『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが日本人の当事者意識の欠如について語る。
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2018年にブラジル国立博物館で、2000万点を超える所蔵物の約9割が焼失してしまう火災が発生しました。その背景には、2016年のリオ五輪開催に伴う無理なインフラ投資で国家財政が逼迫(ひっぱく)し、科学予算が大幅に削られ、かねて必要性が指摘されていた博物館の消防設備(スプリンクラーなど)にも資金が投入されなかったという事情があったようです。
このような「ある行動を選択しなかったために生じたコスト」を経済学の用語で"機会損失(opportunity loss)"というそうですが、どうも日本の社会は、さまざまな問題に関して"機会損失"に対する意識が薄いように感じます。格差問題にしろ、環境問題にしろ、本当は明らかに自分たちも輪の中にいる世界的なイシューなのに、当事者意識を持たず、議論にも非常に消極的です。
例えばアメリカの場合、いまならバーニー・サンダースやAOC(アレクサンドリア・オカシオ=コルテス)のように変化の必要性を強く主張する政治家がいて、その反対側にはティーパーティ、キリスト教原理主義、そしてトランプ派がいる。殺伐とはするし、しばしば詭弁(きべん)も横行するけれども、常に議論があります。
また、選挙結果次第で本当に社会の雰囲気やシステムが変わるので、「当事者として生きていないと社会から知らないうちに振り落とされる」という危機意識もあるでしょう。
翻って日本の場合、若い世代に本当の意味での当事者意識が共有されたことはあるでしょうか? かつての学生運動は、文化人や思想家に焚(た)きつけられ群集心理に火がついた部分が大きいでしょうし、近年の反原発デモもそのリバイバルという側面が色濃かった。
そういった一過性の運動ではなく、政治や経済の仕組みが自分の日常の延長線上にあるという意識――やや乱暴に言い換えれば、「自分は社会のこの場所にいる」という位置づけができていないように感じられるのです。
それでも高度成長期やバブル崩壊前の時代は、大人たちも悪意を持って若者を消費したり、搾取したりはしなかったかもしれません。しかし、いま世界中を覆うイシューに先送りは通用しません。政治家も、資本主義の勝者も、自らの利益を優先する。
一見あなたと無関係に見えても、目の前の利益を優先するあまり環境や人権をおろそかにし、結果的にあなたの未来からさまざまなものを搾取している人々はたくさんいます。
かといって、投票行動で自民党を大きく変えられる気はしないし、今の野党に政権を任せる気もない――そんな人も多いでしょう。しかし、"半径1mの行動変容"にも大きな意味があります。
これは架空の一例ですが、「途上国で産業廃棄物を捨てる企業は気持ち悪い」と多くの若者がSNSで発信し続ければ、社会にある種のムードができますよね。メディアが注目し、企業は透明な発信を求められ、投資家もそこを見るようになり、最終的には環境関連の法律や規制につながっていきます。
リアルな変化を起こしたいのであれば、娯楽のような一過性のデモや運動、あるいはネット上の「悪者」を匿名で攻撃するという麻薬に頼るのではなく、自分のライフスタイルや消費行動で社会を少しずつ動かしていくしかない。それが自分を守ることにもつながるのです。
●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。NHK大河ドラマ『青天を衝け』にマシュー・ペリー役で出演し大きな話題に。