「現代の魔法使い」落合陽一(左)と「写真家・映画監督」の蜷川実花(右)

今回のゲストは写真家・映画監督の蜷川実花(にながわ・みか)だ。写真に映画にファッションに、その幅広い活動と強烈な作家性についてはあらためて述べるまでもないだろう。最近でも色彩豊かなオリジナルマスクをプロデュースしたり、『鬼滅の刃』とコラボしたり(『少年ジャンプGIGA 2020 AUTUMN』の表紙&ポスター)と、時代に花実を添え続けている。

アーティストとして写真を表現媒体のひとつとする落合陽一(おちあい・よういち)にとって、彼女は"スーパー大先輩"、なおかつ大の仲良しらしい。共に「親の七光」を幻視したがる人々からの生産性に乏しい視線を浴びてきた点も含めて、落合は蜷川に強いシンパシーを感じているという。

もちろん共通点はそれだけではない。今回の対話からは、ふたりの根底に潜んでいるある種の「自然観」のようなものがあぶり出されていく。

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落合 ニナミカさんとは以前、東京都の委員会か何かで一緒になって以来、ご飯を食べに行ったり、別荘にお邪魔したり、お子さんと遊んだり、親しくさせていただいております。写真家になられて何年たちますか?

蜷川 デビューして26年になるのかな。

落合 さすがスーパー大先輩。ちなみに私はメディアアーティストを始めて10年になります。

蜷川 10年たつといろいろまとまってくるよね。

落合 展覧会も4回できるくらいになってきましたし、付き合う人が固まって、研究でもアーティストとしても会社でもチームができてくるのが大きいですね。

ミカさんは『AERA』の表紙写真を毎号担当してるじゃないですか。僕も2年前に撮っていただいたものを、プロフィール写真に使わせていただいております。

蜷川 あれ、朝の5時集合とかだったよね。落合君も全然時間がなかったから。

落合 「朝5時なら空いてます!」って言って早朝の渋谷に集まって、メイクして、編集者の方は超眠そうっていう(笑)。ミカさんに「メンヘラが釣れるような顔して」って言われたのを覚えてます。それで撮った写真がめっちゃ面白かった。

蜷川 だって落合くん、メンヘラホイホイだもん(笑)。評判よかったでしょ?

落合 はい。この世のフェイクを塗りたくったように目の下に広がったクマは見事に隠されていました(笑)。

僕の知り合いの中でも、プロフィール写真がニナミカ作品になってる人が増えてきていて、見ると「あ、ミカさんが撮ったな」ってわかるんですよ。人物を撮るときは、いろいろ指示を出されるんですか?

蜷川 最終的には""の強い作品に仕上がってると思うんだけど、基本的にほとんど指示は出しません。撮っているときは、その人がその人でいたいようにしてもらってる。自分で言っちゃうけど、わりと包容力があるんだと思う。

特に表情については、お互いの信頼関係からできてくるものなので、私は相手のいいところ、いい瞬間を「撮らせてもらってる」感じかな。セットがあるときはもちろん世界観を作り込むけどね。

落合 なるほど。僕は人物をあまり撮らないせいか、撮影対象の顔を覚えられないことすらあります。人間に対する観察性能が低すぎるんだと思います。

蜷川 落合くんは、違う角度でいろんなものを見てるんだろうな。

落合 ミカさんが以前「ウソっぽいものを撮るのが好き」と言われていたのが印象に残ってます。実際、作品を拝見しても金魚とか造花とか、映画だと『ヘルタースケルター』美容整形とか、自然ではないフェイクなものをテーマにしているものが多いですね。

蜷川 そうですね。ウソっぽいもの、人工的なものが好きで。

例えば金魚って、珍しいものを見たいとか所有したいという人間の欲望から作られているじゃない? 生命体としてはどんどん弱くなるのに、そんなのガン無視で「頭が大きいとどうなるかな」「尾びれが長いときれいなんじゃないか」って改良していって。いろんな人の欲望を一身に背負った生き物だと思うんですよね。

公開当時、沢尻エリカの復帰作としても話題になった2012年の映画『へルタースケルター』は興行収入22億円を記録。監督として新藤兼人賞銀賞を受賞した。同作のDVD(税抜1500円)&Blu−ray(税抜2000円)が発売中。販売元:ハピネット ©2012映画『ヘルタースケルター』製作委員会  ©岡崎京子/祥伝社

落合 フェイク感がすごいですよね。しかも"標的・オブ・ザ・イヤー"ってくらい弱い。自然界じゃ生きていけないし、あの目がちゃんと見えてるのかすら不安になりますし。

蜷川 不安だよね。でもその危うさもあってかわいかったりしてさ。

人工的に作られたものを否定するでもなく肯定するでもなく、ただ面白さや美しさをキャッチするのが自分の使命かな、と思っているところはあります。それが『ヘルタースケルター』にもつながるし、初めて監督した映画『さくらん』もそう。

吉原の世界を撮ったんだけど、そこでは「ありんす言葉」っていう作られた言葉を使うことによって夢の世界に連れていってくれる、人工的な""が働いてるわけね。

江戸時代の吉原を舞台にした初監督映画『さくらん』(2007年)は土屋アンナ主演。同作のDVD(税抜2800円)&Blu−ray(税抜3800円)が発売中。発売元:アスミック・エース、講談社 販売元:TCエンタテインメント ©2007 蜷川組「さくらん」フィルムコミッティ ©安野モヨコ/講談社

落合 『さくらん』、いい映画でしたね、人工的で耽美で。あとはミカさんといえば造花、これも人間の欲望が込められています。

蜷川 そうなのよ。枯れないで欲しい、死なないで欲しいから、作るわけでしょ。

落合 しかも、それを写真に切り取って永続性を持たせるという、二重の矛盾がまた面白いです。

蜷川 そうそう、見方がさすがだね。

落合 植物からしたら知ったこっちゃない話ですよね。金魚は当事者だから、けっこう困ってるかもしれないけど。

蜷川 でも、それも実際にどうかはわからなくて。

閉じこめられてかわいそうにって人間的な角度で思うかもしれないけど、もしかしたらエサが常に与えられて「めっちゃ楽でいいんですけど」みたいな話かもしれないじゃない? かわいそうと思うこと自体が驕っているのかもっていう角度も持ちつつの興味です。

落合 蝶々もお好きですよね。これはなぜなんだろう。

蜷川 造形が好きなのと、裏がキモいっていうのもあるかもしれない。あの永遠に見ていられるくらい美しい色と模様を持っているのに、裏にすると手から離したくなるくらい怖い。そのインパクトも含めて好きなのかな。

あとはやっぱり女子なんですよ、どこまで行っても。『プリキュア』みたいなのが好きなんです。ヒラヒラキラキラしたものが。

落合 ちなみに僕も蝶々は好きです。芋虫から蝶々に変形するのが好きで、トランスフォーメーションの象徴としてよく作品に登場させてます。この前の個展ではモルフォチョウをプラチナプリントで刷ったことがあって、青い蝶々が白黒になるとそれだけで"生き物感"が全然違ってくるんです。

ただ、ミカさんも僕も、羽根を開いた状態の蝶々ばかり使っちゃうけど、そこはどう思います?

蜷川 だって裏側はきれいじゃないし。要は、ナチュラルであるということに興味がないのかもね。

落合 僕もナチュラルには興味がなくて。人間に都合のいい自然、おそらくそれがデジタルネイチャーではないか、そしてそうやって人間の自然観は「新しい自然」にスライドする、とよく唱えてます。

蜷川 それはまったくもってアグリー(賛成)ですね。造花だって、本物か偽物かよりも、「枯れない花を手向けたい」っていう、作った人の気持ちの重みに共感しちゃうのね。

カトリック系のお墓に行くと、派手な造花が差してあったりするんだよね。そういう光景を見ると、「枯れない花を手向けたい」っていうミッションをまっとうしてるわけじゃないですか。

落合 わかります。人の顔に手を加えることも、『へルタースケルター』が公開された頃と今とを比べたら、だいぶ受け取り方が変わってきているんじゃないかな。

蜷川 プロフィール写真を加工するのは普通のことになってるしね。『へルタースケルター』の原作のマンガはもっと前に描かれたものだし、当時の感覚だとああいうお話になるんだろうけど、今だったらハッピーな方向に行きそうだよね。

落合 フェイクな顔面で楽しくやっていくことに、だいぶ世の中が慣れてきてますからね。

僕がミカさんの作品を好きなのは、単純にきれいなものが並んでいるなかに、都合のいい自然とか圧倒的なフェイクに対する洞察が差し込まれるからです。都合よく作られた世界に対して皮肉交じりの興味を持って生きるのはすごく共感するところで、そこに根源的なメッセージを含んでいると思うんですね。その感性はどこで養われたんでしょう?

蜷川 劇場で育ったからかもしれない。うちは母(真山知子。キルト作家としては本名の蜷川宏子名義で活動)が女優で父(蜷川幸雄)が演出家で、母のほうがずっと稼ぎが多かったから、5歳まではほとんど父の手で育てられたんです。

よく劇場に連れていってもらって、話もわからないのに「心中もの」とかを見て育ったので、原風景が劇場になってるみたい。

落合 花は造花だし、セットはハリボテだし、役者さんは舞台の外では全然違う顔をしているし、といったことを当たり前に知ることができる環境だったと。

蜷川 境界線が揺らぐ瞬間ってあるじゃないですか。どこまでが「虚」でどこまでが「実」かわからないような。そういう瞬間が劇場にはたくさんあるし、それを楽しみに来る大人たちの姿を見て育ったのは大きいかもしれない。

落合 めっちゃ納得がいきます。写真を選んだのはなぜですか?

蜷川 家の環境もあって、表現者になりたいとは小さい頃から思っていて。本当は演劇をやりたかったんです。

だけど、それは「二世すぎる」かなと思ったし、中学か高校の頃に父親に聞いたら、「子役はやるな。高校出てやりたかったらやればいいよ。今はいいものをいっぱい見なさい」って言われて。

落合 いいアドバイスですね。

蜷川 それでひたすら映画観たり本読んだり、展覧会に行ったりして、いまだにその貯金で生きてるところがあるんだけど。

それから美術予備校に通いだしたら、やりたかったことが見つかった感じで面白くて、絵をたくさん描いてたんです。だけど私、けっこうまじめで、教わったことを崩せなくて、成績はいいけど「好きな絵を描いて」と言われたらできなくて。

代わりに写真を撮ってみたら、すごく自由度が高く感じられたのね。それでのめり込んでいきました。

落合 大学は多摩美(多摩美術大学)で、グラフィックデザインに行かれてますね。

蜷川 そう、芸大(東京芸術大学)に落ちて。実は親子代々落ちてて、どんだけセンスないんだと思ったけど(笑)。

父から「女の人は精神的にも経済的にも自立せよ」って言われて育ったから、グラフィックなら食べていけるかなと思ったんです。でも、自分がやりたいものって考えたら、やっぱり写真だった。

写真は全部独学で、だからこそ、やってはいけないものがない分野として認識できていて。私にとってはすごく自由な場所です。多摩美の学生時代にデビューして、国内の大きな賞は全部もらってるんだけど、いつまでも「親の七光」みたいなこと言われ続けたな。

落合 ああ、それは、気持ちわかります。僕も「親のコネ」とか言われ続けてきましたから。

蜷川 そっか、そこも仲間だったね。関係ないのにね。

落合 関係ないですよね。キャラクターが違うし。僕の場合は父(落合信彦)がジャーナリスト兼作家で、ジャンルが違うからまだしも、ミカさんはその後、映画監督も始めるわけで。舞台芸術に近いっちゃ近いからよけいに言われそうだ。

蜷川 そう。33歳のときに撮った『さくらん』が最初の映像作品で、プロデューサーが話を持ってきてくれたんだけど。七光、女、若い、異業種、チャラチャラしてる......って、嫌われる要素が満載で。緊張して現場に行ったのを覚えてます。

時代劇だからスタジオが土間、つまり床が土なんだけど、負けたくなかったから、まずは格好だろうと思ってピンヒール履いていきました。ずぼずぼ刺さるっていう(笑)。

落合 素晴らしい。誰がその穴を埋めるんだろう(笑)。

蜷川 そんなふうにとがってたんだけど、100人くらいのスタッフの前であいさつするときは、気がついたらマイクを持つ右手が震えてて、左手で押さえながらトークしました。つっぱってるけど不安でもある、まだかわいい小娘感がある時代でした。

◆後編⇒落合陽一×蜷川実花「『ヘビロテ』や『鬼滅』は自分の得意技に持ち込んだ」

「コンテンツ応用論2020」とは? 
本連載は2020年秋に開講された筑波大学の1・2年生向け超人気講義、「コンテンツ応用論」を再構成してお送りします(今年度はリモート開催)。落合陽一准教授がコンテンツ産業に携わる多様なクリエイターをゲストに招き、白熱トークを展開します

落合陽一(おちあい・よういち) 
1987年生まれ。筑波大学准教授。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学大学院で学際情報学の博士号取得(同学府初の早期修了者)。人間とコンピュータが自然に共存する未来観を提示し、筑波大学内に「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を設立。近著に、2016年の著作『これからの世界をつくる仲間たちへ』をアップデートした新書版『働き方5.0』(小学館新書)

蜷川実花(にながわ・みか) 
1972年生まれ、東京都出身。多摩美術大学在学中に写真家デビュー。2001年、木村伊兵衛写真賞を受賞。08年、「蜷川実花展」が全国の美術館を巡回。16年、台湾・台北の現代美術館で開催した大規模個展が同館の動員記録を更新。映画やMVなどの映像作品も多数手がけ、監督映画に『さくらん』(07年)、『ヘルタースケルター』(12年)、『Diner ダイナー』(19年)、『人間失格 太宰治と3人の女たち』(19年)がある。監督を務めたNetflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』(20年)は世界190ヶ国で配信された