映像制作の未来について語り合う、落合陽一(右)と樋口真嗣(左) ©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ 映像制作の未来について語り合う、落合陽一(右)と樋口真嗣(左) ©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ

実写(とりわけ特撮)とアニメを行き来しながら制作を続け、現在は盟友・庵野秀明(あんの・ひであき)とまたもタッグを組んで映画『シン・ウルトラマン』を製作中の映画監督・樋口真嗣(ひぐち・しんじ)。

『ゴジラ』(1954年)から『シン・ゴジラ』(2016年)に至るまでの「日本特撮」の歴史と進化をじっくり振り返った前編記事に続き、後編では樋口と落合陽一(おちあい・よういち)が特撮やSFアニメ、そしてVR作品における映像制作の未来をたっぷりと語り合う。

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落合 街の風景だけではなく、メディアやガジェットの姿も時代とともに変化します。例えば僕らの世代はまだぎりぎりブラウン管のテレビを知っていますが、もう少し後になると物心ついた時から液晶画面に囲まれていた世代です。

それと、僕らの頃はまだ、メディアの再生と「回転機構」が結びついていたんですよ。ビデオでもレコードでもCDでも、回り出したら再生だな、と。だけど、2000年あたりに断絶があって、それより後の世代の人たちは、回転機構なしのメモリー読み出しが当たり前になっています。

特撮やSFアニメでそういったものの"操作してる感"を出すために、気を使われていることはありますか?

樋口 私たちはラチェットとトグルを大事にしています。ガリガリまわしたり、スイッチをカチッとやったり。

その表現方法にもやはり時代の色が出ていると思いますよ。『機動戦士ガンダム』より前のロボットは、よくわからないけどレバーを動かすとか、それだけで操作していました。それがガンダムになると、レバーを引く前に例えばターン式のスイッチをふたつパチパチやってからガリガリやるとか、操作の煩雑さが描かれるようになりました。

落合 そこから質感が出てくるということですね。

樋口 「俺は簡単には動かせないものを操作してるんだ」という感覚を伝えようとしていたんじゃないかと思います。

落合 今の若い世代はたぶん、それを見ても「動かしづらいものを動かしてる」印象を受けないだろうなあ。

樋口 むしろ「こうなったらかっこいいな」みたいな、ファッションとしての操作手順になっていてもいいと思います。

落合 なるほど、今すごく勉強になりました。僕より下の世代は、いわば"偽物のノスタルジア"としてラチェットやトグルを使いたがるんですよ。もともとは質感や操作の難しさを伝えるものだったのが、今は美しさとして受容されるようになったわけですね。

樋口 それはそれでいいと思います。ただ私が今後、若い世代に発明してもらいたいのは、回したり押したりといった操作なしで動くものの映像表現です。私にはできないけど、君たちはどう質感を与えていくの? どう画にするの? それが楽しみですね。

結局、私たちがラチェットやトグルに頼るのは、自分たちが実際に体験してきた「機械」を違う形で再現していたということなんです。だったら、デジタル機器や新しいインターフェースが当たり前の若い世代からも、その体験を生かした表現が出てくると思うし、出てきたらうれしいですね。

落合 それは面白いトピックですね。今のところ、単調なデジタル画面への顔の映り込みとか、手の表情で表現するパターンが多い気がします。

VRの映画についてはどうお考えですか? 従来の映画だと、感情や情景を語るためのカメラワークがありますが、面白いことに、VRだと見ているほうがみんな、思い思いに見回しちゃうんですよ。そうなるとカメラワークとかカット割りの意味合いも変わるので、映画の作り方自体もずいぶん変わってくると思うのですが。

©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ ©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ

樋口 視聴者に本当の自由を与えたら結局、迷子になっちゃいますからね。見てほしいものに、気づかれないように誘導する必要が出てくると思います。遊園地のアトラクションと一緒で、移動感を含めてすごく自由な気がするけど、実は誘導されているというような作り方が近いのかな。川の流れがあって、船の上では自由に動けるけど、そこからは一歩も出られません、というようなね。

あとは、ARとかVRをやっていていつも思うのは、尺なんですよね。長さをどうするか、どこで終わらせるか。実は映画作りで一番面倒なのは、終わらせなきゃいけないということなんです。最初から2時間後に向けて「終わり始めてる」んです。だけど、世の中のコンテンツには意外と、終わらないものも多い。

落合 ゲームなんか、ずっとやっていますよね。ずっと続いている漫画もあるし。

樋口 実は人々は終わることをあまり望んでいないんじゃないか、と最近僕らは考えています。終わらせない、また来てくださいね、みたいな。

落合 "ずっと続く映画"も成立するような気は確かにしますね。映画は100年かけて尺を決めてきたじゃないですか。それに対してデジタルとかオンラインのコンテンツは、尺の作り方がまだ全体的に未熟だなと僕は感じています

コロナ禍で映画業界も大きな打撃を受けましたが、今はまた少しずつ動き出しているところでしょうか?

『シン・ウルトラマン』(企画・脚本:庵野秀明、監督:樋口真嗣)は今年初夏、全国東宝系で公開予定。『シン・ゴジラ』と同じく現代を舞台に「ウルトラマン」を再構築! ©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ 『シン・ウルトラマン』(企画・脚本:庵野秀明、監督:樋口真嗣)は今年初夏、全国東宝系で公開予定。『シン・ゴジラ』と同じく現代を舞台に「ウルトラマン」を再構築! ©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ

樋口 動き出しているのはほんの一部ですね。『シン・ウルトラマン』は昨年撮影を終えていたんですが、撮ったものを今見直すと、風景が完全に"コロナ前"なんですよ。普通にみんなが立ち話していたり、満員電車だったり。

落合 仕切り板がなかったり、マスクしていなかったり。

樋口 今撮影をするとしたら、マスクどうしよう?みたいな話になっていまして。撮っている間に、切り取る日常が変わってしまったといいますか。これからいろんなものが懐かしく見えるようになるんでしょうね。

落合 『ボヘミアン・ラプソディ』も、今見ると泣けますよ。密だな~って。

樋口 私は『ラ・ラ・ランド』で泣いた。もうこの時代じゃないんだ、と痛感して。

何よりも、出口が見えない、この先どうなるかわからないという状況が、私たちの仕事を根底から揺るがすものだと感じています。つまり、自分たちが作ってきたものって、今日も明日も同じ日常が続くからこそ提供できるんですよ。

日本が沈没しないから『日本沈没』ができるし、怪獣が現れないからこそ怪獣映画が作れる。いわば安寧たる社会のカウンターとして娯楽たり得たんです

落合 なるほど。今は社会全体が一個のドキュメンタリー映画みたいになっていますね。

樋口 それに対してどうカウンターを打てばいいか、まだわかりません。ただ、いずれはこのコロナの時代が、物語の舞台になっていくのだと思います。昭和の時代の特撮映画には戦争ものもたくさんあって、息子が特攻隊に行くというような話が多いんですが、公開当時の人たちは、その内容に同時代性を持って感情移入できたんです。

太平洋戦争のそういった体験は主に日本人だけのものですが、コロナの場合、世界中の人が同時に、同じような目に遭っています。これって今までになかったことで、何年かたったら世界中のみんなが「あのときはこうだったなあ」と共感できるような時代になるんじゃないかと思っています。私自身もいつか、この「今」を描きたいですね。

■「コンテンツ応用論2020」とは? 
本連載は2020年秋に開講された筑波大学の1・2年生向け超人気講義、「コンテンツ応用論」を再構成してお送りします(今年度はリモート開催)。落合陽一准教授がコンテンツ産業に携わる多様なクリエイターをゲストに招き、白熱トークを展開します

●落合陽一(おちあい・よういち) 
1987年生まれ。筑波大学准教授。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学大学院で学際情報学の博士号取得(同学府初の早期修了者)。人間とコンピュータが自然に共存する未来観を提示し、筑波大学内に「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を設立。近著に、2016年の著作『これからの世界をつくる仲間たちへ』をアップデートした新書版『働き方5.0』(小学館新書)

●樋口真嗣(ひぐち・しんじ) 
1965年生まれ、東京都出身。1984年、『ゴジラ』に造形助手として参加し映画界入り。平成ガメラシリーズなどで特撮監督を務めた後、『ローレライ』で長編映画監督デビュー。監督・特技監督を務めた2016年公開の『シン・ゴジラ』では、総監督の庵野秀明と共に日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。そして再び庵野とのコンビによる『シン・ウルトラマン』(主人公に斎藤工、相棒役に長澤まさみ)が来年初夏、ついにベールを脱ぐ!