『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、AI(人工知能)を全知全能の神のように絶賛する最近の風潮に対して問題提起する。

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ChatGPTをはじめとする言語モデルなどの進化が注目されるにつれ、「人間もAIのように振る舞うことがベストである」という風潮が広がりつつある――そんな実感を持っています。

世界の複雑性を強調するよりも「最適解」をスパッと提示することが求められ、人間の価値も「ロジカル」で「コスパがいい人」かどうかで判断される。そういうものを極限まで追い求め、仮想通貨に依存したシリコンバレーの銀行が大混乱に陥ったことを見れば、「世の中そんなに単純じゃないよね」という話になりそうなものですが......。

その雰囲気が最もダイレクトに反映されるのは、弱者の救済に対する考え方でしょう。近年、先進国では中産階級が没落し、多くの人々は"なんだか苦しい生活"を送るようになっている。一方で、富を独占している一部のスーパーリッチによる慈善活動には称賛の声が集まります(SNSで"お金配り"をして「いいね」を集めた人もいます)。

もちろん基本的に、慈善活動はどんな動機であっても行なわれたほうがいいものです。しかし、冷徹に効率を追い求め巨万の富を得たスーパーリッチには往々にして、一部に富が集中する構造そのものを問題視する視点や、その結果として弱者側に追いやられた人々への思いやりの視点が欠落している。

にもかかわらず、感情移入などなんの足しにもならない、とにかく効率的に金を配ればいい、とでもいわんばかりの彼らの主張や行動に、手放しで賛同する人がたくさんいるのです。この問題を考えるための補助線として、19世紀後半から20世紀初頭にアメリカで大成功した"鉄鋼王"アンドリュー・カーネギーの例を挙げましょう。

彼は晩年、慈善活動家として教育や文化の分野に多大な寄付を行なっています。しかしその一方で、実業家時代には「あれほど悪辣な手段で金儲けをした人はいない」といわれるほどえげつないビジネスをやった。

さて、大成功した後の慈善活動は"罪滅ぼし"になるのでしょうか。あるいは、鉄鋼製品を社会に行き渡らせるという"全体最適"のためなら、個人の不幸は軽んじられても仕方ないものだったのでしょうか。

これは簡単に答えが出る問題ではありませんが、カーネギー自身にはおそらく「業(カルマ)」のような発想があったのではないかと想像します。やった分はどこかでしっぺ返しが来る、だからいいこともしなければ――というような。

現代のスーパーリッチの慈善活動も、単純なノブレス・オブリージュではなく、そういった心理も働いているケースがあるかもしれません。少なくとも現在のところ、「合理的に社会が経済成長する仕組み」とされていたトリクルダウン(富める者が富めば、いずれ低所得者にも取り分が回ってくるという理論)の現象は、残念ながら起きていないわけですから。

「すべての人がとことん利己的に振る舞えばうまくいく」ほど世の中は単純ではない。だとすれば、今の社会に足りていないのは、合理的ではないとして軽んじられてきた倫理とか想像力とか思いやりとか、そういうものでしょう。しかしこれは人間が「AI的であろうとする」限り、決して出てこない発想でもあるのかもしれません。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数

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