配信ビジネスで世界各国のマーケットに進出しているNetflixやディズニーが、はっきりと「多様性」を打ち出す以上、日本のアニメや関連作品もその流れと無関係ではいられない。今の時代に必要な「折り合いのつけ方」とは?

『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが語る。

■表現の自由は確かに大事だが......

現在、Netflixで公開されている『カウボーイビバップ』実写版が、20世紀末に日本で初放映されたオリジナルアニメ作品の世界観との違いや、多様性に配慮したと思われるキャラ・設定の解釈の違いなどの点を中心に、原作ファンから厳しい評価を下されているようです。

例えば、アニメではボーイッシュな女性だったキャラが、実写版ではノンバイナリーに"設定変更"されていることについて、原作ファンが違和感を覚えるのは確かに自然なことかもしれません。

先に白状しますが、僕はNetflix版を見たものの、原作アニメはきちんと見ていませんし、「いかに原作の世界観に忠実か」といった議論に首を突っ込むつもりはありません。むしろそういった議論と、実写版制作チームがキャラを変更した背景、そこに込めた意図との間にズレがあるように感じるのです。

これは単に"ポリコレ"が厳しくなったという話ではなく、今や日本発のアニメを見て育った、世界中のさまざまな文化圏で暮らす多様なクリエイターたちが、作品の"再構築"に携わる年齢になっています。

その結果として、純粋無垢(むく)に原作を愛する日本の漫画・アニメファンにとっては、違和感を覚えるようなケースが今後も増えていくだろうということです。

海外の価値観で原作をゆがめられるのは勘弁してほしいという意見もわかりますが、現実問題として日本の作品(特に少し前の時代のもの)には、今の欧米リベラルの基準では「そのまま出せない」表現や、「引っかかってしまう」設定が多いのも事実です。

例えば"児童ポルノ的"な表現について、日本は世界基準に比べて異様にユルいということは、多くの方が薄々気づいているでしょう。表現の自由は確かに大事です。しかし、それだけを盾にして、例えば「未成年みたいに見えるけどアンドロイドだから問題ない」とか、そういった本質的ではない議論でけむに巻き続けるのはおそらく難しくなるだろうと思います。

「人種」の描き方もそうです。これは日本発の問題というより、過去のハリウッド作品などからの"無自覚・無批判な輸入"だと思いますが、黒人のキャラをあまりにもステレオタイプに描いた漫画・アニメ作品は枚挙にいとまがありません。

最近、米カンザスシティのローカルメディアに、ある黒人アニメクリエーターのインタビューが掲載されました。彼が育った黒人コミュニティでは、マッチョなものがよしとされる風潮が強かったものの、彼自身は少年時代からアニメが大好きだった。

ただ、自分が愛してやまない日本のアニメには、潜在的な人種差別があったことも事実だと彼はいいます。『カウボーイビバップ』のオリジナル版にしても、黒人のカルチャーであるジャズとヒップホップの要素がちりばめられているのに、それでもステレオタイプな描き方が残っていたと。

自分がアニメクリエーターになったのは、そうした偏見を大好きなアニメの世界からなくしたかったからだ――そう語る彼は今、黒人を主人公にしたオリジナルのアメコミ作品を創作しているそうです。

■"再構築"イコール原作への冒涜、ではない

一方で、日本のアニメ作品が海を渡った先で、その国や地域のファンに「勝手に解釈される」こともあります。

『VOGUE JAPAN』のインタビューで、『セーラームーン』が心の支えだったと語っているのは、ベルリン国際映画祭で、LGBTQをテーマにした作品に贈られる「テディ賞」で長編映画賞などを受賞したドイツの映画監督ファラズ・シャリアット氏。

イランからの移民2世でクィア(Queer)という、出自も性的にもマイノリティとして育ったシャリアット氏は、セーラームーンについてこう答えています。

〈特に変身のシーンは好きでたまりません。普段は泣き虫で大食いのヒロインが、魔法を使って世界を救う存在になる。大胆不敵な魔法少女は、愛をもって平等のために戦っていく。でも彼女がそういう存在だということは、両親はもちろん誰にも知られてはいけない。そこに自分の姿を見たんです〉

セーラームーンのオリジナル作品の制作過程に、フェアネスやフェミニズムに関するメッセージを反映させようという強い意図があったかどうかは疑問です。

しかし、このケースだけでなく、海外ではフェミニスト的な作品だと評価されることもある。作品が広がれば広がるほど、設定や表現について厳しい批判にさらされたり、あるいは逆に、原作が本来狙っていた以上の解釈をされたりすることも増えていくのでしょう。

しかも、配信ビジネスで世界を席巻するNetflixやディズニーは、「作品に多様性を反映すること」「演者もスタッフも多様であること」にはっきりと重きを置いており、欧米リベラルの最新の議論にも敏感です。

こうした背景から、例えばNetflixのアニメ『陰謀論のオシゴト(原題:Inside job)』のように、現在進行形の政治や社会の問題の知識を前提として笑いを生むような、ハイコンテクストな作品も成立する状況にあります。

そういったマーケットに打って出る以上、日本のアニメも社会的な議論と無縁ではいられません。当然、これから制作される作品にはそういった知見や配慮が求められますし、過去作品の実写版やリメイク、スピンオフの制作に際し、今の時代を反映した"再構築"が行なわれるケースも増えるでしょう。

もちろん作品の楽しみ方は人それぞれですが、原作の世界観だけがすべてであるという原理主義的な姿勢より、そういうものとして楽しむほうが、これからの時代に合っていると個人的には思います。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。NHK大河ドラマ『青天を衝け』に続き、TBS系日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』への出演でも話題に!

★『モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画』は毎週月曜日更新!★