今年5月、岐阜県瑞浪市大湫町で。リニアのトンネル工事の影響でため池は枯れた(たまっている水は前日に降った雨) 今年5月、岐阜県瑞浪市大湫町で。リニアのトンネル工事の影響でため池は枯れた(たまっている水は前日に降った雨)

リニア中央新幹線に対する姿勢がかつてないほど重視された今年の静岡県知事選。激戦からはや4ヵ月、鈴木新知事の県政下では、にわかにリニア計画再開の動きが出始めている。

しかし、工事による環境破壊などの懸念点は依然山積みの上、新たな重大問題も浮上!  静岡リニア計画は今後どうなるのか?

■「放置」が招いた14ヵ所の水枯れ

5月上旬、岐阜県瑞浪(みずなみ)市大湫(おおくて)町の井戸やため池など14ヵ所で、リニア中央新幹線(以下、リニア)のトンネル工事が原因の減渇水(げんかつすい)が生じていることが報道され、注目を集めた。しかし、実はこの事態は数ヵ月前からわかっていたことだった。

2月20日、町に設置した観測用井戸の3ヵ所で地下水位の低下が確認されると、JR東海はその事実を瑞浪市に報告。このとき、市は職員を現地に派遣したり、県と情報共有したりすべきだったのに、事態を知りつつ何もしなかった。

後日、水野光二市長は「リニア計画は市の事業ではない。県への報告はJR東海がすると思った」と語った。JR東海も工事中断どころか、「安全な地盤まで掘り進めたほうがいい」という理屈で掘進を続け、結果、減渇水は14ヵ所に広がった。JR東海は2ヵ月余り後の5月1日にようやく県に報告し、全国のマスコミが大湫町に殺到したのだった。

300年も枯れなかったといわれる共同井戸「天王様の井戸」も完全に干上がった 300年も枯れなかったといわれる共同井戸「天王様の井戸」も完全に干上がった

そして、この報道を機に、5月9日まで静岡県知事を務めた川勝平太氏が再評価されることとなる。10年間にわたり「リニアは推進する。だがその前に、リニア工事で失われる大井川の水の全量戻しと生態系保全の方策を構築せよ」と訴え、JR東海との協議に臨んでいたからだ。

それまでは、他都県でもリニア工事は大幅に遅れているにもかかわらず、メディアは「静岡県が着工を許可しないのでリニア2027年度開業が遅れる」と報道し、ネット民は「川勝はリニア開業の邪魔をしている」とバッシングを行なっていた。なんとも皮肉な手のひら返しである。

■鈴木新知事はリニアに前のめり

そんな川勝前知事の辞任を受け、5月9日に静岡県知事選が開始。有力候補者のひとり、鈴木康友氏(立憲民主党ほか推薦)は川勝前知事と同じくリニア推進の立場であるが、川勝路線を「引き継がない。ゼロベースで考える」と発言した。

ここで危惧されたのは、川勝前知事が14年4月に創設した「静岡県中央新幹線環境保全連絡会議」(以下、連絡会議)が存続されるか否かだった。連絡会議とは、リニアのトンネル工事で「大井川の流量が『毎秒2t減流』する」とのJR東海の予測を受け、県、学識者、そしてJR東海の三者がその解決に向けて話し合う協議体だ。

現在、主に水問題を協議する「地質構造・水資源部会専門部会」と生態系について協議する「生物多様性部会専門部会」(以下、生物部会)で構成される。県は19年にJR東海と話し合うべき47項目を設定したが、24年9月時点でまだ28項目が残る。これらが解決しないうちの工事着工はありえない。

しかし、知事選のさなかに大湫町の水枯れが報道されると、風向きは変わる。市民団体「リニアを争点にする会」は、知事候補者6人に「リニアを争点にする公開質問状」を送付。すると、鈴木氏は「連絡会議は継続」と明快に回答したのだった。

知事選の結果、5月26日に鈴木新知事が誕生。鈴木知事は就任後初の記者会見でリニア問題について「最後は政治的決断で」と発言し、7月10日には大井川上流部でJR東海の工事予定地を視察、「工事を進めるため、スピード感をもって対話を進めたい」と発言した。

大井川が毎秒2t減流すれば、それは大井川を水源とする8市2町の62万人分の水が失われることを意味する。川勝前知事は、しばしば8市2町の首長との意見交換会を実施したが、鈴木知事もこれを踏襲し、7月23日に意見交換会を開催した。

一部報道によれば、首長たちからは「あまりにスピード感があって、流域の市町はついていけない」との声も上がり、囲み取材を行なったフリーの金丸宗記者も、「首長の多くは知事に対して、『走るなら、その都度情報を提供してほしい』と要請した」と報告している。鈴木知事がリニア推進に前のめりなことが伝わってくる。

とはいえ、鈴木知事のアンケートへの回答どおり、連絡会議はそのまま維持された。知事の姿勢がどうあれ、連絡会議という枠組みが機能している限り、知事の独断での着工許可はないとみていいだろう。

■水枯れの代わりに花を植える!?

だが、そんな連絡会議にも不穏な動きが出てきている。

川勝前知事が退職届を提出した直後の4月12日。生物部会で新たに委員に就任した竹門康弘・大阪公立大学国際基幹教育機構客員研究員が「ネイチャーポジティブ」(以下、NP)という新たな概念を紹介した。失われる自然の代わりに、それと"同等以上"の新たな自然を人間が創出するという考えだ。

静岡県でのリニア工事によって「失われる自然」とは、「県北部の南アルプスで、トンネル掘削現場周辺の複数の沢で流量が最大70%減るという予測」「南アルプスでは、トンネル掘削により地下水が最大380mも低下するとの予測」などだ。

これは、沢が枯れ、生態系が失われ、地下水の低下で南アルプスのあちこちに散在する高山植物の群落(会議での通称「お花畑」)が消える可能性を意味する。

南アルプスの荒川岳で。リニアの南アルプストンネル工事によってなくなってしまうのではないかと危惧されている。写真/PIXTA 南アルプスの荒川岳で。リニアの南アルプストンネル工事によってなくなってしまうのではないかと危惧されている。写真/PIXTA

これに対し、県および生物部会は、JR東海に対して以下の対応を求めてきた。

①まず「回避」
②難しければ「低減」
③どうしても影響が及ぶなら最後の手段として「代償措置」

だがJR東海が当初主張したのは「代償措置(移植)」だった。つまり、環境の激変が予想される沢に生息する動植物を別の場所に移すというものだ。

これに対し、県のリニア対策の窓口である「中央新幹線対策本部」で本部長を務める森貴志副知事が、生物部会で毎回「回避か低減が先」とくぎを刺していた。このことからも、「代償措置は最後の手段」という共通認識があったはずである。

しかし、ここでNPの概念が唐突に出てくる。4月12日の会議ではその言葉の紹介程度だったが、8月5日の生物部会で、竹門氏はその詳細を説明した。

「これまでは現在ある自然環境を守ることが目的だったが、それでは不足として、現状よりも良い環境をつくるNPが国の施策として認められた」

この説明に岸本年郎部会長代理がこう続けた。

「影響を低減するだけではなく、JR東海に南アルプスの自然を守るんだとの姿勢を示してほしいとの内容になる」

これは具体的に何をするということなのか。会議後の囲み取材で、私は岸本部会長代理に尋ねた。

――「お花畑」が喪失したら、別の場所に「お花畑」をつくる、は想像できます。しかし、沢が枯れてしまったら、同じ沢はつくれない。となると、その沢以上の価値のある自然、例えば「お花畑」をどこかに創出する、というイメージでとらえていいでしょうか?

「いろいろな創出はあるが、そのイメージでいい」

――では、いったい誰がその新しい「お花畑」が失われた沢と比べて"同等以上"と判断するのでしょうか?

「難しい。今後、協議の中で決めていきます」

これがNPだとすれば、言い出しっぺの県や生物部会にも相当に厳しいかじ取りが求められることになるだろう。

そもそも、なぜこの考えがJR東海に提示されたのか。囲み取材の後、県の石川英寛(ひでのり)政策推進担当部長に尋ねると、以下の回答を得た。

「NPは、22年12月、カナダで開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で新たな国際目標として設定されました。昨年3月には『地域における生物の多様性の増進のための活動の促進等に関する法律案』が閣議決定され、通常国会にも法案が提出され、今年4月19日に同法が公布されました。

つまり、自治体も動かなければならない。そういう根拠があって、私たちはリニア計画においてNPをJR東海に提案できたのです」

調べてみたところ、NPの概念は日本では23年に打ち出されていた。

静岡県とは別に、国土交通省でも静岡リニア問題をJR東海と有識者とが話し合う「有識者会議」が開催されていた(20年4月から23年11月まで)。その昨年末の報告書にはJR東海への提言が書かれている。

「回避・低減措置を講じてもなお残る沢の生態系の損失には、代償措置、ならびに新たな生物生息環境の創出を講じる」

その具体例のひとつとして書かれたのが「トンネル湧水を活用して湧水生態系を創出する」ことだ。果たして、そんなことが可能なのだろうか......。

さらに、県とは別に、静岡市でもJR東海とリニア問題を話し合う「中央新幹線建設事業影響評価協議会」が15年から開催されている。今年4月9日、難波喬司(たかし)市長は同会議でこう発言した。

「どんなに回避や低減を図っても、沢の流量減少は避けられない。だから、代償措置はもう初めからやらないといけない」

県とは正反対の考えだが、この協議会でも学識者委員として名を連ねる竹門氏はNPを強調した。

つまりNPの考えは、国連、国(有識者会議、立法)、そして静岡市と静岡県へと流れてきたものなのだ。連絡会議を傍聴する県民の村野雪さんは、「静岡県で提案されたのは、既定路線的なものだ」と読み解いている。

■成功事例は失敗事例だった!

一方で、JR東海が「回避・低減」を考えていないわけではない。減渇水を防ぐため、地盤を固める薬液注入の実施を公言している(これに対して「それだけしかないのか」との批判もあるが)。

だが、この薬液注入の効力を疑わざるをえない出来事が起こった。

JR東海と学識者が協議する岐阜県の常設機関「環境影響評価審査会・地盤委員会」で、JR東海は、減渇水を防ぐ薬液注入の成功例として鹿児島県の北薩トンネル(4850m。18年開通)の工事を紹介し、それを踏襲する意図を示した。

ところが今年7月下旬にこの北薩トンネルで湧水が発生し、土砂がトンネルを埋める事故が発生したのだ。薬液注入の成功事例とされた工事は、大失敗だったのだ。

JR東海が南アルプストンネルで行なおうとしている薬液注入の成功例として挙げた北薩トンネル。今年7月に厚さ30㎝のトンネル壁面が崩落し、大量の土砂が流入。9月6日現在も全面通行止めが続いている。写真/鹿児島県 JR東海が南アルプストンネルで行なおうとしている薬液注入の成功例として挙げた北薩トンネル。今年7月に厚さ30㎝のトンネル壁面が崩落し、大量の土砂が流入。9月6日現在も全面通行止めが続いている。写真/鹿児島県

壁面が崩落した北薩トンネル。写真/鹿児島県 壁面が崩落した北薩トンネル。写真/鹿児島県

しかも、すでに大湫町では5月20日から地下水位を回復させるための薬液注入が行なわれているが、9月上旬でも改善の兆しは見られない。

南アルプストンネルが位置する山梨~静岡県境付近には、長さ800mとも予想される、地下水が高圧で封じ込められている破砕帯(岩盤が割り砕かれて多くの隙間を持ち、通常の地盤に比べて軟弱であるとされる)がある。北薩トンネルの失敗を見ても、薬液注入でここの地下水流出が食い止められるとは、想像し難い。

連絡会議を毎回オンライン傍聴している高木信二さん(仮名)は「(工事で)沢は枯れますよ。その枯渇についてNPは可能なの? 『同等以上』の『お花畑』や『湧水生態系』はありえない。NPは、ヘタすると、JR東海に初めから回避や低減を放棄させる道具にならないでしょうか」と懸念を抱く。

ただし、この10年間しっかりとJR東海と対峙してきた県と連絡会議が、いきなり違う姿勢になることも考えられない。

森副知事は「まずは回避と低減の徹底を」と念を押しており、専門部会もまずはすべての問題点や課題を洗い出そうという基本姿勢は崩していない。NPの提案を受けたJR東海が、次回の生物部会(9月10日現在、日程未定)でどういうプランを出すか、注視していくしかない。

樫田秀樹

樫田秀樹かしだ・ひでき

社会問題や環境問題を中心に取材活動を続け、特にリニア中央新幹線の取材は10年以上にわたる。著書『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)は、2015年度JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。ほかに『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(岩波ブックレット)などがある。外国人の入管・難民問題も取材中。

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