『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが社会の分断を生む"バイナリー思考"について語る。

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個人的な話になりますが、イギリスにミュージシャンの友人がいます。日本で10年以上暮らし、数年前に母国に帰国したのですが、ここ数ヵ月、かなりハードコアな"反ワクチン"関連のリンクを立て続けに送ってくるようになっています。

2021年はあらゆることを「正義か悪か」「黒か白か」などと二分する"バイナリー思考"が、世界中でよりハバを利かせた一年だったように思います。これは経済格差の拡大やコロナ禍による分断の進行などで説明できる部分もありますが、それ以前に、人間の脳にバイナリーな判定を心地よく感じる"中枢"があるように思えてなりません。

欧米では陰謀論と極右政治の"セット売り"が進み、反ワクチンも含むさまざまな"亜種"を生みました。例えば、個人主義と結びついてイデオロギー化した「マスクをしない自由」。そこに多くの人が流れ込んだのは、欧米社会にかなりの教育格差が定着してしまった結果、科学リテラシーが著しく低い層が拡大したこととも無関係ではないように思います。

そして、それぞれの社会の弱みに寄生するポピュリズム政治にとって、バイナリー思考を「兵器化」できるSNSはこれ以上ない拡散ツールとなっています。

近年、欧米の知識層やメディアは、Qアノンや極右に振り切れた人々が「戻ってこられる」よう、陰謀論を「中和する」ような発信を努めて強化していますが、丁寧で質の高い記事や論考も、読んでほしい層に読まれないというジレンマは解消できていません。教養、あるいは思考能力の格差をブリッジできていないわけです。

一方、日本では理数系や読み書きの基本リテラシーの平均値はかなり高水準です。それもあってか、トンデモな主張が社会全体のコロナ対策をゆがめるような事態は起きていません(マスクにしろワクチンにしろ、「右へ倣え」な国民性も大きいですが)。

しかしながら、コロナ禍でこれだけ「想定外」が連続してもなお、日本社会のディベート能力や、変化を受け入れる精神構造はまったくといっていいほど育ちませんでした。

そんな立ち往生状態の日本では、海外から多様性やフェミニズムの波が押し寄せるに従い、反マイノリティや反フェミニズム、反弱者といった「これまでのやり方を否定する何か」に対する反発心も強まっています。

欧米では多くの場合、議論や制度上の試行錯誤を経て価値観が劇的に変化し、新しい環境になじむ人となじまない人が激しく分断される過程でバイナリー思考が表面化するのですが、日本では議論をしないまま、なんとなくの好き・嫌いで分断が生まれている印象です。

本来なら価値観の新陳代謝を推し進める立場にある日本の野党、リベラル知識層、メディアはそもそもこの流れを把握できていません。

昭和のテンプレート思考を引きずったまま、多くのトピックは「間違い探し」や紋切り型の「いつもの結論」に落とし込むだけで、格差や人権についても国境を超えた問題提起(台湾有事の際は難民を受け入れよう、など)は少なく、自分たちの手を汚す努力が見えません。

さて、また新たな年がやって来ます。このバイナリーな分断で"ひまつぶし"を続けるのはもったいないなと心から思います。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。NHK大河ドラマ『青天を衝け』に続き、TBS系日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』への出演でも話題に!

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