2006年の第1回WBC準決勝の韓国戦では0-0の7回表に代打で登場。値千金の先制ツーランを放ちこの表情 2006年の第1回WBC準決勝の韓国戦では0-0の7回表に代打で登場。値千金の先制ツーランを放ちこの表情

優勝争いが佳境に入りポストシーズンに向かう秋は、引退や戦力外の話題が飛び交う季節でもある。厳しい競争社会を40代まで生き抜き、今季限りでの引退を表明した4人の超一流プレーヤーにまつわるとっておきの"秘"エピソードを糸井嘉男(いとい・よしお)編に続き、今回は福留孝介(ふくどめ・こうすけ)編をお届けします!(全4回/第2回目)

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■「ヨッシャー!」の6年後、〝再会〟が福留の転機に

PL学園高校、日本生命、逆指名での中日ドラゴンズ入団。五輪やWBCでは日本代表の常連で、メジャーリーグでもプレーした。誰が見てもエリート街道を歩んできたのが福留孝介という選手だ。

「彼はどんな練習にも耐えられる強い体と、一度決めたらやり抜く意志を併せ持っている。こんな選手はおそらく過去20年、30年見渡してもそうはいないでしょう」(在名テレビ局関係者)

福留が最も大事にしている記憶がある。

プロ3年目を終えた秋季キャンプ、福留はイチから打撃改造の必要性に迫られていた。ルーキーイヤーは打率2割8分4厘で16本塁打。しかし2年目、3年目は打率2割5分台で15本止まり。

「フォームの狂いはわかっている。でも、どうやったら修正できるのかわからない」

迷う福留の前に現れたのは、ヘッドコーチとして新たに入閣してきた佐々木恭介だった。

ふたりには奇妙な因縁があった。福留の高校3年時、ドラフトで交渉権を引き当て「ヨッシャー!」と叫んだ当時の近鉄監督が佐々木だった。しかし福留は入団を拒否し、社会人の日本生命へ。

6年後、中日で指導者と選手として〝再会〟した佐々木は福留の欠点を見抜いていた。

「今は打球を上げたいからバットをしゃくり上げている。でも、それじゃ打球は上がらない。むしろ上から叩くようにするべきだ」

その角度を体に染み込ませるには、途方もない数のスイングが必要だった。

「オレの言うことを信じてついてきてくれ」

日没後も続くロングティが日課となった。ボールをトスしてもらい、外野まで打ち返す。1000球も打てばバットを持てなくなるほど疲れるが、毎日3000球打った。

両手のマメは潰れ、潰れた上にまたマメができる。全身の疲労と痛みで浅い眠りから覚めると、バットを握った形で両手が固まっている。朝起きてまずやることは、その手をぬるま湯で温めることだった。

約2週間の秋季キャンプを確かなフォーム固めに結びつけた福留は、プロ4年目の翌02年に打率3割4分3厘で首位打者を獲得する。

福留は振り返る。

「あの秋季キャンプがその後の21年間の僕をつくってくれた分岐点だったと思う。ただ、もし2、3年目に少しでもいい成績が残せていたら、佐々木さんの助言を聞こうとはしなかったかもしれない」

もし再会が1年早かったら、あるいは遅かったら、福留孝介は果たして野球エリートであり続けられただろうか。それもまたプロ野球という世界の縁であり、運だ。

●福留孝介(ふくどめ・こうすけ) 
1977年生まれ、鹿児島県出身。PL学園3年時に7球団が1位指名するも社会人へ進み、3年後に逆指名で中日入団。カブスなどメジャー3球団でもプレーし、13年に阪神、昨季から古巣・中日へ。最後の"20世紀入団選手"でもあった

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