『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、現代における、社会に変化を促すことの勧めについて語る。
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社会に変化を起こすためには、まずは自分が変わるべきだ。最近、このコラムで繰り返しそう述べています。これは「どうせ社会はすぐには変わらない」という単なる諦念(ていねん)からではありません。むしろ、日本でも少しずつ変化を促せるような世の中になってきていると感じる部分もあるからこそです。
ひと昔前の時代、多くの若者は大人の支配に不平不満を言い、大人がつくった価値観に中指を立てつつも、時が過ぎれば襟を正して社会の一員となっていきました。そこには「どうせ世の中は変わらない」という諦念だけでなく、大人の一員として長いものに巻かれることの見返りがそれなりにあったからです。
そうした「後ろめたさ」のようなものを多くの人が共有していたからこそ、尾崎豊さんの歌が広く支持されたのでしょう。そして気づけば自分が若者に人生訓を垂れる大人になり、過去を振り返りつつ、あのときは若かったなと笑うのです。
しかし、現代はまったく環境が違います。中流階級は崩壊し、保守本流の共犯者になって後ろめたさを感じることすら難しい。そんな時代の若者にとって、今の社会をそのまま受け入れることは、ただ壊れていくシステムの維持のために貴重な時間を捧(ささ)げるということ。端的に言えば、変化に対するインセンティブが昔とは全然違うのです。
また、かつて多くの人が得ていた「見返り」=保守本流の既得権が、どんな犠牲の下で成り立っていたかという"種明かし"も進んでいます。男尊女卑、開発途上国の人権無視、環境破壊......。そういったことの影響もあって、大人の社会を防衛していた鉄壁はもはや腐食し、突破しやすくなっているように感じます。
例えば、プロテニスプレーヤーの大坂なおみさんのような言動は、以前の日本なら生意気だ、ワガママだ、と断罪されていた可能性が高いでしょう。もちろん今も頭ごなしに否定する人がいないわけではありませんが、それよりも理解を示す人、あるいは議論の材料としてフラットに受け取る人が思いのほか多かったという印象です。
それは大坂なおみさんが世界的な超一流アスリートだからだ、変化をもたらしうるのは特別な人だけだ――そんな議論も成り立つかもしれませんが、前述のとおり僕の肌感覚では、「変えよう」と叫んだところで何も変わらなかった頃とは大きく違う時代になりつつあると見ています。
とはいえ、もちろん思い切って変化を促すことは年齢問わずリスクを伴います。卑近な例で恐縮ですが、僕がテレビ番組のスタジオでタイミングも雰囲気も関係なく、本当に100パーセント言いたいことばかり言っていたら、"怖くて使えない人"としてお払い箱になるだけでしょう。
どこまでなら本音を言えるのか、どういう言い方なら広く受け入れてもらえるのか、ユーモアを交えたほうがいいのかどうか。そういったことは常に考えます。ただ、その「ライン」がジリジリと動いていることも確かに感じています。
結論。魂を売っても大したものがもらえるわけではないなら、正しいと思うことは言ってみたほうがいい。意外と話が通じることも多いのではないでしょうか――と、多少の希望も込めて。
●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。NHK大河ドラマ『青天を衝け』にマシュー・ペリー役で出演し大きな話題に。