった短時間で終わらせますが、それでも20mSvも被曝することがあります。命をかけた仕事だから給料もその分良く、日当20万円のことも。私たち作業員の日当が1万2千円から2万5千円ぐらいですから、それと比べると極めて高い。でも、すぐ被曝限度に達してしまうので1日やったら終わりです。こんな仕事はまず公表されず、内々で募集されています」
最低賃金で世界一危険な原発収束作業を…
A氏が話を聞いたのも、知り合いの作業員からだった。
「中堅元請け企業の東京エネシスが、このジャンパーの仕事をよく請け負い、その下請けが求人してくると話していました。そこで働いていた人の話では、1日2時間の作業で被曝量は1.2mSv、日当は3万5千円。これなどまだ被曝が少ないほうで、1週間限定で採用された人たちは毎日3mSvの被曝で6日働き、合計18mSvになったら終わり。給料は30万円とのことでした。もっとヤバい作業も入ってくるというから完全に人の使い捨てです」
福島第一原発事故翌年の2012年、作業員の林哲哉氏が除染装置の修理のため、1時間に60mSvという超高線量の場所へ行かされそうになったことがある。採用時に何も聞いていなかったとして、林氏が東京エネシスをはじめとする関連企業を告発し、マスコミが取り上げてニュースになった(参照記事→「福島第一原発作業員が実名告発!」)。それから3年以上が経過しても、依然として危険な作業が残っているのだ。
A氏は3ヵ月の契約期間を終えた後も、原発作業員としての仕事をするために会社を移る。今度の元請会社はゼネコンのS社で、契約を交わしたのはその2次下請け会社だった。
「ここの担当者も横柄で、上から目線で作業員を扱っていました。契約は1ヵ月更新、さらに最大積算被曝量は40mSvも覚悟しておけというのです。しかも、東電が増額した危険手当分は払わないというヒドさです。仕事の内容は原子炉建屋周辺の汚染土をはぎ取り、それをトン袋と呼ばれる土のうのような袋に入れる仕事。
あたりは格納容器ベントをした時にいろんな核物質が飛び散っている危険な場所です。これはえらい会社に来てしまったと思いましたが、今さら契約しないわけにはいかないのでサインしました」
東電は2013年12月発注分から、福島第一原発作業員への危険手当を日額1万円から2万円に引き上げることにした。だが、下請け企業のピンハネによって作業員まで増額分が行きわたっていないといわれている。そしてA氏はそれを目の当たりにすることになる。
実際、1月から働いた東芝の2次下請け企業では、日当は1万5千円だが、高線量手当は日額5千円しかつかなかった。S社のやり方はさらに悪質だ。日額1万8千円の高線量手当を提示して批判の矛先をかわしながら、その分、日当をわずか6千円にと抑えていたのだ。福島県の最低賃金は時給689円。8時間労働で5512円が最低日給となるため、A氏はほぼ最低賃金で世界一危険な原発収束作業をやらされていたことになる。
しかも、ここから日額2500円の寮費と食事代を会社に支払っていた。その寮にしても「床が抜けそうな古い施設で、今年5月に火災事故が起きて死者が出た川崎市の簡易宿泊所と変わらないレベル」だったという。
東電社員による線量計(APD)紛失事件
A氏は原発作業中、マスコミには決して公表されないような事件も目撃している。それが東電社員による線量計(APD)紛失事件だ。
「震災からちょうど4年目の3月11日のことでした。新入りの東電社員が研修か視察で第一原発に来ていて、APDをなくしたんです。担当者が血相を変えて探していましたが、その後どうなったのか。噂によると見つからなかったようです。使用済みの防護服や下着は専用の箱に入れるのですが、その時に胸ポケットからAPDを出すのを忘れ、そのまま廃棄してしまったのではないでしょうか」
放射線管理区域に立ち入る際には、法令で厳しく線量管理が定められている。APDをなくしてしまえば当然その日の被曝記録もなくなり、仮に大量被曝した時など、その量さえ把握ができないのだ。
2012年7月にはAPDに鉛カバーをつけた作業員による被曝隠しが社会問題になっただけに東電もAPDの管理には神経をとがらせている。
「たまに作業員でも紛失することがあります。一度、東芝の下請け作業員がやってしまい、捜索のために作業班の全員が居残りになったことがあります。放射線管理区域内には10時間を超えて立ち入れないため、APDはその時間が来るとアラームが鳴るのですが、結局それで見つかりました。連帯責任ということで全員が夜中まで残らされていましたね」
A氏は7月まで作業員として働き、今は普通の生活に戻っている。世間の一般常識が通用しない世界をイヤというほど見てしまったため、その“リハビリ”期間中だ。
廃炉までの道筋はおよそ40年。それまでには数十万人規模の作業員の力が必要となる。しかし、被曝環境で作業をしているにもかかわらず、彼らは筆者が2012年に作業員として潜入取材していた頃と同じように十分な報酬や補償を受けられず、使い捨てのように扱われている。
今まで何人かの作業員が声を上げ、東電や元請け企業を相手取り、訴訟を起こしているケースもあるが、それでもA氏の声を聞く限り、現場の状況は何も変わっていない。結局、原発作業員は補充が利く消耗品ぐらいにしか見られていないのだ。
これでは事故現場が本当に「アンダーコントロール」されるまでに何十年かかるかわからない…。
(取材・文/桐島 瞬 写真/A氏 桐島 瞬)