教育勅語からスマホへ、『攻殻機動隊』から『ひるね姫』へ。社会の劇的変化が示す新たな人生論について語る落合博士 教育勅語からスマホへ、『攻殻機動隊』から『ひるね姫』へ。社会の劇的変化が示す新たな人生論について語る落合博士

“現代の魔法使い”こと落合陽一が、人類の未来を予言する『週刊プレイボーイ』の月イチ連載『人生が変わる魔法使いの未来学』。

29歳にして5階級特進! この4月、デジタルネイチャー研究室創設3年目にして、筑波大学学長補佐に就任した落合博士。昼も夜もなく働く彼は最近、これからの「超AI時代」を生き抜くための“真理”に気づいたという。 前編に続き、その心を聞いた。

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落合 3月に公開されたアニメ映画『ひるね姫~知らないワタシの物語~』の神山健治監督と先日、対談したんです。神山監督といえば、『攻殻機隊 STAND ALONE COMPLEX』シリーズの監督としても有名ですが、そのときの話がむちゃくちゃ面白かったんです。

神山監督いわく、『攻殻機動隊』では、それぞれの人間が目指す方向とか、社会の目指す方向というのが確固として存在して、それに対して自覚的、主体的に行動することが前提になっていた、と。その主体性の象徴が、脳の中のゴーストだったわけです。

ところが、今回の『ひるね姫』という作品はまったく違います。主人公の少女は、大人の社会のことは何もわからないし、将来に対するビジョンもない。目の前に提供されたものだけを判断基準にして、性格のよさと健全性ですべてを解決していくんです。これを神山監督が撮ったというのは、ものすごい変化だなと思って、なぜなのか聞いてみたんです。すると、神山監督はこう言いました。

「主体からなる生成的な物語か、即自的に生成される物語かの違い。もう、前者の時代じゃないよね」

これを僕流に解釈すると、前者は「俺は○○になるんだ」という具体的な動機が最初からあって、そこに向けて苦心し、耐えに耐え、最後は成就するというストーリー。一方、後者は目の前にあるものをひたすらこなしていって、その連続で結果的にストーリーがつくられる、という。

―で、なぜ「もう前者の時代じゃない」んですか?

落合 現代のテクノロジーはものすごい速度で進展しているので、ある個人が何年もかけて技術を習得しても、その間にコンピューターの進歩に追い抜かれてしまう可能性が極めて高いんです。

だから、テクノロジーと人間の間に落ちてくる即時的な偶発性を拾って、キャリアを組むしかない。「とにかく何かやり始めて、それを積み上げる」という形しか、リアリティのあるストーリーにならないんです。

言い換えると、かつては“わらしべ長者的な生き方”は行き当たりばったりだとか批判されることも多かったと思います。だけど、今はわらしべ長者こそが勇者なんです。『ひるね姫』の主人公は、そうなれるだけのモチベーションがあった、ということです。

近代教育的な平均化はNG?

―だけど、「○○になりたい」と思い続けるのもひとつのモチベーションですよね。そうじゃないモチベーションって、具体的に言うと?

落合 簡単に言うと、犬みたいな状態です。いつもテンションが高く、目の前のものに食いつき続け、いつの間にかどんどんデカくなり、いつしかケルベロスになっていく…というイメージ。『攻殻機動隊』の頃は、じっとしながら考えに考え抜いて、ここぞの一撃を狙う猫型人間がカッコよかったんですが、今はそれじゃダメってことです。

実は、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長の伊藤穰一(じょういち)さんも、まったく同じことを言っています。「もはや計画は不要になった。フューチャリストではなく、ナウイストになろう」と。また、グーグル社の新規事業研究機関を統括するアストロ・テラーも「可能かもしれない想像上の産物にさまざまな質問を問いかけるという作業に集中する」と言っており、これも“ナウイスト”と同じことを指しています。

―じゃあ、そのモチベーションを持ち続けるには、どうしたらいいでしょう?

落合 近代教育的な平均化を受けてはいけない、ということでしょう。従来、人生の格差を生むのは「文化資本の格差」だといわれてきました。いい家庭で育った子供は、いい本に囲まれ、いい芸術に触れ、いい教育を受ける。一方、なかには自宅に一冊も本がないという家庭もたくさんある。その格差は、お金の再分配だけでは解消されない、と。

だけど、これからはその格差もコンピューターが埋めてくれる。象徴的なのがYouTubeです。例えば、グーグル社傘下のAI開発会社「ディープマインド」の最高責任者であるデミス・ハサビスのインタビューも、誰でもスマホで見ることができるし、自動翻訳で日本語の字幕までつけられる。はっきり言って、そこらの大学の先生の話よりずっとすごいし、役に立つし、興奮します。

―つまり、スマホさえあれば、文化資本の格差に関係なく優秀な子のモチベーションは勝手に上がっていく、と。

落合 そうです。ところが、これを閉ざそうとするのが、「学校にスマホを持ってきてはいけない」とか、「子供にスマホを持たせてはいけない」とかいう声。要するに教育勅語を全員で唱える方々です。

そういう均一性は無視して、目の前のことにどんどん食いついたほうがいいんですよ。メッセージとしては、「今を食い散らかせ!」という感じでしょうか。

(構成/小峯隆生 撮影/五十嵐和博)

●落合陽一(おちあい・よういち) 1987年生まれ。筑波大学学長補佐。同大助教としてデジタルネイチャー研究室を主宰。コンピューターを使って新たな表現を生み出すメディアアーティスト。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学大学院で学際情報学の博士号取得(同学府初の早期修了者)。現在、ヤフー本社オフィス(東京・紀尾井町)内にて大規模個展「ジャパニーズテクニウム展」開催中(5月27日まで)。最新刊は『超AI時代の生存戦略 シンギュラリティに備える34のリスト』(大和書房)