あの震災から11年の歳月を経た今、その記憶を語り継ぐ物語として評価を高めている小説が連作短編集『花盛りの椅子』(2月4日刊)だ。家具職人見習いの女性が傷ついた古家具たちに秘められた過去を再生させ、新たな息吹を与える――。
今回、著者の清水裕貴さんとやはり東日本大震災後に人々が繋がる物語として支持を得た『想像ラジオ』でも知られる作家・いとうせいこう氏が作品を通じて共感、語り継ぐ役割としての創作について前編記事に続き、対談していただいた。
――いとうさんは『想像ラジオ』以降も東北の街や人々との関わりを続けられて、昨年には被災後の今を生きる当事者たちの声を集めた『福島モノローグ』として一冊にまとめ、世に送り出しました。
いとう きっかけとしては、『想像ラジオ』の時にインタビューとか一切断っていて、刊行して1年後くらいに東北学院大学でのディスカッションに誘われたので、これは行かなきゃだめだと出席したんです。
そこで得るものは大きくて、数年後に文庫が出た時も書店を回ったんですが、その時に平積みされて机に置かれた自分の本の上に電波塔みたいなタワーが作られてるのを見て、「あ、これはもう僕の語りを増幅させる電波塔じゃなくて、たくさんの人の語りを聞くためのタワーじゃなきゃいけない」って、直感的にまた感じたんですよね。これからは徹底的に聞くことで何か返したいなっていう。
そこからもう居ても立ってもいられず、すでに知り合いになってる人も多いし、人の話を聞きに行って、それを東京新聞に「どうにかやらせてくれ」ってねじ込んで『話を聞きに、福島へ』って、連載にまずなるわけですけど。
清水 『福島モノローグ』は読みました。最初の、牛の牧畜されている方の話からすごい衝撃的で......。
いとう ほんと、すごいんだよね。ただ、当初は新聞だとどうしても自分を登場させなきゃいけない、僕の言葉も責任として出てきちゃうんですね。だから、その連載が終わって、すぐに今度は『文藝』に話を持って行って、これをもっと先鋭化させた自分の全く出てこないモノローグで本にしたいってことでね。清水さんが読んでくれたのは、そのモノローグのほうです。
今も続きを『東北モノローグ』ってタイトルに拡大して『文藝』でもやってるし、河北新報って東北の骨のある地方紙でも同タイトルで別の内容を掲載してもらってますけど、次々と対象を変えて話を聞くっていうのがすごく精神的にやりがいがありますね。
元々、自分が出るのって実はほんとは好きじゃないので(苦笑)。司会でも音楽やるんでも、もっと適任がいればやってもらいたい。僕は考えるコンセプトが好きなだけでね。
――それも求められる役割というか、繋ぐ媒介として何が自分にできるのかという。
いとう そうですね。一番肝心の「ここは譲れないんだよな」って細かいところで、自分がやったほうが手っ取り早いとかいう問題もありますけど。
清水 でもほんと、ここまで細かく語られることは他のメディアでもなかなかないだろうし。恐ろしい事実も初めて知りました。すごく怖いし、悲しいんだけど、この人は"超"力強いですね。
いとう 今もまだまだ彼女たちは自分たちの問題として戦い続けてるんだよね。連絡は取り続けているので、ある程度は把握してるんですが、その人たちにこれからもずっと聞き続けて、僕も書き続けていいんだなって思ってて。まだまだ無限に話があるから、やっぱり誰かがそれを書き留めておかないと。
その人の代わりになれるかわからないけど、少なくとも僕を通せば、迷惑が掛からない形で悔しいこととか残せるものはあるのかなと、居ても立ってもいられない気持ちで聞きに行くんです。
清水 当然、本人や周りの人間としては本来出されたくない、隠すべきようなこともあるけど、聞き語りや文学として作品になって残せる出来事もありますよね。
いとう 当然あるよね。今回の『花盛りの椅子』でも、より強く死者が訴えかけてくるとか。短編連作集だから少しずつ違うんだけど、怪談度が高まってきたりもして。僕はその変化がすごい面白いなと思ったんです。表題作の椅子でも、最終的に植物が再生されるひとつの象徴として使われていたりね。
清水 実際、椅子は何も喋ってないんですけど、次の話からは主人公の鴻池さんが声を聴いたり、鏡の中に人を見たり......私がマンガ好きなのもあって、主人公にパワーアップしてほしい願望ですかね(笑)。
家具から過去を知るバリエーションに毎回変化も欲しかったし。あとはやっぱり再生ということでいうと、当人たちには悲しいことかもしれないけど、少し見方を変えたら美しいものとして感じられる、その美しさを取り入れたかった。
――そこに怪談ともいえる幽玄な魅力やファンタジックに惹かれるものがあります。
清水 災害を語るのにファンタジックな要素は必ずしも必要ではないと思いますが......『想像ラジオ』もファンタジーだなと感じる点はあるし、それこそ震災後に被災地のあちこちで怪談が増えましたよね。『福島モノローグ』にも出てくる「怪談コンテスト」なんかをやってたりもして。
いとう 僕も応援して関わっている荒蝦夷(あらえみし)って仙台の出版社が主催で、山形在住の怪談作家、黒木あるじさんが中心になってね。
清水 私も荒蝦夷の「怪談コンテスト」大好きだったんですけど、明らかに怪談が多かったですよね。いとうさんが先ほど仰ってたタクシーでの話もですし、私も夜に写真を撮ってて、まだたくさん土地に漂っている気配みたいなものは感じました。
いとう 結局、見つかってない人が多すぎるのもあるけど、そこまで不思議なほど怪談が発生したのは東北という土地柄なのかどうか。『遠野物語』みたいな世界がやっぱりあるしなって、つい思っちゃうけどね。
清水 私が30代半ばで小説を書き始めたのは、大学時代にお世話になった人が次々死んじゃって、寂しくなったのが動機だったりして。物語の中だと、登場人物が生きているから寂しくない。そこに自分の会いたい人を投影すると、二重に楽しく生きられるツールなんですよね。
いとう そうだよね。そこでまた他人には不思議であって当人には不思議でない話が現実を侵してくるというか、科学だなんだってところを平気で上回るものがあって、それは小説家が別の形で拾っていくべき問題だろうし。「もう敵(かな)いません」って言ってるのも悔しいし、無視してるのも失礼みたいな。
そういう物語の磁場が生まれて、死者と生者の交流がどうしても出てくるから、これって一体なんだろう?っていう根源的な疑問になるんだろうね。
――やはり、そこで記憶を受け継ぐ役割としての創作を自覚せざるを得ない?
清水 体験とかを寄せ集めて、次に継承していく仕事であるべきとは思っています。
いとう 僕はほんとに死にかけたというか、完全に死んだはずなのにってエピソードがあって。今、こうしているのが儲(もう)けもんって感じで、一回終止符打っちゃってるの。自分がもうおばけ気分なんだよね(笑)。
自分のことを押し出す気持ちもどうだってよくなったというか、楽な感じでいるんで。だから、歴史の風化とよく言われるけど、少なくとも実際に体験したことがまだ風化していない人間がそこにいるなら、その言葉を運ばないわけにはいかないし、自分ができる仕事がそれだろうなって。もしすべて世代が変わってしまったとしても、それはますます小説家の倫理的な出番なんだし。
清水 この小説の鴻池さんも、いわば祖母の死で自分も抜け殻のようになった空白の時期が長いので。ちょっと、おばけ的になったのかもしれないなと。
いとう そういう死に甲斐っていうか、死んでる甲斐だね(笑)。それでうっかり、ただ偶然に自分がやっぱり生きてるんだとわかる出来事があると楽しいし、世界が平和になります。小説家はそういう偶然を書くべきなんだよね。
清水 ただ朽ちていくとか、忘れていくだけではなくて、それこそ植物や微生物たちが人間の知らないところで何か違う形で表現してくれてるのもあるだろうから。それを芸術家の目として見守っていきたいと思います。
――自らがその受け手として、媒介するような感覚でしょうか。
いとう そうそう、媒介する人がいないとね。どんな無意味であれ、伝わる機能が人間に備わっていることを示すのが自分たちの役割だろうしね。
清水 それくらいしか社会に貢献できるものがほぼないので。やっていければと。
――おふたりの今後の素敵な"おばけ"仕事、楽しみにしております!
●清水裕貴(しみず・ゆき)
1984年、千葉県生まれ。2007年、武蔵野美術大学映像学科卒業。2016年に三木淳賞受賞。18年には「手さぐりの呼吸」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞し、翌年に改題した連作短編集『ここは夜の水のほとり』(新潮社)刊行。写真家、グラフィックデザイナーとしての表現も精力的に行なっている
●いとうせいこう
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家・クリエイターとしてマルチな分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ植物生活』で第 15回講談社エッセイ賞、『想像ラジオ』で第 35回野間文芸新人賞を受賞。ノンフィクションに『「国境なき医師団」を見に行く』など