2006年12月12日に『ニコニコ動画(仮)』がスタートしてから間もなく10年!
数々のアイドルやクリエイターなどを生み出し、視聴者をPCの前に釘づけにしたオバケコンテンツの誕生秘話と当時の熱気をインタビューでプレイバック!
第1弾に続き、第2弾はニコ動の代名詞である「コメント機能」をつくった“創造神”戀塚昭彦(こいづか・あきひこ)氏に開発秘話を聞いた!
■会長のむちゃぶりは「締め切りは今」
―戀塚さんはニコ動のシステムを“3営業日でつくった”という伝説がありますね!?
戀塚 当時はたまたまいい条件が重なったというか。YouTubeによってFlashプレイヤーの技術が熟成されてたし、僕自身それまでにこの開発で使えそうなFlashやサーバー、ウェブスクリプト言語のPHPを研究していたので、技術も材料もちょうどそろってたんです。
―神がかり的タイミング。
戀塚 コンセプトである2ちゃんねるの実況も僕自身好きだったんで、そのイメージと技術部分を合わせるだけの作業でした。普通に健康的な生活を送りながら月、火、水曜でやったのかな。ただ、起きてる間中、ずっと川上(量生)さんからチャットで「このアイデアどう?」ってガンガンと注文が飛んできましたけどね(笑)。
―ぶっちゃけむちゃぶりも?
戀塚 むちゃぶりでいったら一番最初。川上さんから「締め切りは今。この時点で締め切りオーバーだから速やかに完成させて。戀ちゃんならできるでしょ?」って(笑)。
―鬼ですね(笑)。そしてリリースに至ると?
戀塚 プロトタイプ版ではもっといろいろな機能を盛り込んでいたんですが、それだとユーザーの注目する部分が分散しちゃうんで、コメント機能一本に絞ってコメント欄への入力を誘導させるようなプラットフォームでリリースしました。ただ、ユーザーが使ううちにプロトタイプから削ったものと同じような機能の要望が来始めて。こっちは機能を復活させるだけなんで、すぐに対応しました。
思いつきでつくったら時代が後からついてきた
―コメント機能に関してはどのような変更を?
戀塚 コメント部分に関してはあまり変わってないですね。初期から色付きやフォントサイズの変更、固定表示はできましたし、開発の段階から動画によってコメントがどう使われるかっていうのは想像できましたから。
―コメント機能を開発する上で困難だったことは?
戀塚 困難ということはないですが、開始初日はコメントが1ヵ所に集中してレイアウトが破綻してしまい、あふれたコメントは見られない状態だったんです。せっかくたくさんコメントがあるのにそれじゃ寂しいから、そうなったときはコメントがめちゃめちゃに散らかるようにしてにぎやかに見せようと。結果的にそれが“弾幕”って形でユーザーにすごくウケましたね。
―全部先回りですね!
戀塚 たまたま先回りになっただけですよ。思いつきでつくったら時代が後からついてきたみたいな(笑)。
―カッコよすぎです!
◆続編⇒『ニコニコ動画に参戦した演歌の女王・小林幸子の本音「“JK”コスプレした甲斐がありました(笑)」』
●戀塚昭彦(こいづか・あきひこ) 高校卒業後、サラリーマンを経てフリーゲーム制作集団「Bio_100%」に所属し、90年代の伝説的プログラマーとして名をはせる。ニコ動運営の開発総指揮となり、同サービスのシステムコンセプトを構築した
(取材・文/武松佑季(A4studio) 撮影/下城英悟)