ウルバニ医師が亡くなったとされるB病院の病室 ウルバニ医師が亡くなったとされるB病院の病室

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第12話

ウルバニ医師が亡くなったタイの病院を訪れる。首都バンコクでは新型コロナは過去のものになっていたが、多くの市民はマスクをつけていた。

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■バンコクの「いま」

バンコクに着いた翌日、ひどい下痢をした。原因はよくわからない。ハノイの最後の食事が合わなかったのか?(私のラボメンバーたちも同じ食事をとったが、彼らの体調に異常はないようだった) バンコクに着いた後にとった食事が悪かったのか?(パスタを食べたいと思って入った店は、和食を出す居酒屋だった) 就寝時のエアコンが効き過ぎていたのか?(たしかに、震えるくらい寒かった) 原因は今でも結局判然としていないが、とにかく大腸内視鏡検査をするための下剤を飲んだくらいにめちゃくちゃに下痢をした。

さて、バンコク。タイ人だが、ほとんどネイティブなくらいに日本語が流暢な、M大学で准教授をしているSさんにホストをしてもらった。Sさんとは昨年日本で知り合った。彼とは東京で2度、共同研究の打ち合わせをしており、今回はその研究の方針を詰めるための訪泰である。彼の計らいで、チャオプラヤー川を船で遡上する。彼もよく通勤で使う、バンコクの人にとっては至って普通の通勤手段らしい。

チャオプラヤー川を望むタイ料理のレストランで昼食をとる。グレープフルーツが入った美味しいサラダやグリーンカレー、トムヤムクン。下腹部の不具合のことは意識的に忘れ、並ぶタイ料理に舌鼓を打つ。ハノイのベトナム料理ももちろん旨かったが、味がやや単調なベトナム料理とは違い、タイ料理には辛さや酸味、スパイスの香りなど、味に複雑さがある。

M大学で准教授をしているSさんにホストをしてもらった。背景はチャオプラヤー川 M大学で准教授をしているSさんにホストをしてもらった。背景はチャオプラヤー川

Sさんとランチで食べた、グレープフルーツ入りのサラダ(左)と鴨ロース入りカレー(右) Sさんとランチで食べた、グレープフルーツ入りのサラダ(左)と鴨ロース入りカレー(右)

Sさんとランチで食べたグリーンカレー Sさんとランチで食べたグリーンカレー

トムヤムクン トムヤムクン

バンコクはハノイとは打って変わって、マスク着用率がとんでもなく高い。大学病院近く、あるいは大学病院に近い駅に停まる路線の電車だからなのかもしれないが、電車の車内ではほぼすべての人がマスクをつけていた。レストランの店員はもちろん、露天の店員もほぼすべて、である。

これには私もとても驚き、Sさんにその理由を聞いてみた。すると、タイでは、SARSの経験と、それに続いたH5N1鳥インフルエンザの脅威が国民の潜在意識に残っているためだという。Sさん曰く、タイはH5N1鳥インフルエンザの感染で人が死亡した世界で初めての国ということで、国民の感染症に対する意識がきわめて高いという。

たしかに、マスクの着用率だけではなく、マスクの正しい付け方や、日本ではすでに死語になってしまっている「ニューノーマル」という標語を示すポスターが、ホテルや街中の至るところで散見された。

「ニューノーマル」という標語を示すポスター。バンコクはマスク着用率がとても高い。SARSの経験と、H5N1鳥インフルエンザの脅威が国民の潜在意識に残っているためだという 「ニューノーマル」という標語を示すポスター。バンコクはマスク着用率がとても高い。SARSの経験と、H5N1鳥インフルエンザの脅威が国民の潜在意識に残っているためだという

興味深かったのは、マスクについてのポスターよりも、手を洗うことを啓蒙するアナウンスの方が多かったことにある。これは、タイの人たちは文化的に、マスクをつけることに抵抗はないが、手を洗うという文化があまりないことに起因するらしい。「感染症」に対する国民感情の違いは、その国の習慣や、「感染症」にまつわる歴史的なエピソードと強く紐づいている。

■タイの研究事情

バンコクでは、M大学のふたつのキャンパスで2度、研究コンソーシアム「G2P-Japan」の研究内容の講演をした。どちらも好評で、とても活発な質問を受けた。そこからも感染症、特に時事的にホットな新型コロナに関する興味の高さを体感することができた。どちらの講演でも、学生とおぼしき若い子たちが多数参加してくれて、発表する側としても、とてもやる気の出る、貴重な経験となった。

講演後には、プロ仕様の一眼レフカメラを手にしたカメラマンによる記念撮影やプレゼントの贈呈など、日本(や欧米?)ではあまり経験しないイベントが続いたのだが、その中で気づいたことがある。その集合写真に写っていた男性が、私とSさんだけだったことだ。つまり、ほかに一緒に写っていた十数名のスタッフや研究科長(とおぼしき人)は、すべて女性だったということである。

ダイバーシティ、男女平等、というのは、いまや世界共通の標語のようになっていて、日本のアカデミア(大学業界)でも強く叫ばれている。欧米に出張した際には、それを強く意識した姿勢を目の当たりにする。しかし、それがタイでは、ナチュラルに、完全に、男女比率が日本(や欧米)と真逆になっているのである。

これはとても興味深い事象で、Sさんに聞いても、「なぜだかよくわからないが、タイでは歴史的にそうである。そして、タイの女性はとても優秀である」ということであった。「ダイバーシティ」といえば聞こえは良いが、国によってはそれがすでに「当たり前」の国もある訳で、タイのそのようなナチュラルな状態を見ると、むしろ「ダイバーシティ」といいながら、グローバルに「均一化」しようとしているような感覚も覚えた。

「感染症」に対する国民感情然り、国ごとに歴史的、文化的な背景が異なることは明らかである。そのような中で、「グローバリゼーション」という名の均質的なスローガンを掲げることにどのような意味があるのだろうか。それはむしろ、「ダイバーシティ」の本来の意味からすると、真逆のベクトルなのではないだろうか......。

......などと、M大学のトイレの個室で、断続的に訪れる便意と奮闘しながら思ったりもした。

■ウルバニ医師最期の場所、B病院

ウルバニ医師の話に戻ろう。研究集会に参加するために訪泰したウルバニ医師は、そこで急に容態が悪化し、バンコク郊外にあるB病院に収容され、そのまま亡くなった――。

押谷先生から得ていた情報は、「B病院」という名前だけであった。ハノイのF病院同様、個人的に密かに訪問して、その外観を眺めるくらいのことを考えていた。しかし事前に、M大学での用務を終えた後のスケジュールの希望をSさんに尋ねられた際、B病院のことを軽く話題に出していた。すると、彼の計らいで、彼の上長(後で聞くと、タイのウイルス学会の重鎮とのことだった)からB病院に話が伝わり、なんと私のためのB病院ツアーが組まれることとなっていた。

タクシーでB病院に到着した私とSさんは、案内役の4人の女性に連れられ、応接室へと案内された。そこにはスクリーン全面に「Welcome Professor Sato」と掲示され、テーブルの上には、なんとご丁寧に日本とタイの国旗まで掲げられていた。

病院ツアーのスケジュールの説明を簡単に受けたところに、所長か副所長(やはり女性)が駆けつけた。やはり記念撮影をした後(思い返せば、バンコクではやたらと集合写真、記念写真を撮られた気がする。大抵プロとおぼしきカメラマンが同行していた)、彼女に連れられるまま、病院の中を案内される。

そして案内されたのが、「In the honor of the late Dr. Carlo Urbani」と記された銀色のプレートが掲げられた病室であった。その病室の扉の横には、ウルバニ医師の功績を讃えるため、彼のポートレートや、2003年当時の感染対策の風景をとらえた写真が、英語の説明文と共に飾られていた。

そしてその横には、「Covid 2019」という題字と共に、新型コロナとは何か、感染するとどうなるのか、どのようにして感染が広がるのか、などということが図示され、そしてそれをおそらく説明しているであろう、タイ語の文字が並ぶブースがあった。

案内してくれた女性も、2003年当時、ウルバニ医師と共にSARS対応で奮闘した医師のひとりなのだという。彼女が執筆した、当時のことやウルバニ医師の最期をまとめた論文も紹介してもらいながら、当時の話や、新型コロナパンデミックの対応の話を聞く。やはり彼女も、タイ人には、SARSの記憶と、その直後に起こったH5N1鳥インフルエンザのスピルオーバー(養鶏からヒトへのウイルスの伝播)の記憶のインパクトが大きいのだという。

ひとしきり丁寧に説明をしてくれた後、彼女は階段を昇り、ひとつ上のフロアに行くよう促した。そこには、何の掲示もデコレーションもない、「301」とだけ記された病室があった。そして彼女は、こここそが本当にウルバニ医師が息を引き取った病室なのだということを教えてくれた。

階下の部屋は、ウルバニ医師の功績を紹介し、新型コロナの解説をすることで、一般向けに感染症の知識や歴史を啓蒙するための場所なのだという。ウルバニ医師が息を引き取った病室は、隔離病棟があるフロアであったため、一般向けに公開することが難しく、このような構造になっているのだという。

とても丁寧に解説してくれた彼女と、ウルバニ医師の「本物の」病室の前でやはり記念撮影をし、握手をして、彼女はわれわれの元を駆け足で去っていった。これも後で聞いた話だが、彼女は会議に参加中だったにもかかわらず、私たちの到着の報を受けて、私たちにウルバニ医師について直接解説をするためにわざわざ会議を抜けて駆けつけてくれていたのだという。

その後、新型コロナパンデミック直前に開設されたという、真新しい隔離病棟を案内された。B病院は、タイ、バンコクでの感染症有事で最初に対応する拠点病院なのだという。もちろん今も使われている病棟だが、入院患者はゼロだった。つまりそれは、現在、新型コロナ感染症で入院している患者がゼロであることを意味する。市内の病院はどこもこのような感じらしい。

バンコクでは(すくなくとも私の訪問時においては)、新型コロナパンデミックは過去のものとなっていた。それでもなお、国民感情としての「感染症」に対する意識は高く、多くの市民は公共施設でマスクをつけている。露店で飲食店を商う人々も、汗を流しながらもマスクは外していない。

ウルバニ医師の軌跡を辿る旅路を終え、B病院からバンコク市街に向かうタクシーの車中、とても大きな公共施設が視界に映った。Sさん曰く、バンコクの新しい中央駅たるクルンテープ・アピワット中央駅の駅舎だという。

建物は完成していたが、新型コロナパンデミックのために開業は先送りにされ、この駅舎はワクチン接種のための大規模な会場として活用されていたという。現在はその役目を終えて、本来の中央駅としての稼働を始めている。バンコクはすくなくとも、「ニューノーマル」に向けた、たしかな歩みを進めている。

●佐藤 佳(さとう・けい) 
東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。
公式X(旧Twitter)【@SystemsVirology】

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