樫田秀樹かしだ・ひでき
社会問題や環境問題を中心に取材活動を続け、特にリニア中央新幹線の取材は10年以上にわたる。著書『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)は、2015年度JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。ほかに『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(岩波ブックレット)などがある。外国人の入管・難民問題も取材中。
東京~大阪間を約1時間で結ぶといわれているリニア中央新幹線。2011年に整備計画が決定され、2027年の先行(東京~名古屋)開業が目指されていたが、いまだ計画は難航中。去年、正式に開業の延期が発表されたが、その実態はまさかの「10年遅れ」だという。リニア中間駅では27年に向けた再開発と住宅の立ち退きが進められているが、徒労に終わりかねない......!?
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2023年12月14日。東京(品川駅)から名古屋までのリニア中央新幹線(以下、リニア)の27年開業を目指していたJR東海は、開業予定を「27年以降」に変更すると公表した。しかし、リニア開業が27年に間に合わないことは、リニア計画と対峙する市民団体の間では何年も前から周知の事実だった。
筆者も数年前からJR東海が公表する各工区の工程表と実際の進捗を比較する簡単な調査をしているが、リニアが通過する1都6県(東京、神奈川、山梨、静岡、長野、岐阜、愛知)のすべてで工事は大幅に遅れている。開業は早くても10年は遅れるだろう。
ところが、JR東海はこうした他都県での工事の遅れには一切触れず、「静岡県が本線工事の着工許可を出さない」と強調し、開業の遅れを静岡県のせいにし続けている。
ほとんどのメディアもそれに倣った報道を展開し、ネットの世界や一部の著名人からは「静岡はリニア完成の邪魔をしている」「川勝平太知事はJRにいちゃもんをつけている」といった、お門違いの静岡バッシングが起きている。
今年の2月29日、市民団体「リニア新幹線沿線住民ネットワーク」(以下、住民ネット)が山梨県庁で記者会見を開催。筆者の調査データも用いて、「リニア工事は全都県で遅れている」と訴えた。
川村晃生共同代表は「工事の遅れは珍しいことではない。だが問題は、JR東海がそれを『静岡悪者論』に利用することだ」と強調した。なぜ静岡県ばかりが悪者になるのか。
そもそもの発端は13年9月。品川から名古屋までの環境アセスメント(土地開発などによる環境への影響の調査)を終えたJR東海は、その報告書である「環境影響評価準備書」(以下、準備書)を公表。
その内容に川勝知事や大井川の水を水源とする島田市など8市2町は驚く。「南アルプスでのトンネル工事で大井川の流量が毎秒2t減少する」と明記されていたからだ。これは8市2町62万人分に割り当てられた水量に相当する。
静岡県はリニア推進の立場だが、川勝知事は失われるトンネル湧水の「全量戻し」と、その方策を対話する協議体にJR東海も参画せよとの知事意見を出す。そして14年4月に県、JR東海、有識者が話し合う「静岡県中央新幹線環境保全連絡会議」(以下、連絡会議)が発足。
以後、連絡会議では、全量戻しの方法、生態系の保全、建設発生土の盛り土の安全性について話し合うが、10年がたつ今も「トンネル湧水を導水路トンネルで大井川に放流する」「発電ダムの取水制限をする」などの方向性は打ち出されても、JR東海は県が納得するだけの具体策を詰めていない。川勝知事が本線工事にゴーサインを出せないのはこれが理由なのだ。
20年6月26日、JR東海の金子慎社長(当時)が静岡県庁で川勝知事に「6月中に着工許可をいただければ27年開業に間に合う」と要請した。
当時から24年3月現在までの期間がそのまま静岡での工事遅れと見なせるので、遅れは約3年9ヵ月と計算できる。だが、リニア沿線には3年9ヵ月をはるかにしのぐ遅れが発生している工区が多数ある。
例えば、神奈川県相模原市に建設予定の「リニア車両基地」は工期11年の計画だが、用地買収が未完で未着工だ。今年着工しても完成は35年。加えて、鉄道施設は完成後も電気調整試験や車両の走行実験に約2年をかけるから(本稿ではこの工程を便宜上「工期A」と呼ぶ)、開業は37年。実に10年遅れとなる。これを含む、工事の遅れている代表的な工区の一部を図1にまとめた。
20年夏。筆者はJR東海の宇野護副社長に会う機会を得て、工事の遅れの具体例を挙げ「27年に間に合うのか」と質問した。宇野副社長は「どの現場も27年を目指している」と答えるだけだった。
次に筆者は実際の工事の進捗率を調べた。すると、本線トンネル区間に限れば、その進捗率は10%台に過ぎないと推計できた。
リニア本線ルートは全長約286㎞。完成している山梨リニア実験線(約43㎞)を除けば、建設中の区間は約243㎞。このうちトンネル区間は約211㎞で、着工されたトンネルの工区は約68㎞に過ぎず、ほとんどで工事中だ。その半分まで工事が進んでいると仮定しても、本線トンネルの進捗率は34÷211=約16%となる。
243㎞のうち32㎞の地上区間も無視できない。住民ネットの資料では、山梨県で完成した橋脚(線路の橋を支える土台)は22本あるが、未着工の橋脚は600本以上だ(推計)。橋脚は3本1組で2~3年の工期が必要である以上、今後の工事体制にもよるが、いつの完成になるのか予想すらできない。
リニア中間駅は、神奈川県相模原市、山梨県甲府市、長野県飯田市、そして岐阜県中津川市に設置される。神奈川県を例に挙げれば、県はJR東海の「1時間に1本」という仮定を無視して、「リニアは相模原に1時間に5本停車する」と想定し、「1日に約3万8000人が乗降し、経済波及効果は年3200億円」と試算している。
こうした試算を受けて、どの県も市も27年開業に合わせ、多額の税金を投入してリニア駅周辺開発(駅前広場整備やアクセス道路新設、道路拡幅など)を計画している。だが「27年以降」開業ならば、27年にはリニア中間駅には閑古鳥が鳴くことになる。筆者は神奈川県の県土整備局都市部交通企画課に電話した。
――JR東海から「27年以降」が何年かの報告は?
「ないです」
――27年以降になるのは前々からわかっていたこと。例えば、リニア車両基地(前出)が10年遅れになるのは把握していますか? 工期は11年ですが、未着工です。
「JRからは『工期を短縮する』と聞いていました」
――「27年以降」の公表までは、県は27年開業を信じていたのですか? 工期11年が2年になると?
「はい」
ここでわかったのは、県が工事の遅れについて積極的な情報把握をしていなかったことだ。次いで、相模原市のリニア駅周辺まちづくり課に電話してみた。
――27年にはリニア駅周辺で閑古鳥が鳴きます。そのご懸念は?
「いつでも駅前開発ができるよう基盤整備をするのがわれわれの仕事。JRのスケジュールには縛られません」
相模原市は約330億円の市税を投入し、リニア駅へのアクセス道路を5本新設する予定だ。相模原市の住民が懸念しているのは、このうち最長の「大西大通り線」(920m)がリニアトンネルのほぼ直上に計画され、約100世帯が立ち退き対象になる点だ。トンネル予定地の直上に住む竹内安夫さんはこう断言する。
「JRはトンネル建設する場合、地権者から『区分地上権』(地下使用の権利)を取得する必要がある。でも、地下わずか20m前後の掘削では騒音や振動がひどく、ひとりでも反対したら工事できない。だから、私はこの道路計画は、リニア実現のために私たちを追い出す手段ととらえている」
確かに、道路計画が都市計画として決定されたら、土地収用法により住民は立ち退き対象になる。竹内さんたち住民の多くは、道路建設に必要な測量も拒否する構えだ。
筆者はまちづくり課に「27年以降になる以上は、用地買収も遅らせるのか」と尋ねたが、回答は「予定どおり進める」というものだった。
昨年8月、道路計画へ反対する住民と本村賢太郎市長との対話が実現したが、住民の多くから「半世紀以上も暮らす自宅も工場も捨てろというのか!」との批判が続出した。
市長は「多くの方にご理解いただいていない以上、今後も対話は続ける」と約束したが、「計画は変更しない」とも強調した。リニアが来ない27年に、市は何を実現しようというのか。
長野県においても「リニア長野県駅には1日6800人が乗降し、経済効果は年336億円」と試算されている。この予測に基づき、飯田市でも、リニア駅建設、アクセス道路となる県道の拡幅(県の仕事)、駅周辺開発(市の仕事)の3点セットが計画されている。
この計画によって一般住宅が約190戸、事業所約100ヵ所が立ち退き対象とされ、実際に多くの家屋と事業所が27年リニア開業に備えて立ち退いた。
この県道拡幅に一家で「立ち退かない」と決めたのが、型染め業「筒井捺染工場」を営む筒井克政さん(75歳)だ。もし拡幅されると、工場は隣接地への移転を余儀なくされる。
最大の問題は、立ち退き料や補償金が安く、筒井さんが約1億円を自己負担することになることだ。これでは廃業につながりかねない。筒井さんは「県が私たちの生活を真剣に考えてくれないことが我慢ならないのです」と県のやり方に不満を漏らす。長野県のリニア整備推進局に尋ねた。
――JR東海から新たな開業時期の報告は?
「『静岡問題を解決すれば開業時期がわかる』とだけ言われています」
――道路拡幅も、開業が遅れるなら今後の立ち退きはもっと後でいいのでは?
「道路拡幅はリニア計画前からあった計画なので、立ち退きは粛々と進めます」
――そもそも県内でも工事が遅れているとのご認識は?
「遅れている現場はあるが、それが27年以降となるかの説明がJRからありません」
ここでも、自治体が自ら情報収集をしていない姿勢を確認できただけだった。
今、飯田市のリニア駅予定地周辺は、家の土台だけが残る空き地だらけだ。多くの人が、27年開業だからと自治体とJR東海に説得されて、立ち退いた。その中で、ただひとり、熊谷清人さん(83歳)が「先祖伝来の土地を守る」と立ち退きに応じない。熊谷さんは「これは形の違った戦争」と表現する。
「果たして実現の見込みがあるか不確かなリニア計画に、国策として一般市民が総動員される。その結果、家や財産を失い、地域が失われても、誰も責任を取ろうとしない。太平洋戦争では私の父も叔父も戦死しただけに、なおさらそう思うのです」
熊谷さんの近所付き合いはすでに失われた。市内でギリギリ立ち退き区域を外れた地域の住民も、「ご近所さんたちは泣く泣く立ち退いた。27年に開業してもらわないと、彼らが報われない!」と逆に27年開業を願う。
27年にリニアが開業されなかったとき、誰が責任を取るのか。もし各自治体が、自らリニア工事の遅れの情報収集に努めていれば、ここまで急いで立ち退きや駅周辺開発計画を行なう必要はなかったはずだ。
24年1月18日、JR東海は「品川-名古屋間の各工区の進捗を確認しつつ、工事全体の進め方について検討を始めた」と、初めて静岡以外でも遅れがある可能性に言及した。
JR東海が何年遅れの完成になるかを公表するかで、駅周辺での民間投資にもブレーキがかかるかもしれない。少なくとも「全部静岡県のせい」という説明は、もう説得力を持たないはずだ。
社会問題や環境問題を中心に取材活動を続け、特にリニア中央新幹線の取材は10年以上にわたる。著書『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)は、2015年度JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。ほかに『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(岩波ブックレット)などがある。外国人の入管・難民問題も取材中。