極真の鍛錬、将来へと話題が映るうちに、次第に熱を帯びてきた松井章奎館長の口調。淀常に極真空手と会館について熟慮されているからか、言葉が淀みなく溢れ出してくる

週プレNEWSで配信中の連載漫画『50台の☆ リアル体験入門 ドラゴン先生格闘ロード』は、『第5闘:国際空手道連盟 極真会館編』に入り、より緊迫した場面を迎えている。漫画家界最強を自認するドラゴン先生こと岡村氏が、憧れの極真会館の道場に立ち、松井章奎(しょうけい)館長直々に、突きや蹴りなど極真空手を支える基本的テクニックをコツコツと身につけていく模様をリアルに描く漫画は、格闘技ファンからも大好評だ。

さて、今回も岡村氏をみっちりとご指導いただいた格闘家への恒例アフター・インタビューを実施。松井章奎館長に再びお時間をいただき、前編では岡村氏の今回の挑戦への感想から極真会館の稽古について伺った。そして後編では話題は東京五輪などにも広がる。

――極真空手の今の選手と昔の選手が戦ったら、昔の選手のほうが強い、と?

松井 私のイメージでは、「現在の試合」の技術は今の選手のほうがうまいから、「現在の試合」では当然、今の選手に昔の選手たちはかなわないでしょう。しかし、かつての道場での組手でということになれば、組手自体が全く違いますんでね、今の選手は全くとまどってしまって、何もさせてもらえないのではないのかと思います。

――そもそも、昔の選手は稽古でめちゃめちゃ追い込まれたと聞きます。

松井 昔は非合理で無茶だったけど、追い詰められると自分の本性が出るでしょ。今の時代、そこまでやるとパワハラになっちゃう。でも、自分の一番キツい瞬間を自分自身でみないで育つわけですよね。

松井館長は昭和38年1月生まれ。学年は1つ下ながら、ドラゴン先生にとっては同い歳。それだけでも、ある種の親近感をもって稽古にのぞめていたはず。後方は稽古のサポートについてくれた代官山道場責任者の赤石誠師範代

――いわゆる「しごき」というのは、今は無理ですものね。世の中、そこにとても厳しくなっている時代です。

松井 「いじめ」というのは、「かわいがり」と紙一重です。相撲なんかでも「かわいがる」っていうけれど、これがなくなると強いお相撲さんは出てこないですよ、きっと。空手界内部の一部の人の心無い行為によって、いわゆる「かわいがり」が「いじめ」と同一視されちゃって、否定されてしまっているんです。

でも、ある意味、おおらかでビシビシやって、爽やかに「ありがとうございました!」っていう、そういう世界、それまで否定しちゃうというのはどうかなと思いますが......。

――実際、追い込んで追い込んで、というところに何かがあるんでしょうね。その強さが最後に出てくるという......。

松井 たとえば、大山先生がバーベルを肩に担いで上にさす(持ち上げる)練習をしていた、と。ずっとやっていて限界がくると、もう上がらなくなるでしょ? そうすると先生は奥さんを呼んで、キリでお尻を突かせるんです。そうしたらバーベルがバーッと上がる。

人間にはマッスルメモリーというのがあってね、一度できた物事は、次からは刺激がなくてもできるようになるんです。僕らの経験したことだと、腹筋。これは当時決められていたフォームでやるとキツイです。いいかげんな姿勢でよければ500回でも1000回でもできるけど、姿勢維持しながらだと、まあ、できないです、上がらない。そうすると先輩が竹刀を持ってきて、おへその下あたりをバチーンと叩くわけです。すると上がるんですよ。限界かと思ったところから20~30発は上げられる。すると次には自力でも上げられるようになるわけ。姿勢を整えてとなると、20~30回は無理でも20回プラス程度はできる。

――なんか......理屈ではないところで人間は限界を超えられる、と。精神的にも肉体的にも追い込まれてこそ、という考え方だったんでしょうね。

松井 昔の稽古は夏場であると、一般稽古でも体重が4~5キロ落ちました。今の体育理論的にはよくないとされるでしょう。精神的にもすごくつらい。トレーニングというより、ある種の修行だったんですね。

「大切なのは、自分を支える力」という松井館長。自らの体重を完全にコントロールできるだけの内なるパワーが必要、そして、そこから生まれる動きには無駄がなく、相手への打撃が空振りしても、バランスを崩すことはないのだ

――冬の滝行などは、まさに修行という言葉がピッタリです。

松井 寒い、冷たい、つらい......。そんななかで体や心、動作がどう対応できるか、どう変化するかなど、客観視をする意識をもって自分を追い込むのが冬山での滝行です。また、部分・部位局部鍛錬の稽古でも手の甲やつま先など、当たったあとは当然痛い。で、痛いと思った瞬間に、動きを止めちゃうわけです。一発目は全力でいけても、次からは控えちゃう、そういう風に自分に変化が現れる。

この変化を見たときに、それでも自分が前に進める人なのか、尻込みしてしまう人なのか、そういうのが否応なく見えてしまうわけです。尻込みする人でも、その自分をちゃんと受け入れて、じゃ、次は前へ出るぞというのを何度も経験する、成長の段階でそれがどれだけできるかは格闘技や武術では大切なんですけれど......。

――とくにスポーツの世界でのハラスメントに注目が集まっています。

松井 そう、今じゃ、限界を超えるような修行はパワハラといわれてしまうから、できません。竹刀で打つのも、叩かれるのは痛いけれど、ケガはしない、体は痛めないんですよね。血は出ますよ。今、それをやったら「体罰」ということになる。お互いの信頼関係からやれる「かわいがり」が、リンチのようなことをやる人が一部に出てきてしまったからこういうことになっているわけで、本当はそういうことを認める世界が必要だと思うんですけれどねえ。

自分が持っている潜在能力を自分自身で開花させようなんて、なかなかできないんです。やっぱり、限界を見ずに腹をくくれる人なんていませんからね。

――稽古の欧米化、それに「体罰」や「パワハラ」などへの拒否感が強まる風潮。これらによって、極真空手の世界にも変化が起き、順応していかなくてはならない......。結局、「叩き上げの人間」が出にくくなっているということにつながっていくんですね。極真空手の変化というと、今年からセミコンタクトルールを採用した大会を始めましたが?

松井 じつはフルコンタクトの競技では、本当は必要なのにおざなりにされている部分があるんです。正確に打撃を当てなくても、攻撃をたび重ねるうちに相手に効いてくる、そういうルールなんです。

間合いの操作とか打撃の正確さとかいった技術がなくても勝てる。こういうことは日常の稽古で口をすっぱくして指導しても、なかなか変わらないんですね。だから、競技会のような形にして評定されて勝敗をつけるという環境づくりをしたということですね。

身振り手振りどころか、文字通り、手を取り足を取りでドラゴン先生を指導してくださる松井館長。壁の大山総裁の額装写真が稽古を見つめるなか、ひとつひとつの動きを確実に自分のものにしていく

――とても簡単にいってしまうと、顔面マスクやプロテクター、サポーターなどの防具をつけたうえでのポイント制というのが、セミコンタクトルールです。極真空手名物ともいえる下段回し蹴り、カカト落としなど禁止になった技があるなど、多少、オリンピックルールも意識したようなルールになっています。

松井 この取り組みの延長で、空手界全体でも生きてくるだろうと考えています。フルコンタクトと(オリンピック競技である)ノンコンタクトのルールは、ある意味、似て非なるものだけど、セミコンタクトというルールならどちらにも親和性があるはずです。空手の競技人口を飛躍的に増やすきっかけになるかもしれないし、分離した状態の空手界の橋渡しの役目を果たすかもしれません。

――なるほど、他流派との融合は視野に入れながらも、それでも極真空手は門下生をさらに鍛えるというわけですね。さきほど、間合いの操作、打撃の正確性の必要性に触れられましたが、少し詳しくご説明いただけますか?

松井 間合いの操作というのは、普通は自分の制空圏を知って、相手(ないし自分)がその間合いに入ったときに、なんらかが生じるということですね。でも、それが、何も生じずに不用意に距離を縮めてしまう選手が多い。同様に出入りの技術もなくなっています。この「間合いを操作する」という意識が希薄で、技術をもっと鍛えないと......。

それから技の正確さも微妙で、打撃には距離と攻撃と効果が必要なんですよ。そこでセミコンタクトは、「当てていいけど、正確でなければポイントにならない」というルールにしたわけです。

赤石師範代を相手に見せてくれる館長の突きや蹴り。すっと身体が動いて、パッと相手に攻撃が届き、また、すっと元の体勢へ。足を上げたまま、ドラゴン先生に動きのポイントを解説するほど、余裕があるのはさすが

――正確であってこその「一撃必殺」。

松井 そう、組手なのに一発で決められない技を出して、なんの意味があるのかと。人には肉体的、技術的、心理的なダメージというものがあるんです。相手が心理的に戦意喪失してしまうような、あるいは技術的に戦闘能力を奪ってしまうような......自分はそういう状況を作り出せばいい。正確な技を繰り出すために必要なことはなんなのか、それをやろう、と。

一発食らったら、よーし、俺も一発って、おおざっぱで、たとえば卓球やテニスのラリーのような精密な作業がないんですね。それを作ろう、そういう意識をもってフルコンタクトをやれば、変わる。これがセミコンタクトをやる意義です。

――以前、週プレNEWSではオリンピックの空手競技に関しての極真会館の取り組みをインタビューでお伺いしたことがあります。当時は他流派との大同団結の機会と捉えられていたのですが、その後の流れはいかがでしょう? オリンピックまであと2年を切ったこの時点で、あらためてお伺いします。

松井 極真の選手たちは全空連(全日本空手道連盟。日本オリンピック協会、日本スポーツ協会に加盟)の強化合宿に複数名参加して、ノンコンタクトの空手も上達しています。ただ、育成は進んでいるとはいえ、今回、採用された五輪代表選手の選考基準ではランキングやポイントが重要になります。ポイント認定された試合にどんどん出ていかなければいけないんですが、極真の選手はフルコンタクトの試合にも出場します。なかなか難しいでしょう。

――一発勝負の選考会とかあれば、また違いそうですが。

松井 システム的に次のオリンピックは難しいでしょうね。でも、現実に技術の習得は進んでいるから、次のパリ、それからロサンゼルスを視野に入れれば、そのときに適齢期を迎える選手たちはどんどん育つでしょう。

稽古終盤は道場全体に打ち解けた空気が流れる。館長にも白い歯を見せて笑うシーンが増えてきたような...。一方で、ドラゴン先生には、ちょっとした試練の時間が待ち構えているのだが、それは漫画作品で確認していただこう

――やはり、フルコンタクトとノンコンタクトとは、それだけ違うと。両方をやるということにはハードルが高いということですか。

松井 比喩を用いて説明しますと、現在、五輪世代の選手たちは、いわば20歳まで日本語だけで話をしていたのに、いきなり英語を勉強しなくてはいけなくなった状態なんですね。それでも稽古すれば、会話はできるようになるだろうけれど、発音などはネイティブじゃないわけで。意味は理解できても、文法など小さな助詞や接続詞、形容詞とかいった深いところは習得が難しい。

しかし、今、より若い子供たちの世界にとっては、環境をつくれば、インターナショナルスクールのようなもので、英語も日本語も難なく使い分けできるようになるはずです。それは5年後、10年後の話だろうと思いますけれど。

――極真育ちの選手がオリンピックの舞台に立つというのは、先のことになりそうですね。しかし、期待はできる、と。

松井 極真の空手もオリンピックの空手も、同じ空手です。だから、オリンピックに出たい選手が極真にいるなら、そちらに進むのもいいと思います。いずれ問われるのは空手の内容。極真で得た空手の内容を深めて、高めてさえいれば、いいわけで。

子供の頃に極真の道場でいろいろな経験を積んだ選手が、高校、大学でオリンピック競技のなかでの空手をやるようになったとする。その子には、極真会館のなかで身につけた理念や精神性をもって、その延長線上でオリンピックに出るということが大切だと考えます。そして願わくば極真の心技体の何らかを反映して活躍してほしいと思います。

――極真空手も精神性や理念といった「変わらないもの」と、セミコンタクトルールの採用など「変えるもの」とを両立させたところに、未来があるということですね。長い時間、密度の濃いお話を伺えました。本日はどうもありがとうございました。

(取材協力/国際空手道連盟 極真会館 http://www.kyokushinkaikan.org

■連載漫画『50代の☆ リアル体験入門 ドラゴン先生格闘ロード』第5闘:国際空手道連盟 極真会館編は週プレNEWSで配信中!

■松井章奎(まつい・しょうけい)
1963年1月15日東京生まれ。13歳で極真空手に入門。入門後約1年で初段取得。1984年の第3回全世界大会で3位に入ると、翌1985年には全日本大会優勝、国内極真空手の頂点に立つ(翌年、連覇)。1986年、中央大学を卒業し、まもなく空手回最大の荒行といわれる「百人組手」を完遂する。1987年には全世界大会でついに優勝を収めた。本部直轄浅草道場支部長を経て、1994年、極真会館の館長に就任する。国内の組織運営はもちろん、世界各地を訪問し、技術指導や後輩の育成にあたっている。