“現代の魔法使い”こと落合博士が気づいた、「超AI時代」を生き抜くための“真理”とは?

“現代の魔法使い”こと落合陽一が、人類の未来を予言する『週刊プレイボーイ』の月イチ連載『人生が変わる魔法使いの未来学』。

29歳にして5階級特進! この4月、デジタルネイチャー研究室創設3年目にして、筑波大学学長補佐に就任した落合博士。昼も夜もなく働く彼は最近、これからの「超AI時代」を生き抜くための“真理”に気づいたという。果たして、その心は?

* * *

―落合博士、いつもメチャクチャ働いてますよね。

落合 ワーク・ライフ・バランスが大切だってよく言うじゃないですか。僕は嫌いなんです、あの言葉。よいワークはよいライフあってこそだ、大切なのはバランスだ、とみんな言うけど、ワークとライフを切り分けるっていう発想自体が近代の考え方です。それは現代じゃない。これからの時代は「ワーク・アズ・ライフ」ですよ。

―訳すなら「働くことは生きることだ」。

落合 人類って、人工照明とか松明(たいまつ)が発明されて社会が近代化する前は、一日2回寝たりしてたんです。つまり、今のシステムは絶対的に正しいわけじゃなくて、つくられたものなんですね。じゃあ、なぜ今のシステムができたかというと、大量生産を可能にするための産業革命がそれを要請したからですよ。

―みんなが同じ時間軸で生活をして、同じように工場で働くことが必要だった。ワークとライフを分ける発想も、そこが発端だと。

落合 そうです。そのために必要だったのが、近代の学校教育制度です。森友学園問題で注目された「教育勅語(ちょくご)を全員で息をそろえて暗唱する」というのはまさにそれで、全員の角をそろえて、きれいに同じサイズにしようという日本の近代化の象徴なんですよ。フランス的教育観を規則正しく同じクロックでインストールしようとした。

これは工業製品の検品をずっとやり続ける労働者をつくるためのシステムで、当時は正しかったんですが、現代社会ではほとんど効果がない。なぜなら、今はその作業をコンピューターがやるようになったからです。

―言い換えれば、近代の教育は人間を標準的な機械にするための方法だった、と。

落合 そう。それが必要なくなった今は、もうそういう同一化精神はある程度撤廃しないとダメだと思います。

人生を決めるのは「モチベーションの格差」になる

―じゃあ、現代人に求められるのはどんな精神?

落合 それを考えるにあたって、まずはどこか発展途上国の街――例えば、インドのカオスな街を想像してみてください。車道と歩道がきちんと区別されていないなかを、無数の人々が行き交う。そこを、大渋滞の車列がクラクションを鳴らし続けながら低速で走っていく……。

この街を理想的なコンピューター社会にするには、どうしたらいいと思いますか?

―道路を完璧に整備して安全な街にする、とか?

落合 確かに、そうすれば一見、効率的な街になります。ところが、それこそが近代的な考え方なんですよ。そこで求められるのは規律正しく、ルールを守れるように教育を施された歩行者とかドライバーですよね。

そうじゃなくて、僕が言いたいのはそこにコンピューターをどう組み込むのか、ということ。理想は、すべてのクルマを自動運転にして、どんなに人が行き交っていてもクルマがそれを避けるようにすることでしょう。これなら区画整理する必要すらなく、人々の意識を教育で画一化する必要もなく、多様性がそのまま保たれる。

―なるほど、まさに超AI社会! しかし、そこで人間に求められる精神って?

落合 要するにコンピューターにないもの、コンピューターよりも人間のほうが優れているものとは何か、ということ。それは「モチベーション」です。これからの時代、人生を決めるのは「モチベーションの格差」になるはずです。

優秀なロボットは、わざわざ車道に飛び出してクルマに轢(ひ)かれそうになったりとかしませんよね。完全に合理的にコンピューターが判断すれば、そんなことは絶対にやらないはずなんですよ。でも、人間は違うんです。なんだかわからないけど、危険を冒してでも道路を渡りたくなっちゃったりするでしょ。

―要するに、ムチャをやっちゃう精神ってことですか?

落合 簡単に言えば、そうです。だけど考えてみれば、理想化されたコンピューター社会では、かなりムチャしても人間は死なないんです。先ほどの自動運転はひとつの例ですが、いくら車道に飛び出しても、クルマのほうが避けていく。

人間としては最高にリスクを取ったつもりでも、実はそんなに危なくない。だから、モチベーションにあふれた人が“犬死に”する可能性は、これからどんどん下がっていくはずなんです。

★後編⇒“現代の魔法使い”落合陽一の主張「“超AI時代”を生き抜くために今を食い散らかせ!」

(構成/小峯隆生 撮影/五十嵐和博)

●落合陽一(おちあい・よういち)1987年生まれ。筑波大学学長補佐。同大助教としてデジタルネイチャー研究室を主宰。コンピューターを使って新たな表現を生み出すメディアアーティスト。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学大学院で学際情報学の博士号取得(同学府初の早期修了者)。現在、ヤフー本社オフィス(東京・紀尾井町)内にて大規模個展「ジャパニーズテクニウム展」開催中(5月27日まで)。最新刊は『超AI時代の生存戦略 シンギュラリティに備える34のリスト』(大和書房)