かつて、日本の代表チームが世界の頂点へあと一歩まで迫ったことがある。1999年、フィリップ・トルシエ監督率いるU-20日本代表がワールドユース選手権(現U-20W杯)で準優勝――20年前、「黄金世代」と称された面々が刻んだ伝説である。今、その舞台裏を振り返り、アジア杯に挑む森保ジャパンへのエールとしたい。
5日連続で主力選手たちのインタビューを配信。第2回目は永井雄一郎選手に聞いた。
■このチームは本当に「強い」と思った
自分は(前回大会の)1997年ワールドユースを経験し、期待されて(99年ワールドユースに臨む)チームに合流したんですけど、大会中は苦しみましたね。アフリカの暑さにもうまく順応できず、あまり動けていなかったし、結果も出せていなかったので。正直「自分はチームの役に立っているのかな......」という思いがずっとあったんです。
現に、それを象徴するようなシーンが(グループリーグ第3戦の)イングランド戦であって......。夢中で裏に抜けたのはよかったんですけど、1対1の決定的なシーンでシュートを外してしまったんです。「やっちゃったなぁ~」って思いましたね。
97年大会でも、大会に入る前までの練習試合では点が取れていたんですけど、本番では思うようにいかなくて......。そのときの自分とかぶり始めていて、「これはマズいな」って思っていました。
チームについては、(小野)伸二をはじめ、モト(本山雅志)や(小笠原)満男ら、みんなの能力の高さを感じていました。みんな落ち着いてプレーしているし、試合のなかでちゃんと自分の能力を発揮できる選手ばかりでした。
しかも、監督に言われたことだけをやるんじゃなくて、それにプラスアルファしたものを出していく。このチームは「本当に強い」と思いましたし、逆にそこで自分はちょっと置いていかれているような感覚がありました。
だから、準決勝のウルグアイ戦で点が取れたときはうれしかったです。
点が取れないなか、トルシエ監督はずっとスタメンで起用してくれていたんです。練習では、暑いなか「冷やせ」って髪の毛を引っ張られて、水の入ったバケツに頭を入れられて、「なんだよ」って思うこともありました。初戦に負けた後には、「日本食ばっかり食っているから負けるんだ。現地のモノを食え」って言われて、ヤギの肉を食べさせられもしました。
そんなおっさんでしたけど、点を入れたとき、ベンチに向かって走っていったのは、トルシエ監督が辛抱して起用してくれたことへの、感謝の気持ちがあったんだと思います。
準優勝してうれしかったけど、自分の現状を痛いほど思い知らされた大会でした。伸二たちの活躍ぶりを見ても、「こんなに差がついている。ヤバい」と思った。そんな実力が足りないなかで、1点取れて本当によかった。あのゴールがあったからこそ、みんなで「準優勝だ」って喜べた。あのゴールがなかったら、マジで地獄でしたね。
★南雄太「世界との距離を縮めるきっかけになった世界2位」~ザ・黄金世代 日本サッカー伝説の瞬間【3】
●永井雄一郎(ながい・ゆういちろう
1979年2月14日生まれ、東京都出身。FIFTY CLUB(神奈川県社会人1部)所属のFW。三菱養和SC→浦和レッズ→カールスルーエ(ドイツ)→浦和→清水エスパルス→横浜FC→アルテリーヴォ和歌山(関西1部)→ザスパクサツ群馬
■『週刊プレイボーイ』3・4合併号(1月4日発売)『ザ・黄金世代 日本サッカー「伝説の瞬間」』より