2023年9月、軽井沢に開催された研究集会に、イギリス、ドイツ、アメリカから研究者たちを招いた。前列は私のラボメンバーたち2023年9月、軽井沢に開催された研究集会に、イギリス、ドイツ、アメリカから研究者たちを招いた。前列は私のラボメンバーたち

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第14話

「研究者」という職業は、巷で言われるほど陰鬱としたものではないーー。13話に続いて今回は、佐藤氏から見た「研究者」という職業の楽しさや魅力のありのままを綴る。

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■「沢木耕太郎の『深夜特急』を読め」

高校時代の古文の教師だったS先生の教えにしたがい、日記をつけるようになったことは前話(13話)で紹介した。

日記をつけることに加えて、S先生がもうひとつ、私に薦めたことがある。それは、「沢木耕太郎の『深夜特急』を読め」、ということであった。その理由も今となっては知る術もないが、やはりそれに律儀にしたがった私は、すぐに近所の本屋に行き、その文庫本を買った。そしてすぐそれにのめり込んだ。

「深夜特急」が海外旅行の原体験であり、憧れであるという人は少なくないと思う。私もその例に漏れず、破天荒に海外を旅するさま(そして、それをみずみずしい文章で表現するさま)にただ憧れた。

大学生になると、バックパッカーとして、イギリスを2週間かけて鉄道で反時計回りでぐるっと一周したり、JRの青春18きっぷを使ってめちゃくちゃな旅をしたりもした。

例えば、青春18きっぷと1万円札だけ持って(着替えのTシャツとパンツをひと組とタオル、タバコは持っていた記憶がある。携帯電話はもちろんなし)、私は南回りで、友人は北回りで電車を乗り継ぎ、4日後に新潟県のxx駅で合流、とか。

もちろんホテルには泊まれないので、上野駅、甲府駅、富山駅の前で野宿をした。こういうのは田舎で育ったあるあるなのかもしれないが、要は「深夜特急」を読んだことを原体験として、「とにかくどこかに行く」ということに憧憬していたのだと思う。

ちなみにこの青春18きっぷの旅の余談だが、4日後に新潟県のxx駅で合流した際、私の所持金は数百円しか残っていなかった。しかし、北回りで旅した友人は、次の町ですぐに1万円をパチンコに注ぎ込み、それを3倍以上に増やし、悠々自適な旅路を辿っていた。

有り余る彼の残金で、牛丼屋で豪遊し、日本海の海岸でふたり安らかな眠りについたのをよく覚えている。ちなみにこの友人とは、私が京都の大学院に進学してから疎遠になっていたが、つい数年前、都内の公園で偶然ばったり再会した。

国内外に出張に出かけたときの私のスタイルは、結局この原体験そのままな気もしている。国内外問わず、学会などで知らない街に行くと、観光地や博物館巡りはよそに、いちストレンジャーとして、その街を特に目的もなく散策することが多い。

その国、その街のごはんを食べる、ビールを飲む、スーパーで買い物をする。ホテルにキッチンがついていれば、スーパーで買い込んだ食材でパスタを作ってみたりする。そして、普段とは違う環境で論文を書いてみる。特別なことをするわけでもなく、そこにある日常のような生活をすることを好む傾向にある。

■巷で言われるほど陰鬱としたものではない

今回のコラムはだいぶとっ散らかった感じになってしまったけれど、読者の方々、特に若いみなさんには、私のコラムを読んで、「研究者」や「アカデミア(大学業界)」について、少しでも明るく楽しく自由なイメージを持ってもらえたら嬉しい。

「誇張なく事実に基づいた、研究者の『明るく楽しい日常』とそのエピソードを紹介する」というのは、私がこのコラムを連載する上でのひとつのテーマでもある。

「研究」はたしかにうまくいかないことが多いし、しんどいことも多いのは事実である。給料が低いとか職が安定しないとか、「アカデミア」にはどうしても暗い噂がつきまとう昨今である。しかし、つらいことばかりでは決してないし、「研究者」という職業は、巷で言われるほど陰鬱としたものではない。

そもそも「アカデミア」とは、「業種・業界」を指す言葉である。私のようなウイルス学者だけではなく、デジタルネイチャーな人や、恐竜の化石やバッタ、外来生物や中東の地政学を研究する人も、十把一絡げに形容する用語であるので、その良し悪しを評するにはいささか広すぎる言葉だと個人的には思っている。

研究分野によっても空気や環境、待遇は違うし、さらに言えば、研究室単位でもその雰囲気や境遇は全然違う。ハッピーなアカデミアライフを送っている人はたくさんいるが、彼らは特にそれを発信しない。あえてそれを能動的に発信するメリットも必要性もないからだ。

対して、アンハッピーなことは愚痴として能動的に吐き出されるので、それが噂の「核」となり、いろいろな「衣」を纏うことによって、陰鬱としたイメージが作られていく。そういう構図なのだと思っている。「だから愚痴を言うな」と言うつもりはもちろんないが、噂とはそうやってつくられていくものだ、という原理だけは理解してもらえたらと思う。

感染症研究の重要さはもはや説明不要だろう。私の研究室を含め、G2P-Japanに参加する研究室に陰鬱な影はない。そして、これからの感染症研究には、比較的多くの、かつ長期の研究費がつく傾向にあるはずだし、その社会的重要性から、感染症研究のアカデミアのポストはいま、かぎりなく売り手市場になっている。

つまり、優秀な若者が職にあぶれる、というようなことはなく、むしろやる気さえあれば、研究に好きなだけ打ち込める環境は整っていると言えると思う。

噂されるのは悪い話ばかり、青く見えるのが隣の芝生、である。「アカデミア」に関して出回る噂のほとんどが極端なレアケースを基にした「各論」であり、それが業界全体を反映した「総論」であることはほとんどないのではないだろうか。

たとえば、ある研究室のひとつの事例に関する噂話が、まるで「アカデミア」全体をあらわす悪例のように広まっているのをたまに目にするが、それはあまりに暴論のように思う。

何にプライオリティを見出すかはもちろん人それぞれだが、すくなくとも私の境遇から思うこととしては、「基本的に生活スタイルの自由度がめちゃくちゃ高い」というのは、「アカデミア」のひとつのアピールポイントなのではないかと思う。

私はスーツを着るのがあまり得意ではないが、それを毎日着なければならない義務はない(夏はTシャツ短パンがデフォルト)。髪型や風貌で教育的指導を受けたこともない(いつかはどこかで風紀的な指導が入るのだろう、と思いながら日々過ごしていたが、結局そういうことはなく、そのまま教授になってしまった)。

そういう、「目に見えないところから感じる暗黙のストレス」みたいなものが、「研究者」という職業にはとても少ないように思う。そして何より、繰り返しになるが、国内外のいろいろなところに出張で行けるし、海外に友達がたくさんできる。

海外の研究者たちと交流。左上はアメリカ・ニューヨーク、左下はアメリカ・ミネアポリス、右のふたりはスコットランド・グラスゴーで海外の研究者たちと交流。左上はアメリカ・ニューヨーク、左下はアメリカ・ミネアポリス、右のふたりはスコットランド・グラスゴーで

私は基本的に我慢強くないわがままなタイプなので、もしこの職業が本当につらいことばかり、暗いことばかりであったら、そんな仕事はとうに辞めていると思う。そうでないということは、楽しいし、やりがいがちゃんとある、ということである。

基本的に研究者という職業は、楽しくてやりがいがある、夢のある職業であると思うし、この職を志してよかったと心から思っている。そしてそれを志す若者が、これからもっと増えてくれたらと願っている。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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