2月の北京五輪で、日本勢24年ぶりとなるスキージャンプ個人の金メダルを獲得。他を寄せつけぬ別次元の飛翔力から、ついたあだ名は"宇宙人"。
世界中のスキージャンパーから尊敬と羨望を集める孤高の天才・小林陵侑(りょうゆう)(スキージャンプ 2022北京五輪金メダリスト/土屋ホーム所属)が本音で語る頂点までの道程、苦悩、葛藤、そして日本ジャンプ界への提言――。スポーツキャスター・中川絵美里が聞く。
■新型コロナ陽性反応と"失格"判定で大ピンチ
中川 2月に行なわれた北京五輪での金、銀メダルをはじめ、21-22年シーズンのW杯総合優勝、ジャンプ週間総合優勝と大活躍でした。振り返っていかがですか?
小林 すごく長いシーズンだったなと。11月頭から、翌年3月までのワンシーズンを通じて日本に帰れないのはその前の20-21年シーズンも同様だったんですが、今回はさらに五輪もあったので、気疲れした面もあったと思います。
中川 五輪で金メダルを獲(と)った選手は皆さん、反響がすさまじかったと言っていました。特に、お祝いメッセージの件数がものすごいと。
小林 確かにすごかったです。昨日、久しぶりに会った人に「LINE、ちゃんと返せよ」って怒られちゃいました(笑)。返したつもりが、全然返し切れていないですね。
中川 でも、たくさんの方々から祝福されるのはうれしいですよね。
小林 全部うれしかったです。僕、音楽が好きで、以前から交流させていただいているアーティストの方だったり、その周りの方々もすごく喜んでくれて。実感が湧きました。
中川 18年の平昌(ピョンチャン)で五輪初出場。そこから北京に至るまでの4年間は、コロナ禍もあって決して平坦(へいたん)な道のりではなかったと思うのですが。
小林 ええ、特に僕ら日本人にとっては厳しかったですね。
中川 動画で拝見しましたが、夏場、海外へ遠征に行くことができないなど、調整が非常に困難だったそうですね。
小林 はい。コロナ禍でがんじがらめになり、簡単に出入国ができない状況で。何をやったらいいかわからなくなって気持ちが疲弊しましたね。
中川 だから、シーズン中はほぼ帰国できなかったというわけですね。
小林 ほぼ、ではなくて、まったくできませんでした。
中川 しかも、去年の11月末にはフィンランドでのW杯第3戦後に陽性反応が出てしまいました。海外でそういった状況に陥ると相当不安ですよね。
小林 そうですね。無症状ではあったんですが、ホテルに完全隔離でした。
中川 そんな隔離状態ならば、当然ろくにトレーニングもできないわけですよね。
小林 そうです。部屋の中でできる「リモートトレーニング」は最大限やりましたけど、やっぱり限界があるじゃないですか。モチベーションを保つのが難しい。キツかったですね。
中川 そういった苦しい状況を打破するために、どのようにして気持ちの切り替えを?
小林 どうだったかな......。シーズン当初はW杯の総合優勝を狙おうと、コンディションは絶好調だったんです。それが、ロシアでの第2戦(21年11月21日)の予選で失格になってしまいまして。
中川 「ジャンプスーツの規定違反」ということでしたよね。ベルト部分の余裕が通常4㎜という規定に対して、小林選手は痩せてしまったために、10㎜のゆとりができてしまった。ジャンプスーツがブカブカになれば飛んでいる際に空気が入って、浮力が出るという理由でそこをチェックされたんですね。
小林 第3戦でシーズン初優勝できたんですが、11月28日に陽性反応が出て。焦りましたね。2戦終わった時点で0ポイントでしたからね。完全に出遅れちゃったなぁって。
でも、そこでふと考えたんです。これはどうあがいても無駄だなと。だったら、受け入れるしかないのかなって。それに、新型コロナで欠場となった試合のジャンプ台はあんまり好きじゃなかったから、ちょうどよかったのかもと思うようにしたんです。
中川 開き直ることも大事なんですね。
小林 ですね。おかげで終盤はポジティブに戦うことができました。
■北京五輪での優勝、準優勝の瞬間
中川 総合優勝を目前にして、W杯はいったん中断。北京五輪に乗り込んだわけですが、選手にとっては形状が難しいジャンプ台だったそうですね。
小林 難しかったですね。正直言って苦手でした。
中川 具体的にどんな点が?
小林 どうしてもフライト(飛行)が超低くなるんで、全然面白くないんですよね。
中川 やはり、フライトは高いほうが面白いわけですね。技術的な面ではいかがでしたか?
小林 やっぱり難しかったです。でも、選手全員が初めてのジャンプ台でしたし、条件はイーブンですからね。
中川 では、練習で感覚をつかんでいって。
小林 ええ。ただ、予選日までは最悪でした。でも、そこを気にしたところで仕方ないですしね。割り切って臨みました。
中川 迎えたノーマルヒルの本番は、予選4位通過、決勝では1本目で104・5mの大ジャンプを記録しました。ほかの上位陣は皆、追い風で軒並み記録を伸ばせませんでしたが。
小林 周りの選手のジャンプを見てなかったんでわからないんですけど、自分としてはいい動きができたかなと。ちゃんとテレマーク(安定した、理想的な着地姿勢)も入れられたんで、いい一本でしたね。
中川 練習では微妙だったところから、予選、決勝では手応えがつかめたんですね。
小林 ええ。いろいろ試すよりも、この際、フィーリングでいったほうがいいだろうと。
中川 風などは好条件ではなかったと思うのですが、あまり気にしないほうですか?
小林 普段から気にしないです。飛んだ結果がすべてなんで。
中川 2本目も安定したジャンプでしたが、1本目で大ジャンプを成功させると、2本目はプレッシャーになるのか、それとも気が楽になるのか、どちらですか?
小林 自分から見て、本当に強いと思ってた選手とのポイント差がけっこうあったので、ひどい失敗をしない限りは、ノーマルヒルだしひっくり返ることはないだろうって。だったら、気負わず、自分らしく、いいジャンプをしようと思いました。
中川 着地した瞬間、勝利を確信したかのように雄たけびを上げましたね。覚えていますか?
小林 覚えてます。あのとき、確かトップの想定ラインをギリギリ越えたかなってぐらいだったんで。これ、優勝は大丈夫かな?と一瞬思いつつ、一応喜んだっていう(笑)。
中川 ラージヒルも激闘でした。結果、金メダルを獲ったマリウス・リンビク選手(ノルウェー)が小林選手の直前で素晴らしいジャンプを見せました。ああいった場合、やはり意識せざるをえず、力んでしまいますか?
小林 力んでしまったと思います。ただ、彼とはタイプが違うというか、ジャンプの型もまったく違うので、純粋にすごいなと。そもそも、ジャンプって、2本ともそろえられたらすごいんです。本当に悔しかったけど、ラージヒルはリンビク選手でしたね。
中川 男子団体でも健闘されましたが、忘れられないのが、混合団体でのひとコマです。髙梨沙羅選手が失格となった際、小林選手がハグをしていましたが、同期であるとともに、例のスーツ規定違反が身に染みてわかるからだったのですか?
小林 そうですね。
中川 規定違反については、葛西紀明(のりあき)選手もテレビで「ルールを改正しないとダメ」とおっしゃっていましたが、小林選手はどう思われますか?
小林 沙羅が失格になった時点で、今季のルールはすごく変わるだろうって思いました。
中川 ルールはほぼ毎年変わるそうですね。
小林 ええ。前々からスーツの測り方についても、いろいろ議論が交わされていたんで、もっと明確に改正されることを願ってます。
中川 3年前、雑誌の取材で「北京五輪の金メダルと、W杯総合優勝をもう一度獲りたい」とおっしゃっていましたが、まさに有言実行でした。
小林 言霊(ことだま)ですね(笑)。
中川 平昌五輪からの4年間で、メンタル面でも成長したと実感されていますか?
小林 うーん、だいぶ成長できたと思います。もう26歳になっちゃうのかって、びっくりしてますが(笑)。
中川 具体的に、どんなところに成長を感じますか?
小林 あんまり動じなくなりましたね。シーズン中の新型コロナ陽性反応、規定違反による失格、いろいろ経験してきたので......。
■普段の自分は怖がりで本当にテキトー人間
中川 お話しさせていただいて感じたのは、非常に冷静で自己分析もしっかりされているなと。
小林 いや、そんなことないですよ。
中川 あれだけの高さからジャンプするわけですから、よほど肝も据わっているのだろうと思うのですが。
小林 いや、今オフシーズンで、いきなりすぐに飛べって言われたら、怖いですよ。シーズン始まって、最初の1本目とかはいまだに怖いです。
中川 なるほど。普段の性格などはどんな感じですか?
小林 普段ですか? 昨日まで家にいたんですけど、そのときはけっこう落ち込んでましたね(笑)。
中川 どうしてですか?
小林 なんでだったんだろう。疲れもあったと思うんですけど......ちょっと、ここでは言えないですね(笑)。
中川 シーズンオフでも忙しすぎて、自分、何やってんだろうって、なってしまいました?
小林 若干、なりました(笑)。気が抜けたというか。今回帰国して、久しぶりの自分のベッドで、12時間ぐらい寝てしまって。予定をふたつほど飛ばしちゃって、「俺、何やってんだろ」って、さらに落ち込むという。
中川 もうひとつ気になっていたんですが、五輪で金メダルを獲り、2度目のW杯総合優勝で、若干、燃え尽きた感はありますか?
小林 ああ、若干ありますけどね。でも、いろいろな人のスポーツや競技、ライブを見ることで、自分もまだまだ飛びたいって思いました。
中川 スキージャンプ以外のスポーツや音楽から刺激を受けたわけですね。最近、刺さったものはありますか?
小林 4月に千葉で開催されたXゲームズですかね。スケートボードの堀米(雄斗)君がゴールドを獲って。やっぱり、自国で活躍できたらカッコいいなって。それに、お世話になっているアーティストさんのステージを見て、魅せるのっていいなって思いました。
中川 小林選手の、そういったマインドをポジティブに変換できる力って、強みだと思うんです。その源流はどこにあるのか。親御さんの教育のたまものですか?
小林 どうなんですかね。
中川 小学生時代にお父さまの運転する車のヘッドライトで照らしてもらいつつ、夜の山道をランニングさせられたという話は......。
小林 本当です(笑)。
中川 やっぱり! お父さまはクロスカントリーの選手で、教員だそうですね。そのスパルタ教育が今に生きていると感じますか?
小林 はい。ああいう怖いというか厳しい親の元で育たなかったら、僕はどうなってたんだろうと。ただでさえ、テキトー人間なのに。父が厳しくなかったら、テキトーすぎて終わってたと思います。
中川 もうひとり、小林選手にとってかけがえのない存在が葛西紀明選手です。監督と選手、ライバル同士、いろいろな関係性がありますが、あらためてどんな存在ですか?
小林 うーん、師匠であり、兄貴であり......難しいですね。ひと言で言い表すのは。
中川 レジェンドから学んだことは大きいですか? メンタル面や技術面など。
小林 大きいですね。メンタル面で言えば、紀さんは長年いろんな経験をしてきているんで、それを聞くだけでも学びになりますし。今は違うジャンプの型になりましたけど、昔は参考にさせていただきました。
中川 葛西選手といえば、緊張を和らげる呼吸法の"レジェンドブレス"を広めたことでも有名です。小林選手も実践を?
小林 今はやってないですけど、でも今でも、僕、飛ぶ前というか、ゲートに入る前に「はぁー」って、大きなため息をつくんで。紀さんと根本は一緒なのかもしれませんね。
中川 成績の上では、葛西選手を超えた、とも言われるのではないですか?
小林 そもそも、成績うんぬんで紀さんをとらえてなかったです。
中川 もっと大きな存在?
小林 そうです、人として。
■今の日本ジャンプ界に絶対必要なものとは
中川 YouTubeの配信もされていますが、小林選手の趣味や人柄が垣間見えて、面白いですね。どんなきっかけで始めたんですか?
小林 ちょうど去年の東京五輪が開催されていた頃ですかね。メダルラッシュですごかったけど、メダルを獲って、いっとき盛り上がって終わりだと、その競技が果たしてどこまで浸透するのかなって。
だったら、北京五輪の開催前から、選手の人となりを紹介して、面白いコンテンツを見せることで、スキージャンプに少しでも興味を持ってもらおうと始めたわけです。
中川 小林選手が自ら伝道師の役割を担ったわけですね。それだけ、競技人口を増やさなければという危機感があると。いつからそういった意識が芽生えましたか?
小林 初めてW杯で総合優勝した翌年の20年ですかね。その年は自分的につらい年で、焦りもありましたが、そんな最悪な状態であっても、日本人でトップレベルで戦えるのは僕を含めて6人程度。これでいいのかと。W杯総合は、個人だけではなく、国=ネーションの戦いでもあるわけです。
中川 国別のランキングを見てみると、オーストリア以下、スロベニア、ドイツ、ノルウェーなどがいい選手を多数輩出していますね。
小林 そうなんです。それらの国々は、人材はもちろん、競技基盤もしっかりしています。
中川 小林選手としては、トップの座を保持したいというよりも、日本のスキージャンプ界の底上げを強く望んでいるわけですね。
小林 ええ。自分もこのままずっとトップを走れるとは思ってません。もっと、いろんな選手が出てきてほしいんです。
中川 それこそ、葛西選手からは、98年長野五輪当時の日本の総合力を聞くこともあったわけですよね?
小林 はい。あの頃は、仮に団体戦で2チーム出したとしても、どちらもメダルが獲れたでしょう。そのぐらい人材が豊富でした。今の日本は、スタッフも圧倒的に人手不足です。スーツの管理やビデオ撮影、食事や体のケア担当。全然足りない。
中川 スーツ規定の問題もあるから、食事も特に気をつけたいですよね。
小林 そう。僕の場合、日本では体重が重いんですが、欧州に行くと、栄養があるものを摂取する機会が少ないせいか、体重が落ちちゃうんです。神経を使いますね。
中川 下の世代に加えて、スタッフも含めた国の基盤も成長させたい、と。
小林 そのために、やれることはどんどんやっていきたいです。国の総合力を上げて、強豪国を抑えて日本がネーションでトップを獲れるようになってほしいし、そうしたいです。
中川 30年には、札幌五輪開催の可能性も浮上しています。意識はしていますか?
小林 すごく楽しみですね。めっちゃ先のことのように感じるけど、あっという間なんでしょうね。
中川 堀米選手ではないですけど、やはり国内の大会で活躍を見せたい気持ちは強いですか?
小林 強いです。きっと盛り上がるんじゃないかと。
中川 最後に今後の目標をお聞かせください。
小林 次のW杯での一勝です。
中川 師匠の葛西選手は、「還暦まで飛び続ける」と公言されていますが、小林選手はいかがですか?
小林 先の話は......やっぱり、来年1月にW杯が札幌(および蔵王)で行なわれるので、そこに集中して......。先々は、例えばトップレベルではなくても、趣味で飛び続けるという方法もあるのかなとは思っていますけど、今は目の前の一戦一戦を大事に戦っていきたいです。
●小林陵侑(こばやし・りょうゆう)
1996年11月8日生まれ、岩手県出身。盛岡中央高校卒業後、土屋ホームに所属。2018年平昌五輪ではノーマルヒルで7位に終わるも、18-19年シーズンにブレイク。史上3人目となるジャンプ週間4戦全勝のグランドスラムを達成、W杯でも総合優勝。今年2月に行なわれた北京五輪では個人ノーマルヒルで金、同ラージヒルで銀メダルを獲得。21-22年シーズンのW杯で2度目の総合優勝
●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。昨年まで『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めたほか、TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週木曜27:30~)のパーソナリティを担当。テレビ東京『ゴルフのキズナ』(毎週日曜10:30~)に出演中
スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/石岡悠希 衣装協力/HIMIKO 写真提供/土屋ホーム