2020-2021シーズンは、1月のラハティ大会で荻原健司に並ぶ日本人最多タイのW杯通算19勝目を挙げた。写真は準優勝を果たした3月のクリンゲンタール大会のもの(写真/picture alliance/アフロ) 2020-2021シーズンは、1月のラハティ大会で荻原健司に並ぶ日本人最多タイのW杯通算19勝目を挙げた。写真は準優勝を果たした3月のクリンゲンタール大会のもの(写真/picture alliance/アフロ)

瞬発力を要するジャンプと、持久力が問われるクロスカントリーを組み合わせた過酷なスキー競技、ノルディック複合。

この種目で2006年のトリノ五輪から4大会にわたり出場を続け、ソチと平昌(ピョンチャン)では2大会連続の銀メダルを獲得したのが日本の第一人者、渡部暁斗(北野建設所属)だ。

W杯総合優勝も果たした"孤高の王者"にとって、五輪制覇とはいったいなんなのか。人気スポーツキャスター・中川絵美里(なかがわ・えみり)が直撃した(この記事は、2021年12月13日発売の週刊プレイボーイ52号に掲載された記事に、一部修正を加えたものです)。

■夏季五輪の新種目に大きな刺激を受けた

中川 北京2022冬季五輪が2月4日に開幕します。今の心境、コンディションはいかがですか?

渡部 上がってきましたね。夏にトレーニングをしすぎて調子を落としてしまったんですけど、今は回復していい方向に向かっています。

中川 いまだ収束の兆しが見えない新型コロナですが、ほとんどのアスリートの方が多大な影響を受けたとおっしゃっていました。渡部選手も同じでしたか?

渡部 それが、僕の場合は特に影響はなかったんですよ。競技のシーズンと新型コロナの感染拡大期、ピークがかぶらなかったせいか、ほぼ従来どおりの流れで過ごすことができましたね。

中川 では競技において、メンタル面で不安になるということはなかったわけですね。

渡部 ええ。それと、行動が制限されたことによって自分のスポーツへの向き合い方をあらためて見つめ直す時間がつくれました。

中川 見つめ直すことで、どんな考えに至りましたか?

渡部 まず考えたのは、このような未曽有の事態でのスポーツの立ち位置ですね。それこそ、医療従事者の方々が頑張ってくれて、社会がなんとか保たれているけど、スポーツは余裕があるからこそ皆が楽しめるもの。

練習ができない、大会がないから不安だというのは、緊急事態宣言下では最優先事項ではない。だからこそ逆にスポーツができるありがたみを感じることができました。変な話だけど、ポジティブになれましたね。

自宅にて座禅を組む。自分を深く知るために「無心」になることを目的に、2014年ソチ五輪の前から取り組みだしたという ©ファーストトラック株式会社 自宅にて座禅を組む。自分を深く知るために「無心」になることを目的に、2014年ソチ五輪の前から取り組みだしたという ©ファーストトラック株式会社

中川 夏に行なわれた東京五輪はぎりぎりまで開催できるかどうかが不透明でした。同じアスリートとして、あの状況をどうとらえていましたか?

渡部 出場された選手たちはものすごく大変だったと思います。今まで前例のない準備の仕方をせざるをえず、さらに結果も出さなければならなかったわけですから。その点、僕ら冬季五輪の選手たちは、夏季五輪を前例にすることができる。これは大きいです。

中川 東京五輪で印象に残った競技や選手はいますか?

渡部 新しい競技ですね。東京五輪から採用されたスケートボードとかBMX、スポーツクライミング。もちろん、多くの日本人選手がメダルを獲(と)ったことも素晴らしいと思いますが、何よりも選手たちの競技に取り組む姿勢が印象に残ってますね。

中川 競技中の雰囲気みたいなものですか?

渡部 はい。選手は皆当然、メダルを目指しているんだけど、そもそも、その競技が本当に好きで向き合っているのが伝わってきたんですよね。結果がすべてじゃないっていう。僕がコロナ禍のなかで考えていたスポーツの新しい形が、東京五輪で見えた気がしましたね。

中川 この連載に以前ご登場いただいたスケートボードの堀米雄斗(ほりごめ・ゆうと)選手が、「対戦相手はライバルではなく一緒に戦う仲間」というようなお話をされていました。渡部選手の目にも新鮮に映りましたか?

渡部 そうですね。本来、僕らの競技もそんな感じなんですよ。今までの五輪は、どうしてもメダルの色ばかりがクローズアップされていて、選手同士が声をかけ合う場面はあまり取り上げられていなかったと思うんです。でも、東京五輪ではそれが前面に出ていて。新しい時代に入ったと感じました。

■長野五輪の熱気が今も忘れられない

中川 渡部選手のルーツについてお聞きします。ご出身は長野県の白馬村。1998年に開催された長野冬季五輪の会場です。そんな環境だからこそ、スキー競技にはごく自然と入っていけたのですか?

渡部 はい。遊びのひとつですよね、子供時代は。競うとかではなくて、冬になったらスキーを履いて山に行くというのが日常のひとコマでした。

中川 出身小学校の授業にはスキーが組み込まれていて、校内にはジャンプ台があるとか。地元の子供たちにとっては当たり前だと?

渡部 ええ。冬場は、体育の授業が基本的にスキー。しかも、白馬村の小学校は全国でもかなり特殊で、ジャンプ台はもちろん、校庭ではクロスカントリーもやるし、アルペンスキーの授業もゲレンデに行ってやります。

中川 すごい環境ですね。となると、渡部選手は小学生時代からスキー競技にのめり込んでいったのでしょうか?

渡部 いや、普通に生活の一部だったので、そこまでは。当時、僕はテレビゲームにはまっていたので、将来的にはそれで食っていけないかなって考えてました(笑)。

中川 プロゲーマー志望?

渡部 ええ。今でいうところのeスポーツですか。もし僕が今の時代に小学生だとしたら、間違いなくその選手を目指したでしょうね。

中川 では、競技としてやっていこうと思ったきっかけは?

渡部 それこそ長野五輪で、スキージャンプの団体戦を直接、母と見に行ったのがきっかけでした。当時の映像を見てもらえればわかりますが、現地はすさまじい吹雪で。目の前が真っ白で何も見えない。ジャンプ台からも遠かったから、何がなんだかわからない。

でも強烈だったのが、歓声と熱気。何万人もの観客が見守るなか、"日の丸飛行隊"が金メダルを獲った。あの瞬間の会場のエネルギーって、ものすごかったんですよ。それで、僕の中にある何かのスイッチが押されたんですよね。

中川 あのときの4人の活躍はすごかったですよね。

渡部 小学校3年の冬でした。僕もこれまで選手として、それなりに五輪などの大きな大会に出場してきましたけど、あの長野五輪を超える熱気はいまだに味わっていません。

中川 そこから、ノルディック複合にはいつ頃から専念されるようになったんですか?

渡部 中学1年です。強制でした(苦笑)。本当はジャンプの選手になりたかったんですよ。長野五輪のジャンプがきっかけで競技者を目指したので。でも長野県では、ジャンプの選手を目指すには中学校までは複合をやらなきゃいけないしきたりがあって。

なので、クロスカントリーの板を履いて、レースに出ていました。高校生になったら絶対にやめてやるって思いながら、渋々取り組んでいたんですが......。

中川 どうなりましたか?

渡部 複合のほうがいい結果が出ちゃったんですよね。向いていたんでしょうね。

中川 で、腹をくくったわけですか。

渡部 はい。ジャンプも飛べるし、ま、いいかと(笑)。

昨年の10月、代表チームの合宿を行なったオーストリアのインスブルックにて。現地は、雪がなくても使用できるジャンプ台を備えている  ©ファーストトラック株式会社 昨年の10月、代表チームの合宿を行なったオーストリアのインスブルックにて。現地は、雪がなくても使用できるジャンプ台を備えている  ©ファーストトラック株式会社

■昔よりも今のほうが体の調子はいい

中川 同じスキー競技でも、ジャンプとクロスカントリーはまったく別物だと思いますが、おのおのを制するために大切なことはなんでしょうか?

渡部 自分のことを知らないと、どっちつかずになるということですかね。

中川 それは体ですか?

渡部 ええ。体もそうですし、精神面も深く知っておかないと、相反するふたつの種目でバランスを取りながら続けていくのは難しいです。

中川 よくいわれるのは、ジャンプは瞬発力、クロスカントリーは持久力ということ。これらの、対極の種目をどちらも極めるのは決して容易なことではないですよね。

渡部 ええ。両方とも極めるのは不可能ですね。何かを鍛えて足した分、代わりに別の何かを諦めなきゃいけない。あれもこれもは無理なんです。足し算のスポーツではないんですよ。精神的にも、日々何かを得ると同時に何かを失うことの繰り返しですしね。

中川 かつて渡部選手が強化の方向性を変えて、クロスカントリーでの走力アップのために筋力トレーニングを増やしたところ、そのシーズンは悪い方向に流れが行ってしまったとか。筋肉がついたことで体重も増えて、ジャンプに影響が出てしまった、と?

渡部 はい。ジャンプだと、体重が軽ければその分、滞空時間は伸びますので、有利に働きます。でも、一方のクロスカントリーに置き換えると、パワー不足。スピードが出せない。なので、一方を求めるとなれば一方を諦めなきゃいけない。天秤(てんびん)の釣り合いを取るように、どこかで折り合いをつけないとダメなんです。

中川 トレーニングではどんな工夫をされていますか? 

渡部 「自分の競技のためにトレーニングしないこと」です。

中川 と、おっしゃいますと?

渡部 何か別のスポーツを参考にしてトレーニングするときって、どうしても自分の競技につなげようとしがちです。この動きはジャンプ強化につながる、あの動きはクロスカントリーに似てる、とか。でもそれをやっちゃうと、うわべだけになってしまいます。そのスポーツの本質が見えてこない。

だから、例えば自転車に乗るにしても、ひたすら自転車を極めることに集中する。そうすれば、自分の体を深く知ることにつながり、結果、自分の競技にも返ってくるというわけです。

中川 深いですね。自分をよく知るためにいろいろなことをやられてきたと思うのですが、具体例を教えてください。

渡部 自転車、水泳、ランニング。でも、ただ走るだけじゃなくて、どうやって速く走れるか徹底的に研究して。それと、空手や古武術、ピラティス、クライミング。いろいろやりました。

中川 あらゆるスポーツにトライすることで、自分の体を知っていくと、複合に対する理解もより深まるというわけですね。それに比例して、年々コンディションも上がってきたのでしょうか?

渡部 理解も深まりましたし、何よりもパフォーマンスが安定してきたと思います。僕らはシーズン中、土日で2試合こなして、また次の場所に移動するという流れなんですが、土曜日は良くても日曜がダメということが、昔は多かったんですよ。でも、今はそんなブレがほぼなくなりましたね。

中川 アスリートの宿命として、年齢を重ねるごとに体力面がダウンするのはどうしても避けられないと思うんですけど、渡部選手は違うわけですね。

渡部 ええ、たぶん、今が一番体の状態はいいです。チームに帯同してくれているトレーナーにも言われるんですよ。年々良くなっていると。もちろん、出力は年齢が上がるにつれて減少傾向にあります。けれど、回復力については無理しない分、早いです。少ない労力で最大限の力を発揮できるところまで近づいているという実感があります。

■「レースは面白く」という美学

中川 スキー競技というと、人間がコントロールできない「自然」とも対峙(たいじ)しなければならないですよね。今までどのように向き合ってきましたか?

渡部 昔は、競技中に悪天候でよくない風に当たったりするとボヤいていました。でも、現在は違いますね。アウトドア競技の宿命なんだから仕方ないんだ、と。

中川 自然にあらがうことなく、身を任せるという考えにシフトしたわけですね。

渡部 ええ。僕は、バックカントリー(スキー場などの管理された区域外でスキーをすること)や夏の登山など一年を通じて頻繁に山へ入るので、自然の厳しさはよくわかっているつもりです。本当に生死を分ける瞬間があるんですよ。

そんなことを幾度も経験していくと、生きているだけでありがたいと思える。やっぱり自然ってすごいパワーを持ってますよ。それに生かされているということを理解するだけで、全然違います。

中川 では、今はその泰然としたスタンスになったからこそ、コンスタントに結果を残せるようになったわけですね。

渡部 そうですね、すべてを受け入れているからですかね。自然条件の良しあしもそうですし、競技結果が悪かったらどうしようとか、ごちゃごちゃと考えなくなったので。どんな状況だったとしても、自分のやるべきことは変わらないと思えば、自分が安定します。よって、成績も安定しますね。

中川 なるほど。でも、そこは人間ですから、必ずしも毎回うまくいくというわけではないですよね? 例えば、ジャンプで結果が思うように残せなかった場合、そこからクロスカントリーに移る際には気持ちを切り替えるのは難しいのではないですか?

渡部 確かに、ジャンプでうまくいかないときはありますね。......スキージャンプって、滑っている時間は正味5秒程度なんです。それなのに、ジャンプ台の上まで移動するのに30分くらいかかったりします。

順番待ちも長いですしね。その間、いやが応でも考える時間があるわけです。僕は割と煩悩まみれの人間なので(笑)、雑念も生じます。「やっぱり道具を変えたほうがいいかな」とか、競技と全然関係ない、朝食時の妻とのケンカを思い出したり。

中川 トップアスリートも、そこは血の通った人間ですね(笑)。そんなときはどのように打開していくんですか?

渡部 レースを楽しむことですね。今日はどのようにレースを展開していったら面白くなるか、それを考えることで気持ちも落ち着きます。

中川 クロスカントリーは周りの競走相手との駆け引きが必要になってくると思うんですけど、渡部選手がレースに臨む上で大事にしていることはなんですか?

渡部 自分が楽しむことに加えて、レースを面白くすることですね。結果を出すために選手が皆、駆け引きでスピードを落として、ダラダラと進んでいくのはつまらない。自分が一観客だとしたら、そんなレースは見たくない。

中川 2018年の平昌(ピョンチャン)五輪では、渡部選手がドイツ勢の集団の中に突っ込んでいって、積極的にレースを引っ張っていく姿が鮮烈でした。

渡部 あれで優勝してたら、完璧だったんですけどね......。ヨーロッパの選手は率直に言ってくるんですよ。「おまえ、バカだな、あそこで出ちゃうから勝てないんだよ」って。彼らにとっては結果がすべてなので。

でも、僕には僕のレースの美学があって、貫いています。見ていて面白いレースをして、その上で勝つ。それが一番カッコいいと思うし、どうせやるなら後ろめたさの残らない、自分の気持ちのいいやり方で勝ちたい。

■長い選手人生の秘訣は地元の......

中川 今度の北京で、冬季五輪出場は5度目になります。初めてのトリノから16年、金メダルを追い続けるのは心身共に大変だと思うのですが。

渡部 つらいときはたくさんありましたけど、そこはたぶん僕の"なから"の精神が功を奏しているんじゃないかなと。

中川 "なから"ですか?

渡部 長野県の方言に、"なから"というのがあって。「だいたい」っていう意味なんです。なんでも腹八分目でいいだろうと。だから、僕も10割出し切るのではなく、8割にとどめておく。100パーセント競技に注力していたら、もうとっくに気持ちが切れていたと思います。

なんでも完全にはやり切らない。抜くところは抜く。そういう性格が複合に向いているんです。だから長く続けられているし、競技と私生活の両立もなんとかやれているんだと思います。

中川 つらいと思ったときに奮い立たせるものは、どんなところにありますか?

渡部 向き合い続けることですね。その気持ちに。なんでつらいのかっていうのを、とにかく自分に投げかけ続ける。自問自答ですね。それで、折れている心をテープで巻いて、立ち続けるという感じです(笑)。

中川 平昌五輪のシーズンには、W杯での総合優勝を果たされています。長年追い求めてきた夢を叶(かな)えて、達成感と同時に"燃え尽きた"というのはありませんでしたか?

渡部 確かに、自分の中では頂点中の頂点を極められたから、すごくうれしかった。11月から3月までほぼ毎週末戦い続けて、最後の最後で決まったわけで。終了後、気持ちが切れかけたのも事実です。

実際、その後の2シーズンは、成績はそれなりだったけどパフォーマンスは良くなかった。でも、そこまでボロボロになってつかんだ総合優勝だったけど、周囲の反応は正直薄くて。

周りの反応を実は求めていたという自分に対しての驚きもあったし、「本当のチャンピオンってなんなんだろう」って、よくわからなくなったんです。

2017~2018年シーズンに悲願のW杯総合優勝を果たし、目標を見失いかけた時期もあった。「真のチャンピオンとはどういう存在なのか、どういうレースをしたら、どういう振る舞いをすればチャンピオンっぽく見えるのか、いやというほど考えた」 2017~2018年シーズンに悲願のW杯総合優勝を果たし、目標を見失いかけた時期もあった。「真のチャンピオンとはどういう存在なのか、どういうレースをしたら、どういう振る舞いをすればチャンピオンっぽく見えるのか、いやというほど考えた」

中川 五輪の銀メダルのほうが、周囲の反応は大きかった?

渡部 そうなんですよ。僕は、4年に一度、1日で決まる五輪の優勝よりも、年間二十数試合こなして、W杯総合優勝を果たすほうが真の王者だと、ずっと思っていました。でも最近になって、五輪という一発勝負で結果を出す、その一日を盛り上げるのも大いにアリだろうと思えるようになりました。

僕はまだ「W杯総合優勝」という山の頂点しか立ったことがない。だからもうひとつの山、すなわち「五輪金メダル」という山の頂にも立って、両方のてっぺんからの景色を知る、そのとき、本当のチャンピオンとは何かという僕が探し求めていた答えが見つかる気がします。

平昌五輪の年、W杯総合優勝に加えて五輪も勝とうとしましたが、同時にふたつの山頂というのは無理でした。このふたつは、全然違う山なんです。登頂するためには違う準備がいる。同じだという人もいるかもしれないけど、僕はそこまで器用じゃなかった。

中川 ということは今回は、渡部選手が「初めて」本気で五輪金メダルを獲りにいく、そういう大会になるということでしょうか?

渡部 はい。そう思っていただいて間違いありません。

●渡部暁斗(わたべ・あきと)
1988年5月26日生まれ、長野県出身。2006年、白馬高校在学中にトリノ五輪に出場。09年には世界選手権団体戦で金メダルを獲得。14年のソチ五輪では、日本人として20年ぶりふたり目となる個人戦ノーマルヒルでの銀メダルを獲得。続く18年平昌五輪でも個人戦ノーマルヒルで銀メダルに輝き、17-18年シーズンにはW杯総合優勝の偉業を達成した

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。2017年より『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めるほか、TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週木曜27:30~)のパーソナリティを担当

スタイリング/武久真理江 ヘア&メイク/石岡悠希 衣装協力/ICB 

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