今季からNPBのファームリーグに新規参戦した、くふうハヤテベンチャーズ静岡の球団社長、池田省吾氏 今季からNPBのファームリーグに新規参戦した、くふうハヤテベンチャーズ静岡の球団社長、池田省吾氏

今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。

開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った(全15回連載の1回目)

■大手ゴルフ用品メーカーを辞して球団社長に

2024年6月24日――。

くふうハヤテ・池田省吾球団社長のインタビュー場所に指定されたのは、日本橋兜町の金融街、東京証券取引所のすぐ近くにあるオフィスビル。球団母体ハヤテグループ本社の入るビルの会議室だった。

「はじめまして」

笑顔の池田はチノパンにカジュアルシャツというラフな出で立ち。広報担当者は帯同せず、ひとりで現れた。

「私のもともとの知り合いに静岡市とNPBを結びつけた方がいて、その方に(ハヤテグループ代表の)杉原(行洋)オーナーを紹介していただいたことが、球団社長になったきっかけでした。杉原オーナーは米マイナーリーグに所属するチームのようなスタイルの新球団をつくりたい、という考えでした。それならば、お力になれるかもしれません、とお伝えしました。

ただ当時は(NPB新規参戦の)公募も始まっていませんでしたし、応募して承認されるかもわかりませんでした。勤めていた会社を退社して引き受けましたが、考えてみたら一か八かですよね(笑)」

アメリカのマイナーリーグ球団は独立した企業で、MLB球団と提携契約を結んでいる。MLB球団はドラフトなどで獲得した若い選手をマイナー球団に派遣し、原則、給与や生活費はすべて負担する。マイナー球団にしてみれば、選手の人件費は考えずに済む。

さらに球場は地元自治体が所有し、無償あるいは低料金で施設を提供してもらえる。球場で独自イベントも開催できるなど、あらゆる面で経費を抑えて収益を上げやすい仕組みがある。結果、MLB球団のない地方球場でも、地域に根ざした憩いの場、賑わいや交流を創出する「ボールパーク」が存在できる。

池田はかつてアメリカのマイナーリーグ球団の経営の仕組みを参考に、独立リーグ・四国アイランドリーグの事務局や、香川オリーブガイナーズの球団代表として、「日本版ボールパーク構想」に取り組んだ経験を持つ。そんな池田にくふうハヤテの杉原オーナーは白羽の矢を立てたのだ。当時、池田は大手ゴルフ用品メーカーでマーケティングを担当していたが、職を辞してオファーを受けた。

ハヤテグループは世界有数の金融機関のひとつ、ゴールドマン・サックス証券出身の杉原氏が国内投資顧問会社を経て2005年、27歳の若さで設立した。杉原氏は2019年、『Forbes JAPAN』の表紙を飾るなど金融業界では著名な若手経営者で、現在は成長企業支援事業だけでなく、医療関連や人工知能(AI)の研究、ディープテック事業にも活動の幅を広げている。

グループのミッションは「挑戦者を支え、挑戦者を増やし、挑戦者になることで、社会の温度を上げる」。NPB新規参戦というスポーツ事業も、そんな新たな挑戦のひとつだった。

「100パーセントお任せではなく、話はざっくばらんに聞いてくださいますし、現場に口出しもしません。『そこは自分ではわからないから』と。杉原オーナーにはもともと、コロナ禍のときに『スポーツで日本を元気にしたい』という思いがあった。スポーツチームの運営については、JリーグやBリーグなどからも相談があったそうですが、そこに『NPBの野球振興』というお話が飛び込んできた。『こんなチャンスがあるのか、ぜひ挑戦したい』と話を受けたと聞いています」

NPBをはじめ、独立リーグなどさまざまな舞台で豊富な指導経験を持つ赤堀監督が率いるくふうハヤテの面々(くふうハヤテ提供) NPBをはじめ、独立リーグなどさまざまな舞台で豊富な指導経験を持つ赤堀監督が率いるくふうハヤテの面々(くふうハヤテ提供)

くふうハヤテの本拠地、ちゅ~るスタジアム清水(静岡市清水庵原球場)。静岡県内最大級の広さを誇り、豊かな自然に囲まれた山の上にある くふうハヤテの本拠地、ちゅ~るスタジアム清水(静岡市清水庵原球場)。静岡県内最大級の広さを誇り、豊かな自然に囲まれた山の上にある

■球団を消滅させてしまった過去の後悔

新球団誕生までの経緯を要約して紹介したい。静岡市ではもともと、2011年に初当選した田辺信宏前市長が球団誘致の活動を続けていた。一方で、NPBはプロ野球の発展と新規ファン獲得を目指し、2022年7月からファーム・リーグ拡大構想の検討を重ねていた。両者の思惑は一致し、杉原氏のもとに話が舞い込み具体化していった。

新球団公募に対して、熊本に本拠を置く火の国サラマンダーズが早々に申請表明したが、資金調達の困難を理由に撤退。宇都宮市を拠点にする栃木ゴールデンブレーブスも申請表明したが審査で見送られた。そして2023年11月22日に開かれたプロ野球オーナー会議で、新潟アルビレックスBCとくふうハヤテの2球団が承認された。

NPBの球団増は、12球団制となった1958年以来66年ぶり。ちなみにファーム・リーグのみの参戦では、過去に「山陽クラウンズ」(1950年創設、1952年解散)という球団が存在した。

「新球団を立ち上げる経験はなかなかできない。社長を引き受けたもうひとつの理由としては、過去に球団を消滅させてしまった後悔もありました。当時やりきれなかった部分や反省も踏まえて、もう一度挑戦したい。ゴルフ用品メーカーの社員として働きつつ、そういう気持ちはずっと持ち続けていました。

妻には、話があればいつか挑戦したいとは伝えていました。でも予想以上にその時が早く来たので、ものすごく悩みました。週末の休みはほぼなくなるし、生活も不規則になる。妻が反対したらさすがにやめようと思っていました。でも反対されませんでした。大歓迎ではなかったですが(笑)」

池田は四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグPlus)時代、福岡レッドワーブラーズ(2008年創設、2009年解散)の立ち上げに尽力したが、資金難のため2年で消滅した。池田にとってNPBに新規参戦する球団の立ち上げに協力してほしいという申し出は、まさに捲土重来の機会だったのだ。

「(NPB承認までの苦労は)行政との調整、詰めの作業ですね。県や市の行政団体にNPBの審査担当者が訪ねてきてヒアリングをしたのですが、その前に、行政担当者と何度もすり合わせをして準備しました。

NPB審査担当者に特に見られたことは『組閣と、選手をどのように集めるか』という点。アルビレックスさんとは違ってゼロからの立ち上げでしたので、プランを『細かく詳細まで記載して伝えてください』と言われました。

山下(大輔)GMにはいち早く内諾いただいて、申請書に記載できましたが、それ以外の組閣メンバーは『面談中です』とか『指導者候補として声をかけています』とか。球場も確保できて、球団の形もある程度できあがり、内定を頂戴した段階でも、スポンサー候補について何度も聞かれ、『都度、営業活動を報告してください』と言われました。

行政との詰めの調整、スポンサーの調整と営業、そしてチーム作り。この3つが大きな課題でした」

監督は90年代、近鉄の守護神として最優秀救援投手を5回、最優秀防御率を1回獲得した赤堀元之氏に依頼した。山下GMと同じく静岡県出身で地元での知名度も抜群だった。

「監督はじめ指導者の何人かは独立リーグも経験した方にお願いしたい、と考えていました。トップ・オブ・トップしか知らない人だと、環境面などNPBとのギャップに適応できず、なかなか続かないのではないか、と。赤堀さんは独立リーグの新潟と淡路島で監督経験もありました。ぜひお願いしたいと相談し、快諾いただきました」

そして先述のように2023年11月22日、くふうハヤテは新潟アルビレックスBCとともに参戦が承認された。しかし安堵する余裕もなく、翌年3月15日の開幕戦に向け、池田の仕事はなおも山積みだった。チーム編成のための追加トライアウト開催や、新たなスポンサー獲得と、さらに多忙な日々を過ごし奔走するのだった。

(つづく)

●池田省吾(いけだ・しょうご) 
1974年生まれ、宮崎市出身。桃山学院大学社会学部卒業後、スポーツ新聞の契約記者などを経て渡米し、ワシントン大大学院でスポーツマネジメントを学ぶ。帰国後、四国アイランドリーグの運営、ゴルフ業界のマーケティング業務などを経て、2022年末から新球団・くふうハヤテベンチャーズ静岡の発足・運営に携わる

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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