DeNA時代の藤岡好明。DeNAのコーチを務めた後、独立リーグで現役復帰し、今季はNPBファームリーグに参戦したくふうハヤテで現役を続けている(写真/産経ビジュアル) DeNA時代の藤岡好明。DeNAのコーチを務めた後、独立リーグで現役復帰し、今季はNPBファームリーグに参戦したくふうハヤテで現役を続けている(写真/産経ビジュアル)

今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。

開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。

今回は、NPB3球団を渡り歩き、コーチ転身から独立リーグで現役復帰し、今季はくふうハヤテで戦う藤岡好明の挑戦を紹介する。(全15回連載の11回目)

■恵まれたコーチ業をわずか1年で退任

「(くふうハヤテに入団したことは)後悔は全然してないですね。パフォーマンスも上がってきていますし、本当、入団して良かったなと思います。この年齢でもいろいろな情報を得て実戦で試せることが、今一番楽しいところではあります」

チーム最年長、今年3月で39歳になった藤岡好明はインタビュー中、終始笑みを浮かべ、純粋無垢な少年のように澄んだ瞳を向けて話し続けた。一度は指導者に転身したものの、そこから現役復帰するという稀な野球人生を歩んでいる。

2005年、大学生・社会人ドラフト3巡目でソフトバンクに入団した藤岡は2006年シーズン、中継ぎとしてチーム最多の62試合に登板し(当時のパ・リーグ新人最多登板記録)、26ホールド(パ・リーグ2位)を記録するなど即戦力で活躍した。

以降、好不調はあったもののソフトバンクには8年間在籍し、主に中継ぎとして30試合以上の登板は6シーズン記録し、二度のリーグ優勝(2010年、2011年)と日本一(2011年)も経験した。

「(新人時代の監督だった)王(貞治)さんと出会えたことは大きな財産です。プロ野球選手としてのあり方について、ものすごく学びました。(1軍で活躍できたことについて)僕は運が良かっただけです。小久保(裕紀)さんはじめ、投手野手関係なくいろいろな先輩方からアドバイスをいただけて、それを試すことで適応できた感じでした。もし先輩方からのアドバイスがなければ生き残れなかったと思います」

2013年オフに日本ハムに人的補償で移籍。2016年3月末に急遽、金銭トレードでDeNAへ。そして2020年シーズン終了間際に戦力外通告を受け、2021年シーズンは2軍投手コーチを任されることになった。

現役引退後のセカンドキャリアとしては最高の仕事に思えたが、藤岡はわずか1年で自らコーチ業に見切りをつけて、2022年シーズンからは独立リーグ(九州アジアリーグ)に所属する火の国サラマンダーズに、投手コーチ兼任で現役復帰したのだった。

■制限の多いコロナ禍で力を出し切れたのか

DeNAの投手コーチという、ある程度の実績を残せた選手でもなかなか与えられることのない恵まれた立場を自ら捨て、NPBではなく独立リーグというカテゴリーで現役復帰した理由、心を動かしたものは何か聞いた。

「周囲は反対というか、クエスチョンでした(笑)。コーチも魅力的な役割ですし、面白そうだなという気持ちもありました。でもなんて言えばいいか、今自分がやりたいことかどうかと考えると、コーチを続けるという答えは出せませんでした。

戦力外通告されたシーズンは、コロナ禍の影響で練習時間や試合数などさまざまなことが制限された時期でした。そういうシーズンで戦力外通告されて、迷ったり、後悔したりすることがたくさんありました。

もちろん当時は、コロナ禍で自分と同じようにさまざまな制限のある中で野球をして、力を出し切れたのか、それとも出し切れていないのか、よくわからないまま戦力外通告されて引退した選手は、他にもたくさんいたと思います。

移籍先を探すにしても、トライアウトを受けるにしても、野球以前に世の中全体が先の見えない状況で、重く暗い雰囲気に覆われていました。そういう状況下で、戦力外通告を受けると同時に、ベイスターズからはコーチ就任というありがたいお話をいただけたので、リスクを取らずに安定した道を選んだ、という感じでした。

コーチを続けるうち、迷いも解消されると思いながら取り組みました。もちろん、楽しいことや新たな学びもたくさんありました。でも、指導者としての自分には、今はあまり期待できないと思い始めました。同じ選手という立場で若手にアドバイスすることはとても好きですが、コーチという仕事に対しては、今は明確な目標が持てない。コーチという立場で描きたい絵は思い浮かびませんでした。

もちろん続けることで描けるようになる可能性はあるとは思いますが、現時点では選手としてやりたいこと、やり残したことのほうが圧倒的に多い。コーチはコーチで、本当に難しい仕事だと思っているので、余計に今はコーチをするのは難しいと考えて、まだ選手として野球ができる可能性があるなら続けたい。もう少し現役を続けたい意思を球団側に伝えて、了承を得ました」

DeNAの2軍投手コーチから、独立リーグ所属チームのコーチ兼任で現役復帰。しかし、1年間のブランクに加えて、コーチ兼任という立場で練習時間の確保も難しく、引退前の状態に戻し、さらにパフォーマンスを上げることは想像以上に難しかった。

現役復帰1年目は主に中継ぎで10試合に登板して防御率は4点台半ばという成績で、2年目はわずか2試合2イニングしかマウンドに上がることはなかった。チームはその間、リーグ優勝、独立リーグ日本一を決めるグランドチャンピオンシップをともに連覇するという大きな結果を残した。

皮肉にもそれは、藤岡に対して現役投手としての役割よりも、NPB3球団で培った豊富な経験を若手に伝えて育てるコーチとしての役割に、より比重を置くことを求める結果となった。

2023年10月11日、藤岡がシーズン終了をもって火の国サラマンダーズを退団することが球団から発表された。

そして11月4日、藤岡はちゅ〜るスタジアム清水で開催された、くふうハヤテのトライアウトに参加した。

「来季から新たに、ファームリーグ限定でNPBに参加する球団ができるという話を聞いて、トライアウトを実施することを知りました。『チーム編成としては年間およそ130試合という長丁場を戦い抜くために、ベテラン選手も何人か必要と考えている』という情報も聞きました。球団が求める条件も自分には揃っていたので、『じゃあ受けてみよう』と思いました」

同日のトライアウトの参加者は、96人が参加した前日の1次試験に合格した49人に、1次を免除されたNPB経験者7人を加えた合計56人。藤岡はもちろん1次免除枠だ。ひとまわり以上も年の離れた若い選手に混じり、参加者最年長、当時38歳の藤岡はブランクを感じさせない安定した投球を披露した。

実戦形式のシート打撃では4人の打者と対戦し、2番目の打者に安打を許したものの、それ以外はNPBの1軍を主戦場に15年間も投げ続けたベテランらしい老練な技術で仕留めた。打者に投げるのは久しぶりだったが、コントロールの精度と投球術、打者との駆け引きは参加者の中でも際立っていた。

結果は「合格」。藤岡は2020年シーズン以来4年ぶりに、現役投手としてNPB復帰が決まった。それはソフトバンク、日本ハム、そしてDeNA時代とは違う目標に向かう、新たな挑戦の始まりだった。

(つづく)

柔和な笑顔が印象的な藤岡。39歳となった今も、実戦でさまざまな試みができるのが楽しいと語る 柔和な笑顔が印象的な藤岡。39歳となった今も、実戦でさまざまな試みができるのが楽しいと語る

●藤岡好明(ふじおか・よしあき) 
1985年生まれ。大阪府出身。宮崎日大高からJR九州を経て、2005年大学・社会人ドラフト3巡目でソフトバンク入団。1年目に当時のパ・リーグ新人記録となる62試合に登板。2014年に日本ハムに移籍、2016年途中からはDeNAに移籍。2020年限りで現役引退してDeNA2軍投手コーチに就任した。しかし2022年シーズンは九州アジアリーグ・火の国サラマンダーズに移籍し、コーチ兼任で現役復帰。今シーズンからプレーするくふうハヤテでは、チーム最年長39歳ながら選手専任で活躍している

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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