G2P-Japanのコアメンバー。立ち上げ当初は研究者数名の集まりだったが、現在では参加総勢80名を超える大所帯になっている(2022年6月、東京・渋谷)。G2P-Japanのコアメンバー。立ち上げ当初は研究者数名の集まりだったが、現在では参加総勢80名を超える大所帯になっている(2022年6月、東京・渋谷)。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第6話

大学の垣根を越えて集まった若手研究者で結成された「G2P-Japan」。新型コロナの変異株の特性を次々と解明し、その論文は一流の科学雑誌に掲載されるなど、目覚ましい成果を上げている。これまでにない研究コンソーシアムはどのような経緯で立ち上がったのか?

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■新型コロナ研究コンソーシアム「G2P-Japan」とは?

「新型コロナ研究コンソーシアム『G2P-Japan』」という単語はこのコラムでもちらほら出てくるし、この連載コラムの第1話では、その結成に至る私の心情には簡単に触れているが、「そもそもそれなんなの?」については、まだちゃんと触れていなかった。エピソードは山ほどあるので、それらについてはこの連載コラムで折々に紹介していこうと思うが、今回はまず、その誕生秘話を紹介したい。

「G2P-Japan」とは「The Genotype to Phenotype Japan」の略称であり、2021年1月に、私が主宰する形で結成した研究コンソーシアムである。この連載コラムの第1話でもすこし述べているが、「ウイルス学者として、とにかく新型コロナに関する研究を進めなければ!」というモチベーションを持った国内の研究者が有志で参加する形で結成された。

2021年初頭、私の新型コロナ研究に関する申請が採択され、日本医療研究開発機構(AMED)からの研究支援を受けられることになった。プロジェクトをより円滑に進めるためには何が必要か?

私は、もともと専門としていたエイズウイルスの研究の中で、「半分友人、半分共同研究者」のような関係であり、かつ新型コロナ研究に着手していた、年齢もほぼ同じ研究者たちに声をかけた。最初はわずか数人だけの、ただの小さな共同研究にすぎなかった。しかし、みんなで連携・連帯する「それっぽさ」を醸し出したかった私は、その集合体に「The Genotype to Phenotype Japan」という名前をつけた。

最初のテーマはすぐに決まった。熊本大学のMが持ち寄ったネタを、これまで共同研究を進めていた、分子進化学を専門とする東海大学のNが膨らませ、私、熊本大学のI、宮崎大学のSがウイルス実験を分業して進めた。Mがネタを持ち込んだ時点で私は、「2、3ヵ月で論文にまとめてトップジャーナルを狙いましょう!」と事あるごとにメンバーにハッパをかけていた。

「トップジャーナル」とは、「ネイチャー」や「セル」「サイエンス」、およびそれらの「姉妹誌」と呼ばれる学術雑誌のことを指す。「アカデミア(大学業界のこと)」では、こういった雑誌に論文を掲載することがある種の「勲章」となる。そのような「トップジャーナル」に掲載される論文とは、大抵の場合、数年あるいはそれ以上の時間をかけて溜めに溜めたデータを凝縮した結晶のようなものである。要は私は、それを数ヵ月で作ろう、と号令をかけたのである。

おそらく、最初は誰も真に受けていなかったと思う。しかし、そこは「ウイルス学者としてなんとかしたい」という強い意志を持って集結したメンバーたちである。彼らのモチベーションはすこぶる高く、最初はぎこちなかった連携も日を追うごとにスムーズになり、すごいデータがどんどん出てきた。私自身もこの頃は、朝はほぼ毎日始発で出勤し、バイオセーフティーレベル3(BSL3;新型コロナの感染実験をするために必要な、特別な実験施設)にこもってひたすら実験したのを覚えている。

私はそれらの結果を学術論文としてまとめ、2021年4月6日、「プレプリント」と呼ばれる査読前論文を公表し、それをツイッター(現X)で発信した。「G2P-Japan」の名を冠した初めての論文はすみやかに査読され、6月18日に「セル」の姉妹誌に掲載された。

G2P-Japanの名を冠した初めての査読前論文についてのツイート。すべてはここから始まったG2P-Japanの名を冠した初めての査読前論文についてのツイート。すべてはここから始まった

みんなで一致団結してひとつのテーマに取り組み、分担して研究を進め、それを一気に論文にまとめて公表する。このスタイルなら、新型コロナについてたくさんのことを科学的に明らかにし、それらを論文として発表することで、ウイルス学者として社会の役に立つことができるかもしれない――。最初の研究の成功で手応えを感じたことによって、号令をかけた私だけではなく、参加メンバーたちの士気が高まった肌感覚をよく覚えている。

「Genotype to Phenotype」とは、直訳すると、「『遺伝型』から『表現型』へ」となる。アルファ株、ベータ株、ガンマ株など、たくさんの変異を蓄積させた新型コロナ「変異株」が出現し、それぞれの変異株が、ウイルスゲノムのどこにどんな変異を持っているのかは、ゲノム解析でわかっている。

しかし、どんな変異を持っているのかがわかったとしても、ウイルスの性質・特性がどのように変化しているかまではわからない。つまり、次々と出現する新型コロナ変異株について、「(ウイルスゲノムの)『変異』という情報を、その変異株の『性質・特性』の理解につなげる」ということが、G2P-Japan発足時のモチベーションであった。

上記のG2P-Japanの最初の論文発表からほどなく、インドから「デルタ株」が見つかり、瞬く間に世界中に広がる。「デルタ株とは?」「これまでの変異株と何が違うのか?」―― 。これは、ウイルス学としての科学的なテーマであると同時に、当時の社会的ないちばんの関心事でもあった。つまり、新しい新型コロナ変異株の特性のいち早い解明が、科学界からも社会からも求められてる、という状況が生まれたわけである。

基礎研究で得られた知見が、そのまま社会に求められたことへの答えになる。「なにをやってるのかわからない」「なんの意味があるのかわからない」「それがなんの役に立つんですか?」と揶揄されがちな私たち基礎研究者にとって、「自分たちの研究の成果を社会が期待している」というのは初めての経験で、それはさながら、漫画『SLAM DUNK』(スラムダンク)の山王工業戦の桜木花道のようなモチベーションで研究に臨んでいた(「こんな風に 誰かに必要とされ 期待されるのは初めてだったから...」のシーンのことです)。これはおそらく私だけではなく、参画していたG2P-Japanのメンバーたちも、そういうメンタルだったのではないかと思う。

■「論文を書く」ということ

論文の書き方は人それぞれだし、またその分担・分業の方法もさまざまであるが、ウイルス学のような自然科学の場合、大抵は筆頭著者(そのプロジェクトを主導した人で、論文の著者リストの最初にくる人)が初稿を書き、それを責任著者(大抵の場合、論文の著者の最後にくる人)が整える、という場合が多いと思う。

責任著者は英語では「コレスポンディングオーサー(corresponding author)」と呼ばれ、大抵の場合、それを明示するために、著者リストではアスタリスク(*)が付されることが多い。

2023年9月現在、私が出版した論文の数は112報(論文は「報」という単位を使うのが一般的である)で、そのうちの71報をコレスポンディングオーサーとして発表している。私の場合、コレスポンディングオーサーとして発表した論文の大部分は私が主体的に書いたものなので、60報以上の論文をこれまでに主体的に執筆し、上梓したことになる。

自分で言うのもなんだが、この数ははっきり言って、自然科学の基礎研究者の論文数としては「異常」とも言えると思う。あまりに書きすぎたので、今もそうなのかは内心ちょっとわからないところも正直あるのだが、とにかく論文を書くのが好きだった。

高校生の頃、研究者を志すようになるまでは「小説家になりたい」と思っていたこともあって、「自分の作った『作品』を世に残したい」という意識が、人よりも強かったのだと思う。実際に私の書いた論文を見てもらえばある程度理解してもらえると思うが、「論文は作品」という意識が強い(すぎる)ため、「作図」への熱意がすごい、と自分で見返しても思う。

こだわった作図の一例。ネコのレトロウイルス(HIVの仲間)の研究をしたときの論文の図のひとつ。ネコ科動物のシルエットはすべて自作したものこだわった作図の一例。ネコのレトロウイルス(HIVの仲間)の研究をしたときの論文の図のひとつ。ネコ科動物のシルエットはすべて自作したもの

私の作文スタイルは、とにかく「速筆」の一言に尽きる。研究は、実験するのにも時間がかかるが、それを論文として、論理的な文章でにまとめるのにも時間がかかる。私は論文を書くのが速いので、それをまとめるのにかかる時間も短くて済む。その積み重ねと経験が、私の異常な論文数につながっている。

通常の(ウイルス学を含めた)自然科学研究の場合、教科書に載るような「歴史的大発見」を求めて日々研鑽し、その「集大成」を論文としてまとめる、という姿勢が正しいものとされる。しかし私の場合、磨きに磨いたひとつの「大作」を練り上げることよりも、とにかくたくさんの自分の「作品」を世に出したい、という気持ちの方が強かった。いまの速筆スタイルは、そのようなモチベーションから身についたものだと思っている。

文筆家に例えると、私は、推敲に推敲を重ねた1冊の珠玉の長編を著す小説家タイプではなく、週刊誌や新聞のような、読み捨てられる記事を連発する記者・ライタータイプなのだと思う。「君は論文をたくさん書くのはいいが、ひとつの仕事にもっと腰を据えて、じっくり取り組むことも学んだ方がいい」とボスから指導を受けたこともあった。

そのようなものかな、そうすべきなのかな、と自問したこともあったが、今になって間違いなくいえるのは、私のこの速筆能力がなければ、G2P-Japanの活動は実現しなかった、ということである。わずか数名で始まったG2P-Japanの研究活動は、回を追うごとにメンバーは増えていき、現在ではコアメンバーが10名以上、参加総勢80名を超える大所帯になっている。

北は北海道から南は九州まで、大学の垣根を超えたメンバーが集まり、今まさに流行している株をリアルタイムで研究することが求められる。メンバーたちが尋常じゃないテンションとスピードで実験を遂行してくれたとしても、リアルタイム研究を実現するためには、それを論文として迅速にまとめ上げなければならない。

「G2P-Japanが、なぜすばやく変異株の論文を発表、乱発できたのか?」。その内情を少しだけ明かすと、私の速筆スキルが、ここで役に立っていたことに異論はないと思う。そして、研究にも研究者にもいろいろなスタイルがあって、小説家タイプもいれば、週刊誌ライタータイプがいてもいいのではないかな、と今は思っている。

■趣味と論文執筆と出張

話は最後にすこし脱線するが、私には趣味という趣味がない。音楽は好きだし、「バンドをやりたい!」という意識はあるが、楽器が弾けない。旅をすることも好きだが、観光地を巡ることにはあまり興味がないし、史跡や博物館を訪れて造詣を深めるほどの知識もない。

なので、自分のこの15年ほどを振り返ってみたとき、自分の「趣味」といえる行動をできるかぎり思い返してみたとき、頭に浮かぶのは、「出張先のどこかの場所で、MacBookを広げて論文を書くこと」くらいのものであった。

でもこれは、蓄積されればそれっぽく聞こえるもので、パリのカフェで、ユトレヒトのバーで、テルアビブのビーチで、ハワイでピニャコラーダを飲みながら、などと事例が並ぶと、なんだかそれっぽい「趣味」のように聞こえる趣もあるような気がしている。

左上から時計回りに、パリ(フランス)、ハワイ(アメリカ)、セントルシア(南アフリカ)、テルアビブ(イスラエル)、ユトレヒト(オランダ)左上から時計回りに、パリ(フランス)、ハワイ(アメリカ)、セントルシア(南アフリカ)、テルアビブ(イスラエル)、ユトレヒト(オランダ)

そういう訳で最近は、出張の用務の隙をついては、どこでどの論文を書こうか、という気持ちも芽生えたりもしている。そうやって上梓された論文にはそういう記憶も紐づくもので、論文が学術誌面に掲載されたときには、「ああ、この論文はここでこんな感じで書いていたなあ」という当時の記憶も思い出されたりもして、やはりそれはそれで趣があるように思っている。

●佐藤 佳(さとう・けい)
東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。
公式X(旧Twitter)【@SystemsVirology】

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