会津泰成あいず・やすなり
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。
今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。
開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。
前回に続いて、NPB3球団を渡り歩き、コーチ転身から独立リーグで現役復帰し、今季はくふうハヤテで戦う藤岡好明の挑戦を紹介する。(全15回連載の12回目)
DeNA2軍投手コーチという恵まれた立場を自ら捨てた藤岡は、独立リーグを経て、2020年シーズン以来4年ぶりに、現役投手としてNPBに復帰した。
その目的はNPB12球団――1軍での復帰ではなく、自らを材料にした「実験」だった。
「例えば40歳の選手が全力でトレーニングに取り組んだ場合、どこまでパフォーマンスを向上させることができるのか、とか。どこまで取り組めばどんな変化が生まれるのかが知りたい。ある練習メニューにこれだけの時間を費やしたら、これだけの疲労が出てくる、とか。今なら自分自身を実験材料にして確かめることができます。
40歳という年齢でも走ることはどれだけ大切か。それとも筋力強化に比重を高めたほうが良いのか。野球のパフォーマンスを上げるためのトレーニングについて、何が良くて何が駄目なのか。自分自身を実験台にして探って言語化したいという好奇心が、今は一番大きいですね。
感覚を言語化して、なぜその感覚が生まれるのかを伝えられたらと思います。野球界では当たり前に思われているような練習でも、本当に当たり前なのかと疑いながら検証する。本当に当たり前なのか、もしかしたら新しい何かが見つかるかもしれない。それができれば、もし将来、指導者になったとき、必ず役立つ。それを今、ファームとはいえ現役選手として取り組めているので、ものすごく楽しいですね」
自らを材料にした実験。藤岡にそんな好奇心を抱かせる大きなきっかけになったのは、ソフトバンク時代の先輩、和田毅の存在。43歳にして今なお先発投手としてマウンドに上がり続けるホークスのレジェンドだ。
藤岡はプロ入り4年目の2009年シーズン開幕前、弟子入り志願して、ハードで知られる和田の自主トレに参加した。
ルーキーイヤーは中継ぎとしてチーム最多の62試合に登板し(当時のパ・リーグ新人最多登板記録)、26ホールド(パ・リーグ2位)を記録するなど大車輪の活躍を見せた藤岡だが、その後は低迷した。股関節を痛めた影響でバランスを崩して本来の投球フォームを見失い、次第に思うようなボールが投げられなくなってしまったのだ。
「自分はこのまま終わってしまうのか」
不安に陥る中、これがラストチャンスと覚悟を決めて頼ったのが和田だった。
自主トレは、ランニングや体幹トレーニングといった基礎力強化に加え、食事や疲労回復のためのケアや睡眠まで、これまで経験したことのない密度の濃い内容だった。ちなみに、いまや和田の自主トレにはソフトバンクの選手に限らず、他球団からも志願する選手が後を絶たない。今年1月の自主トレには過去最多、16人もの選手が参加した。
「和田さんには本当にたくさんのアドバイスをいただきました。和田さんに相談すれば的確にアドバイスいただけるので、僕にとっては師匠というよりも『野球に対する考え方を整理してくださる方』というイメージ。頼れる先輩ですね」
迎えたシーズン。藤岡は開幕こそ2軍で迎えたものの4月に1軍昇格した。当初は中継ぎ起用だったが5月16日の楽天戦でプロ初先発し、3度目の先発となった6月3日の横浜戦では6回2安打無失点で先発初勝利。最終的に中継ぎと並行して14試合に先発し、自己最多に並ぶ5勝を挙げた。
くふうハヤテに入団した藤岡が選んだ背番号は「21」。それは尊敬してやまない頼れる先輩、和田の背番号と同じだ。
「和田さんのような高い志が持てるように、負けないぐらい野球人としての意識を高められたら、励みになればと思い選びました。『現役投手としてNPB12球団に戻りたい』ではなく『もし今1軍で投げても抑えられる』という志を持った自分であり続けたいと思っています。
『このボールなら、今でも1軍で通用するんじゃないか』とか、自分の中では、楽しみながらやっています。実際、(一時的に2軍に降格した)1軍の選手も試合に出てきます。以前対戦した選手と久しぶりに対戦できる機会もあると思うので、それで打ち取れたら面白いなと思います」
取材した時点で、藤岡は中継ぎとして12試合に登板し、防御率0.84という成績を残していた。
自身を材料に実験を続ける藤岡はくふうハヤテというチームで、日々全力で野球に取り組み、1軍で活躍した頃とは違った形で充実した現役生活を過ごしていた。来シーズンは40歳という節目の年齢を迎える。選手生命に関わるような大怪我でも負わない限りは、必要とされる場所さえあれば現役続行する覚悟だという。ただしその場所は、くふうハヤテとは限らない。
「新たな野球の価値観を探る実験をしているので、同じ環境で長く続けることが果たして自分にとって良いのかどうか、それは悩みどころではあります。環境を変えることで、同じことでも捉え方は変わります。成長し続けるためにも、海外も含めて経験したことのない環境に飛び込みたい気持ちも正直あります。それは今後考えていきたいと思います」
最後に「藤岡好明にとって野球とは」と質問した。
藤岡は「よくある質問ですね」と軽く笑いながら答えると、「僕にとって野球ですか......」としばし黙考したのち、ゆっくりと口を開いた。
「僕にとっての野球。難しい質問ですが、もしかしたら、今はその答えを探しているのかもしれないですね。ただ間違いなく言えることは、僕は野球を通じてさまざまな人たちに出会えた。僕自身を育て、人格を作り上げてくれたのが野球だと思います」
藤岡は「指導者としての自分には、今はあまり期待できない」と思い、自らベイスターズの2軍投手コーチという職を離れて現役続行した。しかし、感覚を言語化して伝えたいという目標のために自ら材料となり実験を続ける藤岡は、いつか素晴らしい指導者になって野球界に貢献する存在になるのではないか。自分にとって野球とは何かという問いに対する答えも、そのときに見つかるかもしれない。
●藤岡好明(ふじおか・よしあき)
1985年生まれ。大阪府出身。宮崎日大高からJR九州を経て、2005年大学・社会人ドラフト3巡目でソフトバンク入団。1年目に当時のパ・リーグ新人記録となる62試合に登板。2014年に日本ハムに移籍、2016年途中からはDeNAに移籍。2020年限りで現役引退してDeNA2軍投手コーチに就任した。しかし2022年シーズンは九州アジアリーグ・火の国サラマンダーズに移籍し、コーチ兼任で現役復帰。今シーズンからプレーするくふうハヤテでは、チーム最年長39歳ながら選手専任で活躍している
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。