男は世界の果てまで行く。なぜなら、そこに間もなく姿を消す「絶滅危惧兵器」があるから――。もちろん仕込みナシ、やらせナシ、そしてトラブル頻発!
ガチンコすぎる58日間、合計7万5000kmを駆け抜けたフォトジャーナリスト・柿谷哲也氏の魂のリポートを前編に続きお届けする!
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【珍5】F-5Eタイガー
セルビアからトルコ経由で、中東のバーレーンに到着。ここにも絶滅危惧機がある。
1959年初飛行のF-5Eタイガーは、東西冷戦時代にアメリカが、友好関係にある発展途上国向けに軍事援助として提供した戦闘機。バーレーンには12機現存しているが、近く最新鋭の戦闘機F-16ブロック70を導入することが決まっているため、撮影のチャンスは今しかない。
基地の中だと逆光になるので、バーレーン大学に潜り込んで撮影開始。無事にその姿をとらえることができた。
ところで、完全に余談になるが、筆者は撮影前に空港から乗ったタクシーで釣り銭詐欺に遭っていた。
撮影後、店に入ってお茶を飲もうとしたら、店員が「これ、使えないよ」という。なんと、釣り銭をバーレーンディナールではなく、サウジの通貨で渡されていたのだ。約2700円の損失。旅の後半で持ち金が少ないだけに、痛い出費となった。
【珍6】A-37ドラゴンフライ
旅の終わりはブラジル。5年ぶりに開催される中南米多国間演習がターゲットだ。
本当はコロンビア空軍の希少な戦闘機クフィールを撮りたかったのだが、突然の不参加。しかし、ほかにも絶滅寸前の珍兵器はいた。
そのひとつが、COIN機(Counter Insurgency、対暴動機)と呼ばれるウルグアイ空軍とペルー空軍のA-37ドラゴンフライ。麻薬カルテルや反政府ゲリラが跋扈(ばっこ)する南米では、ジャングルに潜む敵を空から目視しつつ叩くために、低速の対地攻撃機が必要なのだ。
A-37は1954年初飛行、総生産616機。ベトナム戦争ではベトコン狩りに活躍したが、現存するのは南米のみだ。
ナタール基地の外から撮影を試みていたところ、「神風」と書かれた鉢巻きをつけたブラジル人が数人集まってくる。
「ヤポン(日本人)か?」
そうだ、と答えると、一気に大騒ぎ。
「俺たちは日本のサポーターだよ。ギリシャ戦は残念だったな!」
実はこの町、2014年のブラジルW杯で日本対ギリシャが行なわれた場所。さすがサッカーが国技の国、一瞬で友達になってしまった。
「5年前の演習で、ここで撮影していたカメラマンが強盗に襲われて機材を盗られた。だけど、俺たちと一緒にいれば大丈夫だから」
ありがとうザックジャパン。ひとりの日本人がブラジルで救われました。
空軍の協力で空撮も実現し、A-37の撮影は無事完了。低速なので、とても撮りやすい機体だった。
【珍7】A-4スカイホーク
もうひとつ登場した絶滅危惧機が、1954年に初飛行し、約3000機生産された空母搭載攻撃機A-4スカイホークだ。ブラジルとアルゼンチンで、計十数機だけが今も現役。今回はアルゼンチン機は不参加だったが、ブラジルのA-4が飛んでくれた。
ただ、演習の最初の4日間のうち、3日間はトラブルで飛べず。この稼働率では、実戦では使えないだろう。ブラジル軍は予算不足で空母を手放したから、そう遠くないうちにA-4も不要になる(アルゼンチンも同じような状況)。今回撮っておいて本当によかった。
【珍8】F-4EJ改ファントム記念塗装版
最後はおまけ。筆者は日本に帰国した数日後、空自・百里基地航空祭に招かれた。同基地の302飛行隊に所属するF-4EJ改ファントムは間もなく退役するため、航空祭のデモ飛行としてはこれがおそらくラストフライトだ。
この日も、ファントムの編隊飛行はタイトで、飛ぶポイントもビシッと決まっていた。やはり空自は世界トップレベルの技術を持っている。
部隊マークのオジロワシが描かれた記念塗装版ファントムの雄姿を、大勢のファンが見守っていた。
●柿谷哲也(かきたに・てつや)
フォトジャーナリスト。1966年生まれ、神奈川県出身。世界各国の陸・海・空軍を幅広く取材し、"絶滅危惧兵器"の撮影にも執念を燃やす。著書に『永遠の翼 F-4ファントム』(撮影、並木書房)、『シン・ゴジラ機密研究読本』(編著、KADOKAWA)、『知られざる潜水艦の秘密』(サイエンス・アイ新書)など