昭和から年号が変わった年に誕生し、今年度に30歳を迎える"黄金世代"の半生と共に平成をふり返る連載企画 『さらば平成!』。第3回はボートレーサー・中田(なかだ)竜太(A1級)。
インタビュー前編では「ゆとり世代なので...」と自嘲するほど、気鋭アスリートとは思えない"平熱"で淡々と言葉を継いでいった中田。「なんとなく」で飛び込んだ競艇の世界でもがき苦しんだデビュー後の長いトンネルから後編を始める。
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競技用ボートの重量はわずか69キロ。その機体に排気量400cc、31馬力のエンジンを搭載する。同排気量の二輪車が200キロ前後であることを考えれば、さしずめ軽自動車にF1のパワーユニットを積んでいるようなものだ。そんなモンスターマシンをステアリングとスロットルレバーのみで制御するボートレーサーの体感速度は、実に100キロを超えるという。
「手足のようにボートを操(あやつ)れたらいいんですけど、うまく動かせないことのほうが多いですね。頭の中には常に理想の走りがあって、いかにそれを忠実に再現できるか、っていう意識です」と、片手を船に見立てて中田は説明する。ボートの話をするときも、彼のゆったりとした口調は変わらない。
機体で重要な役割を担うのが「ペラ(プロペラ)」である。ボートの個性を決定づけるペラは自動車のギアとタイヤに相当するパーツで、その調整は選手自らが指定のハンマーを用いて行なう。最高速度を重視するか、スタートで一気に飛び出すのか。ボートレーサーは手先の感覚を頼りに、数分の1ミリの試行錯誤を繰り返す。操縦センスや身体能力に加え、水上を読む洞察力、そして整備技術と、ボートレーサーに求められる資質は多岐にわたる。
「ペラの調整は大事ですね。操縦技術よりもそっちのほうが大切かも。僕の好みですか? どちらかといえばターンしやすいように、直線より出足(加速)重視かなあ」
こだわりがなさそうに語る中田だが、彼の代名詞ともいえるのが、インから旋回し一気に上位へと躍り出る鋭角ターン。確かなスキルに裏打ちされたものかと思いきや、それすら本人は「あまりターンに自信はない」と言う。
「僕の強みは『エンジン(モーター)が"出ている"こと』じゃないですかね。周りからもいわれますよ、"引き"がいいのかもしれません。『自分、出てるわ(笑)』ってよく思います。そういう周りの環境がいいのかも」
公営競技である競艇では、公平を期すため各選手のモーターは抽選で割り当てられる。機体の話題から、中田はよく"周り"という言葉を口にするようになった。
「やまとを卒業したら、周りは全員プロのレーサーでしょ。みんなギラギラしているというか、オーラがすごかったんですよね。しゃべりづらくて、ちょっと距離を置いちゃうみたいなところもありました」
ボートレーサーの選手寿命は長く、60代の選手も現役で活躍している。40年以上も勝負の世界で生き抜いてきた勝負師たちは、"ゆとり世代"の中田にとってさぞ取っつきにくい存在だったに違いない。
「だから強い選手は好きじゃなかったんですけど...須藤さんは別でした。そう、ペラの調整法も須藤さんに教わったんです」
須藤博倫(ひろみち)。中田の11歳上、同じ埼玉支部に所属するベテランレーサーだ。中田がデビュー4年目の2012年、実に14度目の挑戦でG1を制覇している。そして「一匹狼」然とした彼が"師匠"と呼ぶ選手でもある。
「ボートに対して真摯でストイックなんです。それなのに、威圧感みたいなモノもない。初めて『こういう選手になりたい』って具体的な目標ができましたね。須藤さんに出会って、仕事に対する考え方が変わった。埼玉支部は須藤さんをはじめ若手選手も仲がいいし、本当に周りに恵まれてましたね」
中田はボートレースのことを「仕事」と呼ぶ。時折「"ただの"仕事なので」とまで強調するところに、彼の競艇に対するスタンスがうかがえた。旧態依然(きゅうたいいぜん)としたスポーツ選手とは一線を画す平成のアスリートは、競技に対してどこまでも現実主義だ。そして、師に出会い明確な目標を定めた中田の躍進は早かった。
2017年4月10日。同日に29歳の誕生日を迎えた中田は、「まるがめ65周年記念大会」でG1を制覇。最上位の階級「A1」選手が集う大会で記念初優勝を遂げる。
「この大会は何がなんでも獲りたかった。『これを逃したら、次はない』とまで考えていましたね」
中田をして「さすがに緊張した」と声のトーンを一段階上げたのだから、プレッシャーの大きさがうかがえる。同年9月、勝率1位で迎えた「蒲郡YD(がまごおりヤングダービー)」も制し、一気に競艇界注目の星に躍り出た。この時期のライフグラフは慎(つつ)ましくも上昇している。
「こう言ったら感じ悪いかもしれないですけど、YDは"獲れる"と思ってましたし、精神的にも肉体的にも余裕があった。なんていうか...自然体で臨めた、って感じでしょうか。『いいエンジン引けるな』って予感すらあったし」
続けて今年3月、地元「戸田プリムローズ」で3度目のG1優勝を飾り、強豪レーサーの名を不動のものにした中田。ちなみに飛躍を遂げたこの時期、同じ競艇選手である亜理沙婦人との間に第1子が誕生している。子供が生まれて、レースに懸ける思いが変化したのではないか――"念のため"投げかけた質問にも、「それはないですね」と即答された。子息の名前の由来について尋ねても、「意味はあったんですが、詳しくは忘れちゃいました」と苦笑する。
「子供はかわいいですし、夫婦で家を空けることが多いのでちょっとかわいそうだな、と思ったりもします。でも、何日も一緒にいたらそれはそれで...ね(笑)」
中田と同い年の子どもを持つ筆者も釣られて笑った。男親にとって、たとえ愛息子であっても言葉が通じぬ乳児と長時間共に過ごすのは"それはそれで..."なのだ。それにレースは中田にとってあくまでも「仕事」。中田に対する、どこまでもドライでリアリスティックな印象を正直に告げると、彼はしばし黙り込んで天井に目線をやった。
「自分も含めて、若手選手の多くはそんな感じです。でも結局、目をギラギラさせてる先輩たちのほうが強いし、彼らが若いときはもっと強かったんじゃないかな?って思う。ボートは選手寿命が長いので経験豊かなベテランが強いって思われがちですけど、肉体的には僕たち30代、20代に分がある。それなのに年長選手に負けちゃうのはおかしいですよね」
「(若い選手は)仕事に対する考えが甘いんじゃないかな」と続け、すぐ「自分が言えたことじゃないですけど」とおどけたように笑った。
父から勧められ、職場の水が合わず飛び込んだ競艇の世界。配属された支部で"たまたま"生涯の師に出会い、自身の強みは「なぜかいいエンジンが当たること」という中田。
「競艇の魅力ですか? うーん、そうだな。『当たりやすい』ところじゃないですかね」
泰然自若(たいぜんじじゃく)とした彼のスタンスは、繋がざるの舟のごとく――『荘子』の一節「不繋之舟(ふけいのふね)」を想起させた。単なる飽き性などではない、ひとところに留まらない彼の目は常に"先"を見ている。
「あの、僕、しみけんさんたちのコラムも好きなんですけど」
インタビューが終わり、彼は再び『週プレ』をめくる。あいにく連載が間もなく最終回であることを告げると、「へえ、そうですか」と軽い返事が返ってきた。「紗倉まなさんの連載は?」「それも終わります」「そうなんですね」。さして残念がるふうでもなく中田は答えた。彼は今、防衛王者として平成最後の夏を戦っている。しかしそれも、中田にとっては単なる通過点のひとつにしかすぎない。おそらく来年の今頃は、「そんなことありましたっけ?」と笑っているに違いないのだ。
●中田竜太(なかだ・りゅうた)
1988年4月10日生まれ、福島県出身。身長166cm、体重49kg。2009年デビュー、13年9月の戸田タイトル戦で初優勝。現在のクラスは「A1」。18年、「G1戸田プリムローズ」を制し通算3度目のG1制覇を達成