かつてレギュラーシーズン、クライマックスシリーズ、日本シリーズのすべてでフルイニング出場を果たすなど、DeNAの看板選手だった倉本寿彦 かつてレギュラーシーズン、クライマックスシリーズ、日本シリーズのすべてでフルイニング出場を果たすなど、DeNAの看板選手だった倉本寿彦

今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。

開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。

今回は、かつて不動のショートとして活躍した横浜戦士、倉本寿彦に、NPB12球団復帰にかける思いを聞いた。(全15回連載の13回目)

■横浜で44年ぶりの新人ショート開幕スタメン

「(野球は)自分にとって、なくてはならない存在。野球を通して多くのことを学び、時には失敗もして。浮き沈みはありますが、そのたびに諦めずひとつひとつ乗り越えて今日まで来ました。まだまだ学びたい。可能ならば現役はずっと続けたいですね」

元横浜DeNAベイスターズ、倉本寿彦、33歳ーー。真っ黒に日焼けした顔。インタビュー前は話しかけにくい印象を受けたが、いざ話せば人懐っこい性格がすぐ理解できた。終始穏やかな笑顔で真摯に質問に答える口元からは何度も白い歯がこぼれた。

名門・横浜高校、創価大学を経て社会人、日本新薬から2014年ドラフト3位で横浜DeNAに入団。大洋時代の野口善男(1971年)以来、球団としては44年ぶりに新人でショートの開幕スタメンの座を獲得した。

2年目、2016年シーズンは主に6番ショートとしてスタメンに定着し打率.294を記録。球団史上初のクライマックスシリーズ進出にも貢献。そして3年目の2017年はレギュラーシーズン、クライマックスシリーズ、日本シリーズの全156試合でフルイニング出場を果たし不動のレギュラーとして看板選手のひとりに成長した。しかし以降はポジション争いの激化や打撃不振、怪我の影響もあり成績は低迷し、2022年シーズン後に戦力外通告を受けた。

昨年2023年シーズンは古巣の日本新薬に復帰し、「社会人野球からNPB復帰を目指す」という前例の少ない道を選んだ。

社会人野球で結果は残したが願いは届かず。チームの若返りをはかりたい日本新薬からはコーチ就任の打診もあったが、現役続行を決意して退団。新たな所属先を探す中、横浜時代に指導を受けた山下大輔氏(当時2軍監督)がハヤテGMに就任したことを知り、「チャンスをいただけるなら」と直訴し入団した。

「去年は社会人野球に戻り、1年間通して試合に出られたことで、自分の野球を見つめ直す良いきっかけをつかめました。横浜時代の最後のほうは試合にも出られず、気持ちを整理する時間も余裕もなく苦しんでいたので。今シーズンは去年の良い流れのまま、練習方法も大きく変えず、ある程度自分のペースで調整を認めていただけているので、それが良い結果に繋がっているのかな、と感じています」

今年3月15日の開幕戦、ハヤテ球団の初ヒットは倉本のバットから生まれた。その後も攻撃の中軸として活躍し、低迷する打線を孤軍奮闘で支えた。

取材時(6月25日)は身体の張りで調整中だったが、開幕から25試合に出場して打率.338と好成績を残していた。シーズン中の移籍期限は7月末。倉本は、まずはそこに照準を絞っていた。

4月末時点ではウエスタンリーグ首位打者も狙える数字を残しながら、5月以降は試合から遠ざかっていたので、「すでにNPB12球団のどこかから声がかかり調整しているのでは」と思い質問した。倉本は笑いながら「まだどこからもお話はありません。そんな甘くはないですね」と答えた。

「ファームリーグでいくら成績を残しても他球団に1軍で必要とされないとダメですし。ただ、ありがたいことにアピールできる場はいただけているので、感謝して頑張っていきたいなと思います。週明けのオリックス戦には出たいなと考えています。身体の張りもだいぶ取れました。公式戦出場は1ヵ月も空いたので、試合感覚を取り戻せるまで少し時間はかかるかもしれませんが、そういう時間も楽しみながら取り組みます」

若手選手とは違い、33歳の倉本がNPB12球団から声をかけられるためには、「1軍で即結果が残せる」と確信してもらえるような圧倒的な成績が必要だ。倉本はそれでも「99パーセント無理だと言われても、残り1パーセントの可能性に対して応援してくださる方がいるならば、自分を信じて諦めず頑張りたい」と話した。

もともとはショートが本職の倉本だが、現在はサードを任されることも多い もともとはショートが本職の倉本だが、現在はサードを任されることも多い

■今も心の「ど真ん中」に生きる、伝説のスラッガーの教え

横浜高時代は春夏連続で甲子園出場。創価大で2度ベストナイン獲得。学生時代の野球経歴だけ見れば「エリート」という言葉が浮かぶが、倉本は自身を「叩き上げ」と話す。横浜高は一般受験で合格し、創価大ではプロ志望届を提出したが声はかからなかった。

社会人になってからドラフト指名され、子供の頃から憧れたプロ野球選手になる夢が叶ったのは、ある指導者との出会いが大きく影響していた。170cmの小柄な体躯で王貞治、野村克也に次ぐプロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った門田博光だ。日本新薬2年目の2014年、倉本は1週間限定の臨時コーチとして来た門田に教えを受けた。

門田は現役時代、独特の凄みや他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出し、「孤高」という言葉で表現されることも多かった。南海、オリックス、福岡ダイエーで44歳まで現役を続け、本塁打王3回、打点王2回ほか数々の記録を打ち立てた伝説のスラッガーだが、NPBでの指導経験は一度もないまま2023年1月、74歳でこの世を去った。

「門田さんと巡り会えて本当に良かったと、心の底から感謝しています。間違いなく、今も僕の心のど真ん中にいます」

倉本は、門田に指導を受けた1週間がなければ、「プロ野球選手にはなれなかった」と振り返る。自他ともに認める頑固で偏屈な変わり者。現役時代にあれだけの実績を残しながら、NPBでは一度も指導者としてユニフォームを着ることがなかった門田の教えとはどんなものだったのか。倉本が「今も僕の心のど真ん中にいます」という理由が気になった。

(つづく)

●倉本寿彦(くらもと・としひこ) 
1991年生まれ、神奈川県出身。横浜高では後輩の筒香嘉智らと共に夏の甲子園でベスト4。創価大から社会人の日本新薬を経て2014年ドラフト3位でDeNA入団。1年目は65試合にスタメン出場。2年目にショートのレギュラーに定着し、3年目の2017年シーズンは全試合出場した。22年に戦力外通告を受けて日本新薬に戻った後、くふうハヤテに移籍しNPB12球団復帰を目指している

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

会津泰成の記事一覧