ゴールデングラブ賞7回。プロの世界でも別格の身体能力をフルに生かした外野守備も超人だった ゴールデングラブ賞7回。プロの世界でも別格の身体能力をフルに生かした外野守備も超人だった

優勝争いが佳境に入りポストシーズンに向かう秋は、引退や戦力外の話題が飛び交う季節でもある。厳しい競争社会を40代まで生き抜き、今季限りでの引退を表明した4人の超一流プレーヤーにまつわるとっておきの"秘"エピソードを、全4回に渡ってお届けします!(全4回/第1回目)

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■〝超人〟は糸井本人の理想の姿でもあった

「やれるなら、本当はもう1年やりたかった」

41歳、19年目の糸井嘉男(いとい・よしお)は今でもそう思っている。

近畿大学4年時に投手として頭角を現し、日本ハムに自由獲得枠で入団したのは2003年。3年目の春季キャンプが終わったとき、当時の高田 繁GMから投手失格の烙印(らくいん)を押された。「野手として1年で結果を出してくれ」とも。結果が出なければクビだと受け止めた。

「野手は大学を出て3年目からの遅いスタート。自信も、技術もない。必死になったのはもちろんやけど、その分『いくらでも良くなるはずや』と思った」

伸びシロはある。うまくなる余地はまだまだ残されているはずだ。そう思えるうちは、とにかく頑張る。今でも、糸井はそんな考え方を変えない。だからもう1年。

その信念を砕いたのは、ボロボロになった肉体だった。

慢性的な腰痛。学生時代の膝や肩の手術に始まり、阪神移籍後は左足首にもメスを入れた。痛みを気にせずプレーできたのはいつ頃までだったか。特に左膝は、オリックスから阪神にFA移籍した17年には満足に走れないほどだった。

それでもその前年には、53盗塁でタイトルも獲得していた。驚異的な身体能力からついた異名は〝超人〟。

「『俺は京都の田舎もん』と言ってはばからない、普通のお兄ちゃんのようなキャラです。それだけに〝超人〟の愛称はとても気に入って、『自分の理想や』とも言っていましたね」(スポーツ紙阪神担当記者)

超人のイメージを崩したくない。だから頑張る。しかしそれにも限界はあった。

スタメンから外れるようになったここ数年、代打での起用が増えた。阪神には桧山進次郎、関本賢太郎ら〝代打屋〟に晩年の活路を見いだした打者たちがいたが、糸井にそれは務まらなかった。

「彼は守備に就き、4打席、5打席と回る中で勝負強さを発揮するタイプ。1打席での勝負は酷でした。『代打は自分には難しい』というようなことを口にしたこともあります」(阪神担当記者)

ロッテに移った同学年の鳥谷 敬が昨年引退し、チームで自分のすぐ下の日本人野手が10歳も若い梅野隆太郎だと気づいたとき、糸井はもう1軍ベンチに居場所を感じられなくなっていた。

9月17日、東京ドームでの巨人戦。出場登録はされなかったが、関東のファンへの最後の顔見せとして試合後の挨拶に出ると、スタンド全体から糸井コールが響いた。グラウンドでは耐えたが、ベンチ裏で泣いた。

「あれを見せられたら、もうええか」

自分を納得させるように、糸井は思った。

記者会見では「引退後にやりたいことは?」と問われ、「筋トレ! 筋肥大したい!」と笑い、笑わせた。19年間故障と闘い続けた糸井は、最後まで超人を演じた。

●糸井嘉男(いとい・よしお) 
1981年生まれ、京都府出身。近畿大学から2003年ドラフト自由獲得枠で日本ハム入団、プロ3年目に野手転向。13年に2対3の大型電撃トレードでオリックスへ移籍、16年オフにはFAで阪神へ。選球眼も良く通算出塁率は3割9分に迫る。

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