晴海フラッグ住民にとって、徒歩圏唯一の鉄道駅となる勝どき駅。通勤時間帯の混雑も予想される 晴海フラッグ住民にとって、徒歩圏唯一の鉄道駅となる勝どき駅。通勤時間帯の混雑も予想される
いくら何でも価格が上がり過ぎだ。

最近、私のところに持ち込まれたマンション購入のご相談で、つくづくそれを実感した。相談者は一流企業のサラリーマンで年収は1千万円以上。彼が買おうとしているのは、築10年ちょっとの中古マンションで価格は7千万円台半ば。

「値引きをしてもらいました」

そういっても、7千万円台の前半である。調べてみると、その物件が新築で販売されていた時の価格は4千万円そこそこだ。

特に素晴らしい魅力を備えた物件ではない。都心から少し離れた県境の向こう側。よくある大規模物件で、私が「ユニクロ的物件」とカテゴライズしているマンションのひとつ。単純な住棟配置と羊羹切りされた田の字プランの間取りだ。

建物は築年数を経ることで熟成するのではなく、単純に老朽化していく‥そんなマンションが、新築時と比べて2倍弱まで値上がりしているのだ。

■平均年収ではとても買えない

日本経済が成長しているわけではない。もちろん、日本人の収入が増えているわけでもない。サラリーマンの平均年収は、ここ30年ほど400万円台から抜け出せない。東京在住のサラリーマンの平均年収はこれよりも幾分高いようだが、せいぜい600万円前後という推計値がある。

幸いなことに、住宅ローンの金利は過去最低水準だ。だから「金利があった時代」に比べると、より多くを借りられる状態。それでも年収の7倍程度が限度。それ以上を借りてしまうと、生活が破綻する危険度が増す。

そこから考えて、年収600万円で借りられる限度は4200万円。その相談者が買おうとしているマンションが10数年前に売り出された価格レベル。そのマンションが十数年の年月を経た今、年収1000万円超のエリートサラリーマンが中古として購入する物件に化けているのだ。

これは、どう考えてもおかしいのではないか。

この狂乱が始まったのは2013年からである。その年の3月、日本銀行の総裁が黒田東彦氏に代わった。彼は「物価上昇率2%」を目標に「異次元金融緩和」を始めた。金利をマイナスまで下げただけでなくマネタリーベースを5倍まで増やし、国債だけではなくETF(上場投資信託=株)まで買い始めた。世間にジャブジャブと供給されたマネーが不動産に流れるのは必定だ。

東京都心の不動産は、2013年時点の2倍から3倍に値上がりしている一方、日本経済はほとんど成長せず、個人所得も上がっていない。半面、社会保険料や消費税はキッチリと引き上げられた。

先日、実質賃金は23ヵ月連続でマイナスであることが明らかになった。人々の暮らしはここ13年で確実に疲弊している。であるのに、郊外の普通の人が買っていたマンションが2倍近くに値上がりしているのである。

不動産バブルの終焉で、ゴーストタウンと化した中国・杭州市の新興住宅地 不動産バブルの終焉で、ゴーストタウンと化した中国・杭州市の新興住宅地
実はこの13年間、世界的にみても不動産価格は上昇していた。ニューヨークやロンドン、パリ、シンガポール、北京、上海といった世界の主要都市の住宅価格は軒並み高騰。東京の2倍や3倍は当たり前、という状態だった。

そこから「東京はまだまだ安い」などとうそぶく「専門家」までいた。ただ、中国人の富裕層が東京で流通している1住戸2億円程度のマンションを「安いね」といって購入している実態はある。

しかし、世界の不動産市場は下落期に入っており、主要国の中で日本の不動産だけが格安だった時代は過去のものとなりつつある。市場価格というのは需給を超えてブレるのが普通だが、上がり過ぎた価格はいずれ調整される。

■マンションバブルという共同幻想

ここ数年、東京で話題になった「晴海フラッグ」というマンションがある。分譲総戸数は4145戸という大規模。アドレスは「東京都中央区」。東京五輪の選手村跡地という話題性もあって、最高抽選倍率200倍以上の人気となっている。何とも不可思議な現象だ。

最寄り駅の地下鉄大江戸線「勝どき」駅へは徒歩20分ほど。マンションの玄関を出てから「勝どき」駅のホームに立つまで、30分近くを要する。そんな物件が大人気なのだ。

人間の集団は、往々にして共同幻想に陥る。

例えば、ここ数年大ブームを巻き起こしながら、半年ほど前から猛烈なアゲンストに見舞われているEVブームなどがいい例である。

ガソリン車に比べて性能はまだまだ劣る。充電には時間がかかるし、冬場に弱い。バッテリーの耐用年数は、どう見てもガソリンエンジンの半分以下。だから中古価格が安い。それでいて重量があるのでタイヤの耐用年数は短い。何よりも価格が高いので、政府の補助金なしにはガソリン車と競争できない。であるのに、世界的なブームを巻き起こしかなりの台数が売れた。

東京五輪の選手村跡地を利用した晴海フラッグは、転売ヤーも跋扈するほどの人気ぶりだ 東京五輪の選手村跡地を利用した晴海フラッグは、転売ヤーも跋扈するほどの人気ぶりだ
「晴海フラッグ」は駅から遠い。使える駅は狭軌で車内が狭い大江戸線の「勝どき」のみ。今でも朝夕のラッシュ時にはかなりの混雑。しかも、その大江戸線は東京の中でも最後発組の路線で、乗り換えの便が著しく悪い。

テレワークで家にいることが多い大人はいいとしても、私立中学や都内の高校に通う中高生は、毎日約60分を「駅との往復移動」だけに費やすことになる。晴れた日はまだいいが、風雨の強い日は大変だ。

築10数年の「ユニクロ型」郊外マンションが7千万円台で取引されようとしているのも、駅まで絶望的に遠い「晴海フラッグ」が異常な人気になっているのも、言ってみれば共同幻想である。「みんなが買っているから」という理由で、新たな購入者が現れている。

ただ、この共同幻想を生み出す元となった「異次元金融緩和」は、先日の17年ぶりの「利上げ」で終わりを告げた。

東京都心やその他の一部エリアで膨らんだマンションバブルという共同幻想も、間もなく終焉の時を迎えるのではないだろうか。

榊淳司

榊淳司

住宅ジャーナリスト。1962年京都府生まれ。同志社大学法学部および慶應義塾大学文学部卒業。バブル期以降、マンションの広告制作や販売戦略立案などに20年以上従事したのち、業界の裏側を伝える立場に転身。購入者側の視点に立ちながら日々取材を重ねている。『マンションは日本人を幸せにするか』(集英社新書)など著書多数

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