『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、日英の対照的なコロナ対策について指摘する。

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ワクチン接種の進行により一度は新型コロナの感染がピークアウトしたと思われていたイギリスで、感染が再拡大し、10月21日には一日の新規感染者数が5万人を超えました。

振り返れば、英ボリス・ジョンソン政権は昨年のパンデミック初期段階で、感染拡大を無理に止めない「集団免疫戦略」を採ったものの大失敗。しかしその後、国産ワクチンの開発、大規模かつスピーディな接種の進行で巻き返し、今年7月には飲食店の屋内座席数や集会・イベントの参加人数の制限を撤廃するなど「日常」を取り戻していました。

医師や専門家らはマスク着用や在宅ワークなどの感染対策を再度適用するよう求めていますが、ジョンソン首相は規制の強化に否定的で、「リスクとベネフィット、双方を見て個々人が判断してください」といったニュアンスの言動を繰り返しています。

マスクをしたくない人、ワクチンを打ちたくない人の権利も尊重する。それで感染が増え、医療が逼迫(ひっぱく)しても、その責任は「自由」を選んだイギリス国民にある――はっきり言えばそういうことでしょう。

これはまさに"お国柄"というところですが、興味深いのは、同じく「自由」を重視しているように見えるフランスでは対策の方向性が全然違うこと。

マクロン政権は強い反発を受けても、"ワクチンパスポート"や陰性証明書をカフェや百貨店の利用条件とする対策を導入しています。共に社会を形成する一員として、やるべきことをやっておかないと自由は保証されない、というのがフランス流のコロナ対策です。

一方、イギリス国民はいかなる理由でも、個人の自由が抑圧されることに対する耐性が低い。だからこそジョンソン首相も、少々のリスクには目をつぶってでも「自由を奪わないこと」に力点を置かざるをえない。これは国民に対するおもねりの結果、とも言えるわけです。

現時点ではワクチンの効果もあり、重傷者や死者数は最悪の時期に比べると抑えられているものの、感染者数が増えれば当然高まる変異株発生のリスクなどは、イギリス国民が選んだ「自由」の代償として受け止めるほかありません。

しかし、これは関係のない第三国からすればたまったものではない。特に公衆衛生が整っていない、あるいはワクチン接種が進んでいない国からすれば、イギリスの国民性に命を脅かされる......ということにもなりかねません。

ともあれ、あらゆる政治的判断は国民の"気持ち"に左右される。コロナ対策にはそれが象徴的に表れています。日本社会はとにかくリスクを嫌い、目の前のリスクをゼロに近づけるためならさまざまなコスト負担もいとわない。個人の自由や権利よりも、社会全体の秩序が重視される。その点ではイギリスと真逆です。

この「リスク耐性はまったくないが、抑圧耐性は極めて強い」という特性こそが、飲食店など特定の人々に負担が集中する上に補償も不十分な"抑圧型のコロナ対策"に対してデモも起きず、多くの国民がなんだかんだでそれに従った理由かもしれません。

その奇妙な"成功体験"の存在が、今後のコロナ対策、あるいは別の政治的判断にどんな影響を与えるのか(そしてそれがいい影響なのか、悪い影響なのか)は、まだわかりませんが――。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。NHK大河ドラマ『青天を衝け」に続き、TBS系日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』への出演が話題に!

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