『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、英王室と日本の皇室について語る。
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9月8日に亡くなった英エリザベス女王は70年の在位中、伝統と威厳を保ちながらも国民に寄り添い、親しみのある「開かれた王室」を進化させてきました。例えば、2012年のロンドン五輪開会式ではあのジェームズ・ボンドと映像で共演し、ヘリから飛び降りる演出で世界中にノリのよさを知らしめました。
今年6月の在位70年記念コンサートで流されたムービーでは、女王はバッキンガム宮殿で「くまのパディントン」とお茶をし、QUEENの楽曲『We Will Rock You』に合わせてスプーンでティーカップやソーサーを叩くチャーミングな演技を披露。これは本物の女王(クイーン)がQUEENの曲とコラボしたというだけの"ネタ"ではありません。
フレディ・マーキュリーが考案したQUEENというバンド名には、ゲイ文化のドラァグクイーンを思わせるニュアンスも含まれています。社会の多様性が進んだ2022年に、在位70年の女王がそのニュアンスに軽やかに乗ったということが理解できれば、英王室の「開かれっぷり」をより深く実感できるのではないかと思います。
その「開かれっぷり」には副作用もあります。王室批判は市民の権利として広く認められ、時にはスキャンダル報道にもさらされます。
それでも、伝統と開放の"カクテル"の強さがあるからこそ、王室の存在自体を批判する声も含めたあらゆる意見が広く報じられ、民主主義とは何か、君主制とは何かという議論が何周も行なわれてきている。その上で今回、女王を追悼するムードが自然と生まれているのは、成熟した社会であることの証左だと私は感じます。
一方、日本の皇室が置かれている状況を考えると、週刊誌のゴシップ報道は散見されますが、メディアや公の場で議論の対象になることはほとんどありません。現行の皇室制度が社会のジェンダー平等の進展を阻んでいる可能性とか、皇后や皇太子妃は外国人でもアリなのかとか、議論としては十分に成り立つはずの論点も、なかなか取り上げられませんよね。
「皇室の話はヤバいからやめておこう」というような空気が確かにあります(右翼が怖いとか、いろいろと理由はあるのでしょうが)。やや単純な物言いになりますが、このことは「面倒を避ける日本社会」を象徴しているようにも思えます。
30年ほど前、日本に留学していたアメリカ人の知人が持ちネタにしていた笑い話があります。「日本のマクドナルドではハンバーガーの『レタス抜き』や『チーズ抜き』すらできない。日本人はマニュアルどおりに動く機械なのか?」。
念のため申し上げれば、これは個々の日本人を批判しているわけではありません。マニュアルや規則から外れることへの忌避感、本当はやってみれば大したことがないことにも手を出すことがはばかられるような雰囲気について言っているのです。
その後、この雰囲気は緩和されるどころか、近年になってむしろ強まっているようにも思えます。そこには日本経済の停滞や労働者の疲弊といった別の要因もあるのでしょうが、マニュアルや基本の先にいかに「幅」を持たせるか、個々人がいかにインプロビゼーション(即興)の意識を持てる社会にするかといった視点も、今後の日本には必要になってくるのではないでしょうか。
●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)ほかメディア出演多数。富山県氷見市「きときと魚大使」。昨年はNHK大河ドラマ『青天を衝け』にも出演