『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、今求められる「脱バイナリー」な思考について語る。
※この記事は3月8日発売の『週刊プレイボーイ12号』に掲載されたものです。
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東日本大震災から10年がたちます。社会的・政治的な言論の分野におけるこの10年間を振り返るなら、キーワードは「バイナリー(binary)」になるでしょうか。ここでいうバイナリーとは0か1か、YESかNOかといった「二者択一」のような意味です。
福島第一原発事故の後、反原発を叫んだ左派の主張は極めてバイナリーでした。そこには「原発の恩恵を受けてきた自分たち」や、「中国など経済発展中の国における原発推進をどう考えるか」や、「温暖化防止の観点からは原発推進という選択肢もある」といった、YESかNOかではくくりづらい話題に関する議論や柔軟性が不足していました。
ただ、一方ではそれをせせら笑っていた右派陣営も、次第にバイナリーな思考を露呈していきました。反日(売国)か愛国か、安倍政権を支持するかしないか......。
SNSを重視し、イデオロギーベース、あるいはファンベースで自身の立ち位置を規定するような論陣の張り方をする論客は、構造上どうしても主張がバイナリーに寄っていきます。〇〇に賛成か反対か。〇〇は正しいか、間違っているか。
簡単に答えが出ない複雑な課題でも、常に「二択」の表明を迫るような圧力がかかるからです。そしてそういった主張を支持する"情報の受け手側"もまた、バイナリーな思考にどんどん侵されていきます。
新型コロナ禍においても、この傾向はあるように感じます。例えば、緊急事態宣言が延長されるか、されないかといった政府からのメッセージだけに自分の行動基準のすべてをゆだねている人々が実はかなり多いこともそのひとつでしょう。
なぜ行動変容が求められているのか。緊急事態宣言の背後にどんな政治的思惑があるのか。そんな想像力を駆使しながら、「〇〇かもしれないし、□□かもしれない」「だから△△くらいにしておこう」といった"バイナリーではない判断"をその都度、自分で下していくことは面倒かもしれません。
しかし、多くの人が自分の頭で考えることを放棄すれば、「命か経済か」といった本質的ではないバイナリーな方向に議論が寄っていき、簡単に答えを提示してくれる陰謀論が広がる土壌にもなってしまいます(事実、日本でも一部の右派陣営にQアノンが浸透していきました)。
そうした理由もあって、僕は数年前から以前にも増して(たとえ露悪的なジョークであっても)バイナリーな物言いを避けるようになりました。それは一見すると「左派にも右派にも叩かれる」「優柔不断な」立ち位置のように思われるかもしれませんが、長い目で見ればこの自制心こそが自分を"いい人"に見せるという大きな浮力となってくれたように感じています。
その結果、今は10年前と同じことを言っても、より広くリーチできている実感がありますし、まさかペリー役で大河ドラマに出るなんて10年前には想像すらしていませんでした。
年末にはきっと、ペリーのコスプレをして『紅白』に行き、アイドルグループのバックでDJをしていることでしょう。――さて、これは本気でしょうか、それとも冗談でしょうか? そういうことを考えてみるところから「脱バイナリー」は始まるのかもしれませんよ。
●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中。