宇野常寛という評論家について、近年はTVコメンテーターという印象を持っている人も多いかもしれない。しかし、本来は『ゼロ年代の想像力』や『リトル・ピープルの時代』といった著作に代表されるようにアニメや特撮、ドラマなどの分析から現在の社会を考察するカルチャー系の論客として知られた人物である。
そんな宇野氏が久しぶりに本格的なサブカルチャー評論『母性のディストピア』を上梓した。宮﨑駿、富野由悠季、押井守といった日本のアニメーションを彩ってきた巨匠たちの作品を通じて、戦後日本の課題を批判的にあぶり出した意欲作だ。
「虚構について語ることでしか表せない真実がある」と信じる彼が本書を通じて今の日本に問いかけたかったものとは何か? インタビューで直撃した。
■やり残したふたつの「宿題」
―『母性のディストピア』は宮﨑駿、富野由悠季、押井守というアニメーション作家たちの作家論が中心になっています。なぜ、今のタイミングでこの3人について論じようと?
宇野 『母性のディストピア』は僕にとってふたつの宿題に取り組んだ本なんです。ひとつは個人的な動機です。僕は富野由悠季について書くために物書きになった人間で、一番影響を受けてきました。しかし、その作家としての偉大さがあまり論じられてないという不満を持っていて。いつか本格的に取り上げたいと思っていました。
それから、「母性」というテーマで戦後史を振り返るという構想もずっと持っていました。デビュー作の『ゼロ年代の想像力』には、すでに「肥大する母性のディストピア」という章がありました。戦後のアニメや漫画に中心的に出てくる母権的な排除の論理に注目することで、戦後そのものを論じることができるのではないかというアイデアが10年前からあったんです。
―そのふたつの宿題にようやく取り組むことができたのが今作というわけですね。では、長年のテーマとして批判的に論じてきた「母性」の問題とは?
宇野 ひとことで言えば、「悪しき戦後性」ですね。大人になれない少年が、母性が生み出した箱庭の中で見守られながら「矮小な父」として振る舞う。そんなモチーフが戦後のアニメには何度も登場しています。それがアメリカの影に怯えながら経済発展を遂げてきた日本の姿と重なるのです。
決して本当の「父」にはなれない男たちに「母」がかりそめの楽園を与えることで依存させる。それこそが「母性のディストピア」であり、戦後日本の姿そのものでした。
しかも、そうした構図はインターネットの歪(いびつ)な進化によって強化されました。10年前には悪しき戦後性を内側から緩やかに解体する力だと僕らは信じていたのに、気がつけばTVのワイドショー的なものばかりがもてはやされるようになってしまった。戦後を解体するどころか、戦後的なものを補完するものにネットはなってしまったのです。
―宇野さんはそれを「下からの全体主義」と呼んでいますね。
宇野 情報環境の変化によって人々の価値観は多様になるどころか、ますます画一化されてしまいました。この本は戦後の日本を覆ってきた「母性のディストピア」について論じることで、現在の閉塞感からの突破口を探す試みでもあるのです。
これが大人のドラマだと思いました
■富野由悠季によってアニメオタクに
―しかし、富野由悠季を論じることが目的のひとつであったにも関わらず、どうして宮﨑駿や押井守についてもかなりの分量で取り上げることに?
宇野 富野の小説作品や演出家としての仕事もフォローしようとしたら、さらに5年くらいはかかってしまうというのもありますが、作家論として富野で1冊書くよりも、彼を取り巻いていた状況やライバルたちについても書くほうが大事だと思ったんです。
そうすることで富野が直面していた問題がはっきりするし、戦後史において非常に重要な作家として彼を位置づけることにも繋がります。それだけ富野由悠季という作家は戦後の精神史に及ぼした影響が大きい人物だと僕は考えているんです。
―なぜ富野由悠季がそんなに好きなんでしょうか?
宇野 僕は『SDガンダム』世代で、そこからアニメに興味を持った人間なんですよ。しかも母の友達にアニメオタクのお姉さんがいて、70年代から80年代のアニメブームの頃のビデオをたくさん貸してもらったんです。『パンダコパンダ』や『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー版)、『カリオストロの城』…。
そんな中で小学生男子的に一番刺さったのが『機動戦士ガンダム』の劇場版3部作でした。TVのトレンディドラマよりも富野由悠季の人物描写のほうが生々しくて、これが大人のドラマだと思いました。
中学3年の時には『Vガンダム』もあり、その内容が軽いトラウマになりながらも、休みのたびにTSUTAYAに通ってアニメのビデオを借りまくる日々でしたね。そして高校時代には『新世紀エヴァンゲリオン』で第3次アニメブームになり、「ついにオレの時代が来た!」って思い込んだまま今に至っている(笑)。
僕にとって富野由悠季はアニメオタクになるきっかけを与えてくれた人であり、こうしたものを考えたり書いたりするきっかけを与えてくれた人であり、つまり思春期の文化体験の中心にいた人なんです。
―今となっては、宇野さんがそれだけアニメオタクだったというのを意外に感じる人も多そうですね。
宇野 まあ、『スッキリ』(今年9月末に降板するまで約2年半レギュラー出演)のせいですけどね。一般的には毎週朝に政治家の悪口を言う人だと思われています。でも富野的にいえば、こっちのアニメを論じる仕事がエルメスの本体で、『スッキリ』のようなコメンテーターの仕事はビットを飛ばしていたにすぎないんですよ(笑)。
●後編⇒庵野秀明は『ゴジラ』より『ウルトラマン』を作るべき! 宇野常寛からのメッセージ「あなたはそこから逃げるべきではない」
(取材・文/小山田裕哉 撮影/五十嵐和博)
■宇野常寛(うの・つねひろ) 評論家、批評誌「PLANETS」編集長。1978年生まれ。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)『日本文化の論点』(筑摩書房)など。最新刊『母性のディストピア』(集英社)も話題に。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部非常勤講師、立教大学兼任講師
■『母性のディストピア』(集英社 2,777円+税)