名古屋高裁は、現職市長である被告人の証言を一度も求めることなく、詐欺師とその関係者たちの“疑惑の証言”を頼りに逆転有罪判決を言い渡した。
過去にもたびたび“推定無罪”の原則を無視したような判断を下してきた名古屋高裁には、本当に「魔物」が棲んでいるのか? 前編記事に続き、ジャーナリストの江川紹子が迫る。
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まずは事件の経緯を簡単にふり返っておく。
2013年6月に全国最年少市長(当時28歳)として就任した岐阜県美濃加茂市・藤井浩人市長が、その1年後に逮捕された。同市議時代に災害用浄水プラントの導入をめぐり、計30万円の賄賂を受け取ったとする収賄容疑だ。
藤井市長は一貫して疑惑を否定し、現金授受の現場とされる2回の会食に同席していた人物も「金の受け渡しは見ていない」と明言したが、名古屋地検は「賄賂を渡した」という浄水設備販売会社・中林正善社長の証言を頼りに市長を起訴。警察の取り調べでは、取調官から「早く自白しないと、美濃加茂市を焼け野原にする」などの発言があったと藤井市長は語っている。
藤井市長の弁護団は、別件で中林社長が計4億円もの融資詐欺を働いていながら、当初そのうちわずか2100万円分しか起訴されなかったことを指摘。「詐欺の立件を最小限にすることの代わりに、本当は存在しない藤井市長への贈賄供述が引き出されたのではないか」と、検察と中林社長との“ヤミ司法取引”を疑うなど、裁判は全面対決となった。
一昨年3月、名古屋地裁は無罪判決を下したが、検察側は控訴。そして今年11月28日、二審判決が出たのだが……。
■「冤罪の訴え」を黙殺する名古屋高裁
一方で高裁判決は、藤井市長の一審での供述を「記憶のとおり真摯に供述しているのか疑問」と否定的にとらえた。その理由はこうだ。
〈被告人は、中林から現金を受け取ったことはないと明確に否定する一方で、中林が各現金授受があったとする際の状況について、曖昧若しくは不自然と評価されるような供述をしている〉
被告人質問があったのは、現金授受があったとされる時期から1年半後。細かいことを忘れてしまっているのが、そんなに不自然だろうか。
再審無罪が確定している冤罪布川(ふかわ)事件で、犯人とされた杉山卓男(たかお)さんや桜井昌司さんが、事件当日のアリバイを忘れていたことを、裁判官から「なぜ特別な日を忘れるのか」と詰問された場面について、こう語っていたのを思い出す。
「犯人にとっては特別な日だろうが、俺たちにとっては普通の日だった」
藤井市長にその日の詳細な記憶がないのも、現金授受などの特別な出来事がなかったためかもしれない、との考えは、裁判官たちの脳裏には浮かばなかったらしい。
だからだろうか、高裁は職権で中林社長の尋問を行なったのに、藤井市長に対して疑問を問いただすことはしなかった。高裁の審理には、被告人が出廷する義務はないが、藤井市長は毎回出ていた。にもかかわらず、高裁では何も語る機会を与えられないまま、ウソつき扱いされた。
これでは、フェアな対応とは言えないのではないか。
「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という法格言がある。刑事裁判のあるべき姿を示したものだ。だが、今回の名古屋高裁の姿勢は、逆に「十人の無辜を罰するとも、一人の真犯人も逃すなかれ」と見えた。中林社長は贈賄を認めて有罪が確定したのに、収賄に問われた藤井市長は無罪という“ねじれ”を、裁判所としては解消したかったのだろうか…。
名古屋高裁で取り消されている事件の数々
この判決を聞いた後、別のいくつかの事件の顚末(てんまつ)を思い起こした。例えば、東京高裁であった東電OL殺害事件の控訴審判決。あるいは、同じ名古屋高裁での名張(なばり)毒ぶどう酒事件の控訴審判決と再審請求審での決定である。
いずれも本件と同様、一審は無罪で控訴審が有罪となった。地裁の裁判官たちが有罪とするには疑問が残るとしたのに、高裁はその疑問を置き去りにして、捜査段階の調書や証言記録などの書面から、有罪を導き出す部分をつまみ食いして、逆転判決を下したのだ。東電OL事件は無期懲役、名張事件は死刑。それを最高裁も追認した。
東電OL事件は、その後のDNA鑑定が決め手になって再審無罪が確定した。名張事件も一度は再審開始決定が出たが、それがやはり名古屋高裁で覆された。捜査段階の無理な取り調べによる自白(裁判では否認)を重視した決定だった。
名張事件の再審開始を決めた裁判長はまもなく10ヵ月あまり後に退官したが、これを取り消した裁判長はその後、東京高裁に栄転した。奥西勝(おくにし・まさる)死刑囚は最後まで無実を叫びながら、獄死した。
やはり冤罪の可能性が濃厚な福井女子中学生殺害事件でも、一審の福井地裁は無罪判決だったのに、名古屋高裁金沢支部は逆転有罪。後に再審開始決定が出たものの、これまた名古屋高裁で取り消されている。
そういえば、2013年から15年にかけて、全国の高裁では43件の逆転無罪判決が出されているが、名古屋高裁では1件もない。
たまたまだろうし、よもや裁判官が東京高裁という“栄転先”を見ているわけではないだろうが、無実を訴える被告人にとって、名古屋高裁の壁がことのほか厚くて高い印象は否めない。
藤井市長は、即日上告した。昨年1年間に最高裁で終結した裁判で、高裁判決を破棄した刑事事件はゼロ。最高裁の壁はさらに厚くて高い。
それでも藤井市長は、「こんな判決があっていいのかと怒りが込み上げた」とあくまで闘う意向。身の潔白と裁判を抱えながら市長を続ける決意を市民に訴え、信を問うため、辞職して年明けに出直し市長選に臨む。
★この裁判に関する過去記事は『週プレNEWS』でお読みいただけます。
●初公判直前の藤井市長独占インタビュー http://wpb.shueisha.co.jp/2014/09/17/35807/
●検察と詐欺師の癒着を示唆する「手紙」 http://wpb.shueisha.co.jp/2014/10/20/37414/
●主任弁護人・郷原信郎氏と江川氏の対談 http://wpb.shueisha.co.jp/2015/02/02/42754/ http://wpb.shueisha.co.jp/2015/02/03/42908/
●一審の無罪判決の解説 http://wpb.shueisha.co.jp/2015/03/20/45273/
(取材・文/江川紹子)
●江川紹子(えがわ・しょうこ) 早稲田大学政治経済学部卒業。神奈川新聞社会部記者を経てフリージャーナリストに。新宗教、司法・冤罪の問題などに取り組む