また世界一周もしたいと語るディック東郷選手

1991年にデビューし、キャリアの大半をフリーの悪役レスラーとして活躍してきたディック東郷。参戦した団体は日本国内のみならず、アメリカWWF(現WWE)まで多岐に渡る。“レスリングマスター”と呼ばれるほどの技術を持ち、試合だけでなく世界中で指導も行なってきた。

その東郷は41歳だった2011年6月、日本で引退試合を行なった後、約1年の世界引退ツアーに出発。しかもまさかのアポなしでバックパッカーとして自ら地元のプロモーターと交渉しつつ、終着点は敬愛するチェ・ゲバラ最期の地であるボリビアという破天荒なサーキットを成し遂げ、12年9月に引退した…はずだった。

ところが、2016年6月、47歳にして突如ツイッターで現役復帰宣言! 試合を観に行ったところ、引退前である30代の頃よりも迫力が増してキレッキじゃないですか!

世界サーキットを経て、引退したからこそ見えたものがあるのか? なぜ復帰を決意したのか? 復帰から1年、今また新日本プロレスのマットにも登場している彼に話を聞くしかない!と時間をいただき、フリーレスラーとして「生涯一ヒール」を貫く矜持(きょうじ)をインタビュー前編に続き、伺った!

* * *

―試合だけでなく、世界中でレスリングの指導もされていますが、今や教え子は何百人じゃきかない? 

D東郷 いやー、わかんないですね。でも、行った国では大抵セミナーを頼まれますね。指導者がいなくてみんな見よう見まねでやっているから、ちゃんとしたレスリングを教えてくれと。プロレス3大大国というとメキシコ、アメリカ、日本で、それ以外の国だとプロレスだけでは食えなくて、みんな副業があってなかなか集まれない。だからやっぱりレベルは低いけど、コイツら本当にプロレスが好きなんだなと実感しますね。

―教えるのが向いている?

D東郷 いえ、最初はホントに向いてなかったです。意外と僕、器用になんでもできちゃうほうだったので、できないコへの教え方がわからなかったんですよ(笑)。指導することで、僕自身も一緒に勉強していきましたね。

―指導される際は「修行とはプロレス技術を学ぶことだけじゃない」ともおっしゃっているとか。

D東郷 そうですね。思うに、プロレスは技術ももちろん大事だけど、気持ちじゃないかな。速い動きやアクロバティックな動きってすごいけど、何日か経って「あいつ頑張ってたな」ってお客さんの心に残るのは、土臭い、技術が何もなくても頑張る姿だと思うんですよね。日本では特にハートの部分は大事かなと思います。

―ご自身の試合スタイルとしては、例えば新日本プロレスの棚橋選手などいわゆるヒーロー的選手とは違い、「生涯一ヒール」を貫いていらっしゃいます。

D東郷 プロレスは誰もが自分のキャラクターをわかってやっていて、たぶん棚橋選手は自分がヒーローだとわかっているから、ああいう振る舞いをやってらっしゃる。僕はベビーフェイスではないので、要は引き立て役なんです。

表に立つタイプではないと自分でわかっているので、やっぱりわきまえていますね。試合内容ではベビーフェイスも食ってやりますけどね!

恥を忍んで復帰宣言して…

―では、ここで現役復帰について伺いたいのですが、壮大な世界引退ツアーを成し遂げたにも関わらず、なぜ復帰を?

D東郷 そこには僕の誤算があったんですよ…。元々、キャリアの最後には世界中で思う存分、プロレスをしたいと思っていたんです。僕はチェ・ゲバラが好きでキューバには何度か行っていて、サンタクララというゲバラが革命を起こした地があるんですけど、そこのゲバラ像に「最後はボリビアで引退するのでよろしく」と心の中で勝手に相談していたぐらいで(笑)。

でも当時は何歳までできるかわからなかったし、50歳では無理かなと思って。体がボロボロになってからより、今ならコンディションもいいし、世界中の人にいい試合を見せられると思って旅立ったんですけど。終わってみると「あれ、まだ全然できるじゃん」って(笑)。

―ちょっと早まったんですね(笑)。

D東郷 でも引退した手前、撤回できないぞといろんな仕事をしたんですけど、やっぱりプロレスに勝る仕事がなかったんですよね。高校卒業して、一度は工場で働いたこともありますけど、ずっとプロレスしかしてこなかった。手に職もないし年齢的にも若くないし、ましてこの外見だから雇ってくれるところもないし(苦笑)。そんなこんなで引退後はベトナムに移住して、カジノで用心棒を2年間してたんですけど…。

―サラッと言われましたが、第2の人生が用心棒ですか!?

D東郷 はい(笑)。そんなことをしてるある日、ベトナムの外務省から日本との交流イベントでプロレスをやってほしいと頼まれたんです。うちのカジノのオーナーもお金を出してくれるというので日本から弟子を呼んで、そこで引退して初めて試合をしたんです。当日は野外の会場で雨が土砂降りで(笑)。マットに叩きつける音もすごかったけど 観客は大声援を送ってくれて、そこでやっぱりレスラーの血が騒いだんです。

この興奮は他の仕事では味わえないし、これはもう天職だな。俺は結局、プロレスしかできないなと。で、恥を忍んで復帰宣言して、今に至ります(苦笑)。

―でも、おそらく復帰を待っていた人も多かったのでは? 

D東郷 そうですかね…。ずっとツアーに付いてきてくれた人もいたし、最後のボリビアまでわざわざ来てくれた人もいたし、あんなに温かく送り出してくれたのに申し訳ないですけど…。それに一度言ったことを覆すなんて美学に反するところもあったんですが、でもやっぱり人間、そううまくはいかないですからね。誰でもつまずくし、つまずいて大きく成長すると思うので…。

今度は恩返しツアーがしたい!

―ただ、復帰したからこそ成し遂げられたこともありますよね。先月はメキシコに遠征されましたが、“聖地”アレナメヒコで試合をするのは初めてだったとか。

D東郷 そうですね。世界3大アリーナは制覇したいと思っていたので。日本だと東京ドーム、さいたまスーパーアリーナ、後楽園ホールは全部出てますし、アメリカだとWWF時代に出たマジソン・スクエア・ガーデンが一番の会場でしょうし、そういう大会場のうちアレナメヒコだけ出られていなかったので。あのまま引退してたら叶わかったし、恥を忍んで復帰してよかったです(笑)。

僕は今年48になりますが、もう他の仕事はできないでしょうし、体が動く限りはリングに上がり続けたいなと。

―復帰して、目指しているものはありますか?

D東郷 もう、どうなりたいとか欲はないんです。レスラーに戻れたことが嬉しいし、上がれるリングがある以上、期待に応えられる試合をしないといけないって思っているだけで。今は月に5~6試合ぐらい、体を整えながらできるのでコンディションも万全だし、試合の質はいいです。みちプロ時代は地獄の夏ツアーで33連戦もあったことを思えば余裕ですね(笑)。

DDTとかみちのく、ガッツ、マスターズ、レアルルチャ、VKF…といろんな団体に呼んでもらってますし、8月はシンガポールとタイ、11月にはカナダ遠征も決まってるし、どれも観に来てくれたら嬉しいですね。ツイッターに上げておきます(笑)。

―今後の夢や目標はありますか?

D東郷 時間ができたら海外に行きたいですね。世界にはプロレス発展途上国がいっぱいあるので、そういうところに行って選手に教えたいなと。今はシンガポールの教え子が地元でスクールをやっていて、そこのアドバイザーを頼まれているのでたまに行っているし、海外で知り合った選手が今、日本にいっぱい来ていて、そういう日本に来たい選手にはうまくチャンスをあげたいですね。

また世界一周もしたいと思っています。引退ツアーの時にお世話になった国々に今度は恩返しツアーがしたいですね!

(取材・文・撮影/明知真理子)

●ディック東郷(とうごう) 1969年8月17日生まれ(47歳)、秋田県大館市出身。91年にデビューしヒールとして各団体で活躍した後、11年~12年に世界ツアーを敢行し引退。16年に電撃復帰。【参戦情報】7/25(火)ガッツ 新木場1st RING、7/26(水)マスターズ 後楽園ホール、7/30(日)レアルルチャ さいとぴあ(福岡)、8月3日(木)VKF 湊町リバープレイスほか、最新情報はtwitterで@boliviacuba