「パンデミックの終わり」というのは、雨上がりの雲間から少しずつ光が射し始めるようなものかもしれない 「パンデミックの終わり」というのは、雨上がりの雲間から少しずつ光が射し始めるようなものかもしれない

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第26話

パンデミックの終わりとは何なのか? 年の瀬の節目に、ここ数年のことを振り返り、「感染症」という厄災について考えてみる。

* * *

■ジョージの名曲といえば

「Spotify」という音楽ストリーミングサービスがある。ある夜、ビートルズの「最後の新曲」たる「Now And Then」を特集したテレビ番組を見ていたら、ビートルズの「Here Comes The Sun」という曲が、このストリーミングサービスでの再生回数が10億回を突破したビートルズの初めての曲になった、ということを紹介していた。「Let It Be」や「Yesterday」、「Help!」などの誰もが知るような有名曲を差し置いて、である。

「Here Comes The Sun」は、213曲といわれるビートルズが発表した楽曲のひとつであり、1969年に発表された最後のアルバムである『アビーロード(Abbey Road)』(メンバー4人が並んで横断歩道を渡っている、あの有名なジャケットのやつ)の7曲目に収録されている。

もうすこし蘊蓄を語らせていただくと、一般に「ビートルズ」と聞いて思い浮かべるのは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーのふたりだと思う。実際、ビートルズのほとんどの楽曲が「レノン&マッカートニー」名義になっていることからも、このふたりが中心メンバーであったことは明らかである。

しかしこの「Here Comes The Sun」という曲は、ジョージ・ハリスンの作曲で、彼自身がリード・ヴォーカルをつとめている。いくつかあるジョージの代表曲のうちのひとつであり、繊細なギターストリングスのイントロから曲が始まる。

■一年を振り返るときに聴く曲といえば

閑話休題。年の瀬ということもあり、今年一年を振り返ったりしてみている。やはり今年もいろいろなことがあった。総勢20人以上に拡大したラボの運営や研究費の獲得に奔走したり、論文を発表したりするのはもちろん、海外出張にもたくさん行ったし、研究集会を新たに立ち上げたりもした。そして、研究者のキャリアとしてはかなり変則な類のものだが、週プレNEWSでコラムを連載するようにもなった。

年の瀬に一年を振り返るとき、ここ数年必ず思い返されるのは、2020年の終わり、G2P-Japan結成前夜の頃のことである。年の瀬になると、斉藤和義の「2020 DIARY」が無性に聴きたくなる。そしてそれを聴くと、「ああ、2020年の大晦日には、これを聴きながら風呂掃除をしていたなあ...」なんていうようなことが思い出されたりもする。

ゆるいアコギとベース、ハーモニカのイントロを経て、

緊急事態宣言が始まったばかりの頃 
僕はずっとガレージで ギターを作ってた 

という歌い出しから始まるこの曲は、パンデミックの始まりの頃の世相をよく描出するのと同時に、いつかきっと訪れるであろう「マスクを外して抱きしめ合える日」まで、みんなで手を取り合って頑張ろう、という静かなエールを謳っている。

■ほかの自然災害との違い

年の瀬というある種の節目に、ここ数年、つまり、新型コロナパンデミックを振り返ってみたときに、あることに気づいた。

地震や台風などの自然災害の場合、折々に当時を振り返って、「あれからXX年...」みたいな追悼番組が組まれたりして、当時の記憶を呼び醒ますことが通例となっている。

あるいは、人災である戦争の場合であっても、本邦では毎年8月15日の終戦記念日の正午に黙祷をするように、節目の日にその災禍を振り返ることは慣習となっている。広島と長崎に原爆が投下された日の平和祈念式典もそれに当たる。

しかし、感染症の災禍には、なぜかそれがない。「何月何日」という節目となる日付がないからなのか、「早く忘れたい」という世論の後押しなのか、それとも「あえて振り返りたくない」というような、「臭い物にはフタをして密封してもう二度と開けたくない」という大手既成メディアなどの思惑なのか、その理由はよくわからない。

その理由をすこし考えてみたが、もしかすると感染症の場合には、「あの厄災を二度と招かないために」という、一般性のある教訓めいた「物語(ナラティブ)」を提示することが難しいからかもしれない。

感染症も、自然災害のひとつである。ほかの自然災害の場合には、遺族や被災者に焦点を当てた「物語」が語られることが多々あり、それが教訓の提示にもつながっているのだと思う。しかし、感染症の場合には、そのような「物語」が提示されることはやはりほとんどない。

パンデミック真っ只中のときには、大手既成メディアはそれこそ毎日のように、災厄のど真ん中で苦しんでいる方々の「物語」を紹介していたのに、今となっては過去のそれを振り返り、辿ろうとはしない。

■パンデミックの「終わり」とは

つまりそれは、感染症という災厄の場合には、後世に語り継がれるような「物語」が成立しづらい、ということを意味している。それはもしかしたら、感染症の災禍には、節目となる「日付」がないだけではなくて、「試験が終わった!」というような、明確な節目となる「幕引き」が用意されていないからかもしれない。

世界保健機関(WHO)による「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」の解除や、感染症法5類への移行、あるいは、誰かによる「マスクを外そう!」というシュプレヒコール。それらが「(パンデミックの)おしまい!」という宣言であるかのようにメディアが人々に訴えかけたとしても、人々の深層心理は、それをそのまま「終わった!」という開放感につながるメッセージとしては捉えられないのかもしれない。

「パンデミックの終わり」というのは、たとえるなら、雨上がりの雲間から少しずつ光が射し始めるような、あるいは、冬眠を終えた熊が、洞窟の中からおそるおそる手探りで外界の様子を伺いながら外に出てくるようなものなのかもしれない。

つまり、終わりゆく冬を尻目に、訪れる春を待ち侘びるような、そのような形で、「パンデミック」は明けていくものなのかもしれない。

最初の話に戻って、ビートルズの「Here Comes The Sun」という曲は、コロナ禍の中、医療従事者や患者さんなど、みんなを励ますための曲として頻繁に流されていた、ということを伝えるウェブ記事を見かけた。

そのようにして世界中で広く聴かれるようになった曲が、世界で最も再生されたビートルズの曲になり、今年(2023年)の5月に、再生回数が10億回を突破した。ちょうどWHOが、新型コロナのPHEICを解除したタイミングと一致する。

ジョンとポールの影に隠れがちなジョージ。彼が50年以上前に作ったこの曲が、コロナ禍の終わりを暗喩するような曲を歌っている、というのもなんだか味わい深い。

...と、そんな経緯を知った上で、この年の瀬に、ネットで探した和訳を読みながら、ぜひこの曲を聴いてみてほしい。沁みます。

Little darling, the smiles are returning to their faces 
Little darling, it seems like years since it's been here 

Here comes the sun 
Here comes the sun, and I say 
It's all right 

(以下、筆者対訳) 
ねえ、みんなに笑顔が戻ってきたよ 
こんなのは何年ぶりだろう 

太陽が昇る 
太陽が昇る、だから僕は言う 
「もう大丈夫」

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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