『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、メディアの過激化に警鐘を鳴らす。
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恋愛リアリティ番組に出演していた女子プロレスラー、木村花さんの死が波紋を呼んでいます。リアリティ番組の出演者が極限まで追い込まれてしまうケースは海外でも複数あるようですが、そもそもの問題は、こうした番組が視聴率(視聴数)を稼ぐために、受け手の感情をできる限り揺さぶるように制作される点。それを演出(ヤラセ)と呼ぶかどうかはともかく、制作側にその"意図"が存在することは厳然たる事実です。
ただ、今回指摘しておきたいのは、リアリティ番組というジャンルの功罪より、もっと広い"メディアの過当競争"の厳しい現実です。
今や誰もがメディアを持ち、テキストや写真だけでなく、動画でも簡単に発信できます。こうして参入障壁が著しく低くなり、情報というものにデモクラシーがもたらされた側面も大いにあるでしょう。ですが、実際はそのメリットよりも弊害のほうが少しだけ大きいのではないかと、最近は本気で思っています。
テレビがまだ絶対的な力を誇っていたネット黎明(れいめい)期には、深夜ラジオ的に社会から隔絶されたところで「きわどい」コンテンツを楽しむカルチャーがありました。
僕自身もそのなかで生き、中国の自治区(チベットやウイグル)から自分で見聞きした事実、現地住民の告発をスポンサーに内緒でネットにこっそり流したこともありました。今ならSNSで拡散され大炎上。場合によっては当局に捕まっていたかもしれません。
一方、今や情報発信の門戸が万人に開放された結果、ニュアンスが抜け落ち"8ビット化"した情報があふれた。単純化したメディアが過激化していくのは自明の理です。
かつてポップアーティストのアンディ・ウォーホルは「人は誰でも15分間は世界的な名声を得られるだろう」と語りました。実力がなくても、センセーショナルなことをすれば一瞬は有名になれるという皮肉ですが、一部のYouTuberやブロガーのあり方は、これに非常に近い。
とにかく過激で思慮深さとは無縁の"わかりやすく、遠くに飛びやすいコンテンツ"を作り、PVを稼ぐ――しかもその単純なゲームが、テレビという巨大メディアにまで影響を及ぼしている。
今やネットやSNSでの反応を意識するがあまり、プロのエンターテインメントの制作者の頭の中にまで、炎上とヘイトという「禁じ手」が入り込んでいる(もっと言えば、その手に依存している)ように思えてなりません。
報道も同じです。以前から指摘していますが、新聞もテレビも雑誌も自分たちの"お客さま"が気持ちよくなるコンテンツを提供するだけの存在に堕(お)ちてしまっていないでしょうか。
かつてマスメディアが持っていた中心軸としての役割、あるいは矜持(きょうじ)のようなものはますます失われ、直情的に反応できるコンテンツをつくること以外に生存競争を勝ち抜く術(すべ)を失っていないでしょうか。
鶏が先か卵が先かはともかく、マスメディアの経済的凋落(ちょうらく)と内容の劣化は相互に増幅し合っています。それに伴い社会の分断や憎悪が加速し、野放しの憤りを「つかみ」のあるコンテンツにする人たちが増えていく――このスパイラルを止めるには、どうしたらいいのか? そのことを真剣に考える時期に来ているかもしれません。
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『水曜日のニュース・ロバートソン』(BSスカパー!)、『Morley Robertson Show』(Block.FM)などレギュラー出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!