『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、東京五輪関係者の炎上が示す日本社会の変化について語る。
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東京五輪に関連する森喜朗(よしろう)さんや佐々木宏さんの炎上劇は、日本社会のさまざまな変化を象徴していたと思いますが、そのひとつは「"ボスの分配型社会"の終焉(しゅうえん)」かもしれません。
顔見知りが集まるJOC(日本オリンピック委員会)評議員会の席で「女性が多い会議は長い」と揶揄(やゆ)したり、身内のLINEグループに女性タレントを侮蔑するようなネタを投稿したりするのは、単に彼らが時代遅れのボスだからではなく、そこに「後ろめたさの共有」という構造があったのではないかと思います。
オリンピックという巨大イベントをめぐっては、例えば「アスリートの夢でもあるし、スポーツ振興や強化に多くの資金を投じることも可能になる」という全面肯定から、「今の形はアスリートを犠牲にして金儲けしているだけだ」という全面否定まで、さまざまな意見のグラデーションがありますよね。
しかし、日本では大手メディアがこの巨大イベントの"当事者"になってしまっているため、フラットな議論が公の場で広く呼びかけられることがない。そのようなある意味でフェアではない環境下で、森さんや佐々木さんは特権的な地位にいたわけです。
彼らが「偉い人にあるまじき下世話な本音を言う」というポーズを見せることで、そこにはある種の同質感や仲間意識、もっと言えば「共犯関係」が(無意識にせよ)生まれていたのではないか。
昭和の時代、一部の男性社会に存在した「上司も部下もみんなで風俗に行く」ようなノリに近いかもしれませんが、そうやってボスが気安さを見せることで、ひとつのムラ社会が出来上がっていくという構図です。
ただ、特権的な地位にいる人が、理不尽に抑えつけられた女性やフリーランサーやアーティストを小馬鹿にするようなことは、昔からゴマンとあったでしょう。しかし、今回はそれに対する反論や怒りがネットで広がってしまった。これは、世の中のあらゆるところで相当多くの人が似たような目に遭っていることの表れでもあると思います。
また、かつてはボスが全方位になんらかの見返り(忠誠への見返りもあれば、不公平を我慢することへの見返りもあると思いますが)を分配できていましたが、もはやさまざまな理由からそれがおぼつかない時代になり、ボスがボスらしく振る舞えば振る舞うほど我慢だけを強いられる人々が増えたこともあるでしょう。
半径10m以内の人を取り込み、「悪いようにはしないから」と分け前を配っていく"昭和自民党イズム"がもはや成り立たない時代になったということです(森さんはまさにそのイズムを体現していた人物だったのではないかと推測します)。
ただ、日本社会全体を見渡すと、現段階でもまだ「なんらかの形で不当に守られたシステム」に生かされている人がかなりの割合に上ると思います(まったく自覚がない人も多いでしょう)。
森さんの事件を受けて「年寄りはもうダメだ、排除しろ」と怒っている人のなかにも、実は自分自身が"権力の下駄"を履かせてもらっていたというケースが相当数あるはずです。
......だんだん後味の悪い話になってきましたが、社会の風通しをよくするというのはこういう議論から始まります。受け止める勇気はありますか?
●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。NHK大河ドラマ『青天を衝け』にマシュー・ペリー役で出演し大きな話題に。