会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。
開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った(全15回連載の1回目)
2024年6月24日――。
くふうハヤテ・池田省吾球団社長のインタビュー場所に指定されたのは、日本橋兜町の金融街、東京証券取引所のすぐ近くにあるオフィスビル。球団母体ハヤテグループ本社の入るビルの会議室だった。
「はじめまして」
笑顔の池田はチノパンにカジュアルシャツというラフな出で立ち。広報担当者は帯同せず、ひとりで現れた。
「私のもともとの知り合いに静岡市とNPBを結びつけた方がいて、その方に(ハヤテグループ代表の)杉原(行洋)オーナーを紹介していただいたことが、球団社長になったきっかけでした。杉原オーナーは米マイナーリーグに所属するチームのようなスタイルの新球団をつくりたい、という考えでした。それならば、お力になれるかもしれません、とお伝えしました。
ただ当時は(NPB新規参戦の)公募も始まっていませんでしたし、応募して承認されるかもわかりませんでした。勤めていた会社を退社して引き受けましたが、考えてみたら一か八かですよね(笑)」
アメリカのマイナーリーグ球団は独立した企業で、MLB球団と提携契約を結んでいる。MLB球団はドラフトなどで獲得した若い選手をマイナー球団に派遣し、原則、給与や生活費はすべて負担する。マイナー球団にしてみれば、選手の人件費は考えずに済む。
さらに球場は地元自治体が所有し、無償あるいは低料金で施設を提供してもらえる。球場で独自イベントも開催できるなど、あらゆる面で経費を抑えて収益を上げやすい仕組みがある。結果、MLB球団のない地方球場でも、地域に根ざした憩いの場、賑わいや交流を創出する「ボールパーク」が存在できる。
池田はかつてアメリカのマイナーリーグ球団の経営の仕組みを参考に、独立リーグ・四国アイランドリーグの事務局や、香川オリーブガイナーズの球団代表として、「日本版ボールパーク構想」に取り組んだ経験を持つ。そんな池田にくふうハヤテの杉原オーナーは白羽の矢を立てたのだ。当時、池田は大手ゴルフ用品メーカーでマーケティングを担当していたが、職を辞してオファーを受けた。
ハヤテグループは世界有数の金融機関のひとつ、ゴールドマン・サックス証券出身の杉原氏が国内投資顧問会社を経て2005年、27歳の若さで設立した。杉原氏は2019年、『Forbes JAPAN』の表紙を飾るなど金融業界では著名な若手経営者で、現在は成長企業支援事業だけでなく、医療関連や人工知能(AI)の研究、ディープテック事業にも活動の幅を広げている。
グループのミッションは「挑戦者を支え、挑戦者を増やし、挑戦者になることで、社会の温度を上げる」。NPB新規参戦というスポーツ事業も、そんな新たな挑戦のひとつだった。
「100パーセントお任せではなく、話はざっくばらんに聞いてくださいますし、現場に口出しもしません。『そこは自分ではわからないから』と。杉原オーナーにはもともと、コロナ禍のときに『スポーツで日本を元気にしたい』という思いがあった。スポーツチームの運営については、JリーグやBリーグなどからも相談があったそうですが、そこに『NPBの野球振興』というお話が飛び込んできた。『こんなチャンスがあるのか、ぜひ挑戦したい』と話を受けたと聞いています」
新球団誕生までの経緯を要約して紹介したい。静岡市ではもともと、2011年に初当選した田辺信宏前市長が球団誘致の活動を続けていた。一方で、NPBはプロ野球の発展と新規ファン獲得を目指し、2022年7月からファーム・リーグ拡大構想の検討を重ねていた。両者の思惑は一致し、杉原氏のもとに話が舞い込み具体化していった。
新球団公募に対して、熊本に本拠を置く火の国サラマンダーズが早々に申請表明したが、資金調達の困難を理由に撤退。宇都宮市を拠点にする栃木ゴールデンブレーブスも申請表明したが審査で見送られた。そして2023年11月22日に開かれたプロ野球オーナー会議で、新潟アルビレックスBCとくふうハヤテの2球団が承認された。
NPBの球団増は、12球団制となった1958年以来66年ぶり。ちなみにファーム・リーグのみの参戦では、過去に「山陽クラウンズ」(1950年創設、1952年解散)という球団が存在した。
「新球団を立ち上げる経験はなかなかできない。社長を引き受けたもうひとつの理由としては、過去に球団を消滅させてしまった後悔もありました。当時やりきれなかった部分や反省も踏まえて、もう一度挑戦したい。ゴルフ用品メーカーの社員として働きつつ、そういう気持ちはずっと持ち続けていました。
妻には、話があればいつか挑戦したいとは伝えていました。でも予想以上にその時が早く来たので、ものすごく悩みました。週末の休みはほぼなくなるし、生活も不規則になる。妻が反対したらさすがにやめようと思っていました。でも反対されませんでした。大歓迎ではなかったですが(笑)」
池田は四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグPlus)時代、福岡レッドワーブラーズ(2008年創設、2009年解散)の立ち上げに尽力したが、資金難のため2年で消滅した。池田にとってNPBに新規参戦する球団の立ち上げに協力してほしいという申し出は、まさに捲土重来の機会だったのだ。
「(NPB承認までの苦労は)行政との調整、詰めの作業ですね。県や市の行政団体にNPBの審査担当者が訪ねてきてヒアリングをしたのですが、その前に、行政担当者と何度もすり合わせをして準備しました。
NPB審査担当者に特に見られたことは『組閣と、選手をどのように集めるか』という点。アルビレックスさんとは違ってゼロからの立ち上げでしたので、プランを『細かく詳細まで記載して伝えてください』と言われました。
山下(大輔)GMにはいち早く内諾いただいて、申請書に記載できましたが、それ以外の組閣メンバーは『面談中です』とか『指導者候補として声をかけています』とか。球場も確保できて、球団の形もある程度できあがり、内定を頂戴した段階でも、スポンサー候補について何度も聞かれ、『都度、営業活動を報告してください』と言われました。
行政との詰めの調整、スポンサーの調整と営業、そしてチーム作り。この3つが大きな課題でした」
監督は90年代、近鉄の守護神として最優秀救援投手を5回、最優秀防御率を1回獲得した赤堀元之氏に依頼した。山下GMと同じく静岡県出身で地元での知名度も抜群だった。
「監督はじめ指導者の何人かは独立リーグも経験した方にお願いしたい、と考えていました。トップ・オブ・トップしか知らない人だと、環境面などNPBとのギャップに適応できず、なかなか続かないのではないか、と。赤堀さんは独立リーグの新潟と淡路島で監督経験もありました。ぜひお願いしたいと相談し、快諾いただきました」
そして先述のように2023年11月22日、くふうハヤテは新潟アルビレックスBCとともに参戦が承認された。しかし安堵する余裕もなく、翌年3月15日の開幕戦に向け、池田の仕事はなおも山積みだった。チーム編成のための追加トライアウト開催や、新たなスポンサー獲得と、さらに多忙な日々を過ごし奔走するのだった。
(つづく)
●池田省吾(いけだ・しょうご)
1974年生まれ、宮崎市出身。桃山学院大学社会学部卒業後、スポーツ新聞の契約記者などを経て渡米し、ワシントン大大学院でスポーツマネジメントを学ぶ。帰国後、四国アイランドリーグの運営、ゴルフ業界のマーケティング業務などを経て、2022年末から新球団・くふうハヤテベンチャーズ静岡の発足・運営に携わる
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。