『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、「言論・表現の自由」をめぐる問題について語る。
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このまま日本の言論は"萎縮"し続けることになるのでしょうか。
今年8月、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が脅迫・抗議で中止に追い込まれ、話題となりました。
その後、10月には神奈川県川崎市の「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画の上映が、「抗議電話への対応に追われる」などの理由で中止。さらに11月にも、富山県朝日町で予定されていた作家の講演会が、妨害予告の電話が入ったことで中止となりました。
それぞれイベントの規模感も、政治的主張も、脅迫の度合いも異なりますが、あいちトリエンナーレの一件が「気に入らない言論や表現を電話で中止させる」ことの成功例となってしまったことは間違いありません。
もともと日本社会はクレームや妨害行為に対して非常にもろく、問題が起きそうなものには最初から手を出さない傾向がありますが、今後、言論・表現の分野でこの"自粛方針"はより強まるでしょう。
言論・表現の自由はどこまでも守るべきか。それが危険を伴うものであっても、あるいはそれがヘイトとされるものであっても「自由だ」と言えるのか。この問題は今、世界中の社会に突きつけられています。
アメリカには「ACLU(米自由人権協会)」という、憲法で保障されている言論の自由を守ることを目的としたNGO団体があります。そのACLUが、文字どおりすべての思想の表現・集会の自由を擁護する方針を固めたのは1930年代のこと。
協会内外で賛否両論が激しく戦わされた後、ACLU指導部はナチスなど"憎悪団体"の言論の自由も擁護することを決定し、以来、そのスタンスを貫きとおしてきました。
例えば78年には、ホロコーストから逃げた生存者が多く暮らすイリノイ州の町で、ネオナチ団体がナチスの制服を着てデモ行進をしようと計画しました。全米中がデモをすべきではないと非難するなか、ACLUのリーダーは「言論・表現の自由を守るべき」という態度を崩さず、ネオナチ団体を擁護しました(そのリーダー自身がナチスから逃れたユダヤ人であったにもかかわらず、です)。
しかし、今ではその絶対的なスタンスが揺らぎつつあります。きっかけは2017年、バージニア州シャーロッツビル市での白人至上主義者の大集会。
当時もACLUは市に対して「表現の自由」を理由に集会を許可するよう訴えを起こし、それを受けて市は許可しましたが、その結果、集会で反対活動を行なう人々にクルマが突っ込み、犠牲者が出る事件が起きてしまった。
ACLUは「自分たちの訴えと事件との直接の因果関係はない」と弁明したものの、今後は「どんな理由があっても表現の自由は守るべき」というスタンスを変更する可能性があるといわれています。
では、この問題においてアメリカと日本の最大の違いは何か。それは、「議論」があるかどうかです。多くの場合、日本ではそうした根源的な議論をする前に当事者が萎縮し、"自粛"してしまう。
そうなると、いずれは"炎上上等"のエクストリームな言論・表現だけがより目立っていく社会になることは避けられません。それがいいことか悪いことかは、それこそ言わずもがなでしょう。
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。日テレ系情報番組『スッキリ』の木曜コメンテーター。ほかに『報道ランナー』(関西テレビ)、『水曜日のニュース・ロバートソン』(BSスカパー!)などレギュラー多数。本連載を大幅に加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!