2001年12月に沙知代(さちよ)夫人の脱税スキャンダルで阪神を追われてから約1年後、社会人野球・シダックスのGM兼監督に就任した名将・野村克也。05年秋に楽天の監督としてプロ野球界にカムバックするまでの3年間を、のちに「あの頃が一番楽しかった」と振り返ったという。
当時、「スポーツ報知」のアマチュア野球担当記者としてその3年間を追い続けた加藤弘士(ひろし)氏が、あらためて多くの関係者たちを取材し、野村氏の没後2年に当たるこの春、上梓(じょうし)したのが『砂まみれの名将 野村克也の1140日』だ。
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――この本は名将の復活物語でありながら、組織論やリーダー論としても読まれています。また、これまで野村さんの自著を何冊も読んできたような人にとっても、新発見がたくさんあります。最後にはあっと驚くような情報も......。
加藤 野村監督はベストセラー作家でもあるので、過去に200冊出たといわれる「野村本」とは違うものを作ろうと意識しました。監督のウィキペディアを見ても、シダックス時代の記述は非常に短いんですよ。
あの3年間、ずっと番記者だったのは僕だけですし、もしかしたら歴史として書き残せるのは自分しかいないのかなと、勝手な使命感を持って書きました。
――東京・調布にあったシダックスの練習場で初めて野村さんを見たときの印象は?
加藤 もう、違和感しかないですよね。あの野村克也が、日よけも雨よけもない空き地のようなグラウンドで、砂ぼこりで顔を真っ黒にしている。僕はうっかり「こんなひどい所でやってるんですか」と言ってしまって、怒られるかなと思ったんですが、監督は「野原でやるから『野球』なんだよ」とうれしそうに話してくれて。
――加藤さんは入社後、広告営業を6年間されていて、野球記者としてのキャリアはアマチュア担当からのスタートだったんですよね。
加藤 はい。ヤクルトや阪神の監督時代を間近で見てきた人からすると、落ちぶれたような印象すら持ったかもしれません。でも、プロ野球のキラキラした世界を知らなかった当時の僕は、あの環境で快活に選手たちを指導している監督に素直に魅了されていきました。
――シダックス野球部は06年に廃部となってしまいましたが、当時はキューバから選手を獲得するなど、社会人の新興チームとして独特な存在感があった。野村さんを招聘(しょうへい)したシダックスの志太勤(しだ・つとむ)会長はどんな人ですか?
加藤 "風雲児"ですよね。高卒からの叩き上げの創業者で、ゼロから給食ビジネスやカラオケ事業(18年に売却)を立ち上げて成功に導いた。プロとアマの間に厳然たる壁があった当時、社会人チームに野村克也を招聘しようなんて普通は思いません。固定観念にとらわれない会長の性格が、野村監督と波長が合った部分もあると思います。
――加藤さんはその後、楽天監督時代の番記者もされていますが、シダックスでの指導はどんなものだったんですか?
加藤 楽天ではおそらく年齢的なこともあり、もう実技指導はやっていませんでした。しかしシダックスでは、バットを自ら持って選手たちに直接教えていた。かつて三冠王を獲(と)った打撃の神髄を自ら汗をかいて伝えたのは、シダックス時代が最後だったんです。
あの野村克也が自ら壁を取り払って、偉ぶることなく寄り添い、試合後には必ず反省会を開いて、それぞれの選手に気づいたことを指摘していく。今にして思えば、選手たちにとっては本当に宝物のような時間だったと思います。
選手たちも何かを吸収しようと必死で、例えば監督が「本を読め」と言えば、それまでは『パチンコ必勝ガイド』くらいしか読まなかった彼らが、寮で本を読み始めたそうです。
――そんな日々のなかで、野村さんに変化はありましたか?
加藤 当初はやはり阪神での3年連続最下位、そして沙知代さんのスキャンダルの"影"がありました。それがシダックスの赤いユニフォームを着て、現役監督として指導し、本当に生き生きとしてきたんですね。
ボヤキ、"毒ガス"もどんどん冴(さ)えわたって(笑)。「野村再生工場」という言葉は有名ですが、シダックス時代は監督自身が再生した3年間だったんじゃないかと思います。
一方、プロの世界に戻るまでの道筋を描き、主導していったのは沙知代さんでした。自分のせいで球界を追われた野村克也をもう一度晴れ舞台に、というその強い執念がこの本の裏テーマでもあるんですが、しかし、プロに戻るとき、監督は沙知代さんと大ゲンカしたそうです。なんで戻すんだ、俺は社会人でよかったんだ、と。
――シダックス、楽天と間近で見られてきて、野村監督というのはどんな指揮官でしたか?
加藤 マネジメントに優れ、選手を惹(ひ)きつけるカリスマ性、言葉でチームをひとつにする力も秀でている。さらにマスコミ対策も巧みで、紙面を取る、テレビの尺を取るために意図的に"口撃"を仕掛けることも多かったですよね。
そのさまざまな面を、教え子たちも引き継いでいる気がします。マスコミ対策は日本ハム・新庄剛志BIGBOSS、チームをまとめる言葉力はヤクルト・高津臣吾監督......。
――今、NPBの現役監督には野村さんの教え子が5人います(ほかに楽天・石井一久監督、西武・辻発彦監督、阪神・矢野燿大[あきひろ]監督)。「元監督」まで含めたら相当な人数になりますね。
加藤 侍ジャパンの栗山英樹監督、稲葉篤紀(あつのり)前監督もそうですし、実はプロだけでなく、シダックス時代の教え子たちも、高校、大学、社会人、いろいろなところで指導者をやっています。「人を遺(のこ)す」ということに関しても、やっぱりものすごい方でした。
――そして、この本ではID野球だ、名監督だ、という前に、野村さんの人として魅力的な部分を描かれているのが印象的でした。
加藤 「サッチー(沙知代夫人)に携帯を折られちゃって、しばらく電話はつながらないよ」なんていうときもありましたし、チャーミングなんですよね。シダックス時代は本当にいろいろな話をさせていただきました。ちなみに、恋愛の話をしたときは、「人妻はやめとけ」と。野村さんがそれを言うと重い(笑)。これだけは守ろうと思いました。
●加藤弘士(かとう・ひろし)
1974年生まれ、茨城県水戸市出身。水戸一高、慶應義塾大学を卒業後、97年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当として野村シダックスを追いかける。09年にはプロ野球・楽天担当記者として野村氏の監督最終年も取材し、「今季限りで退任」の第一報を打った。その後、アマチュア野球キャップ、巨人や西武などの担当記者、野球デスクを経て、現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。スポーツ報知公式YouTube『報知プロ野球チャンネル』のメインMCも務めている
■『砂まみれの名将 野村克也の1140日』
新潮社 1650円(税込)
解任同然で阪神監督を辞任してから1年、存続が危ぶまれるシダックス野球部に再建の切り札として招聘された国民的名将は、プロとはまったく違う環境にも腐ることなく純粋に野球を楽しみながらチームを変え、自身も変わっていった。都市対抗制覇を目指し、野間口貴彦(元巨人)、武田勝(元日本ハム)、森福允彦(元ソフトバンク)ら7名をNPBに送り込んだ野村シダックスの3年間、そして楽天監督就任の舞台裏が明かされる。発売直後から大反響、現在4刷!