連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第3話
感染力を維持しながら、免疫から逃れるという進化を遂げ、「全とっかえ」で大流行した新型コロナ。しかし、2022年下半期からはウイルスが多様化し、そこからこれまでにないふたつのウイルスが合体した変異株が現れた。
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■「西半球」 vs 「東半球」という新たな構図
前編では、2022年夏のオミクロンBA.5の出現と流行まで、つまり、変異株の「全とっかえ」の変遷についてまとめた。今回のコラムでは、2022年下半期から現在(2023年夏)までの変遷を追う。
2022年夏まで続いたこの「全とっかえ」の構図があやふやになってきたのが、2022年下半期である。BA.5の出現後、BA.2.75など、次の「最強」となるとおぼしき株がいくつか出てきたが、それまでのような天下統一には至らなかった。
ちなみに、世界保健機関(WHO)によるギリシャ文字のオフィシャルネームがつかないので(WHOルールだと全部「オミクロン」になってしまう)、この頃からSNSで勝手に命名することが流行し、BA.2.75は「ケンタウロス」という俗称で呼ばれたりもした。
そうこうしているうちに、西半球では「BQ系統」、東半球では「XBB系統」が台頭し、それぞれの地域でどんどん多様化を進める、というこれまでにない構図が見え始める。変異の数や組み合わせから、その分類は細分化されていった。そして、多様化したさまざまな系統のスパイクが、共通の変異を独立に獲得する、というイベントが起こる。このようなことを専門用語で「収斂(しゅうれん)進化」と呼ぶ。
収斂進化とは、「分類上は関係ないのに、似たような姿形に進化する」ということを意味する専門用語である。たとえば、サメとシャチを思い浮かべていただくと、サメは魚類で、シャチはほ乳類。なのになぜか似ている。これも収斂進化である。つまり、この時期の新型コロナは、いったんは別々の分類に進化した後で、それぞれがスパイクの同じ場所に同じ変異を獲得することで、姿形が再び似てきたのだ。
こういうイベントが偶然に起きるとは考えづらく、なにかしらの理由があってみんな同じ変異を獲得する必要があった、と考えるのが妥当である。それでも、この混沌とした状況を抜け出すに至る株は、2022年末まで出現せず、群雄割拠な状態がしばらく続くことになる。
■ツギハギな新型コロナウイルス「XBB」の出現
この2022年下半期のどんぐりの背比べな戦国時代を制したのは、年末にアメリカで突如流行を急拡大した、XBB.1.5(「クラーケン」という俗称がついている)である。そもそも、「XBB」とはなにかというと、BJ.1とBM.1.1.1というふたつの「BA.2の子どもたち」が、「(遺伝子)組換え」を起こして生まれた変異株のことである(新型コロナの専門的な分類では、組換えで生まれた株には「X」をつける決まりになっている)。
ウイルスの「組換え」とは、ふたつの別々のウイルスの上半身と下半身が「合体」したようなものだと思ってもらえればいい。XBBの場合、そのウイルスゲノムの上半身がBJ.1、下半身がBM.1.1.1でできている、ということである。
XBBが厄介なのは、この「組換え」が、細胞に侵入する「鍵」であるスパイクの遺伝子のちょうど真ん中で起きていたことにある(「鍵」としてのスパイク、「鍵穴」としてのACE2、そして「鍵」の邪魔をする「中和抗体」については、「前編」を参照いただきたい)。XBBのスパイクは、半分がBJ.1由来、もう半分がBM.1.1.1由来でできている。
そんなツギハギな新型コロナウイルスの「鍵」たるスパイクはそれまで存在していなかったので、これの邪魔をできる中和抗体はほとんどなかった。XBB系統が厄介なのはこの点にある。つまり、XBB系統には、ワクチン接種や、過去の(XBB系統ではない)変異株の感染で獲得された中和抗体がほとんど効かない。
そして、このパート冒頭で紹介したXBB.1.5は、XBBをベースに、さらにF486Pというたったひとつの変異を獲得したものである。F486P変異は、「鍵穴」であるACE2への結合力を高める変異であった。この変異の獲得によって感染力を高めたXBB.1.5が、一気にどんぐりたちを出し抜いた、というわけである。
その後、このF486P変異を持つことがトレンドとなり、XBB.1.5に加えて、XBB.1.9やXBB.1.16などの、F486P変異を獲得したさまざまな株が出現してきているのが、2023年上半期から現在(9月)である。つまり、XBB.1.5も天下統一を成し遂げることなく、複数のXBB系統がふたたび多様化し、その後で収斂進化をする、という2022年下半期と似たような状況にある。
2023年8月9日、WHOは、新しい変異株EG.5を「注目すべき変異株」に指定した。EG.5とは、XBB.1.9の子どもである。ちなみに余談だが、「なぜ『XBB』の子どもに『EG』という別の名前が?」と思われるかもしれない。
これは、専門的な命名ルールにトリックがある。変異が入るたびに「.ほにゃらら」という枝番を付けることになっている。そうやって多様化にしたがって細分化されていくわけだが、この枝番が続きすぎるとわかりづらくなる、ということで、「4桁目の枝番が付いたら、アルファベットの名前を更新する」ということになっている。EG.5とは「XBB.1.9.2.5」のことであり、枝番が「1.9.2.5」と4桁になったので、アルファベットを更新して、「XBB.1.9.2.5=EG.5」としたわけである。
閑話休題。EG.5は、そのスパイクにF456L変異という特徴的な変異を持っている。F456L変異は、現在、収斂進化でいくつかの株で同時に獲得されている変異のひとつでもあり、この変異が流行拡大に重要である可能性が高い。
私たちG2P-Japanの最新の研究成果によると、F456L変異は、XBB.1.5やXBB.1.9の感染で獲得された中和抗体から逃げるために重要なようである。このEG.5が、今の群雄割拠時代を出し抜く株となるのか、それを注視する必要がある。(後編に続く)
●佐藤 佳(さとう・けい)
東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。
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