論文が学術誌に掲載されるには年単位の時間を要することもザラ。新型コロナの変異株の研究をこうしたスタイルで進めたら...? 論文が学術誌に掲載されるには年単位の時間を要することもザラ。新型コロナの変異株の研究をこうしたスタイルで進めたら...?

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第29話

新型コロナのパンデミックは、「ニューノーマル」と呼ばれる新しい生活様式だけではなく、アカデミアの活動様式にも影響を与えた。しかしそもそも、「アカデミアの活動」とは一体どのようなものなのか?

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■新型コロナパンデミックが「アカデミア」に与えた影響

新型コロナパンデミックは、世界のいろいろな物事を変えた。「感染症」なので、人々の健康にはもちろん甚大な影響を与えた。またそれに付随して、世界経済にも計り知れない大打撃を与えた。

負の影響が大きいことにはもちろん間違いないが、その中で(副産物的に)生まれた新しいものもある。「ニューノーマル」、あるいは「新しい生活様式」と呼ばれるようなものだ。例えば、「テレワーク」という新しいワークスタイルが生まれたことによって、職場に行かなくとも仕事ができるようになった。

フードデリバリーの普及もそのひとつだろうし、そしてなにより、私たちの「G2P-Japan」というコンソーシアム型の研究活動スタイルも、ある意味では新型コロナパンデミックによって副次的に生まれた産物ともいえる。

そして、新型コロナパンデミックは、「アカデミア(大学業界)」の活動様式にも大きな影響を与えたと思っている。具体的には、研究成果を論文としてまとめるまでのプロセスが激変した。

これはすべてのジャンルの研究に当てはまることではないと思うが、少なくとも、パンデミック最中の新型コロナに関係する重要な論文は、通常の論文掲載までのプロセスを経ることはほとんどなかったのではないかと思う。

■そもそも「論文」「学術誌」とは?

本題に入る前に、通常の論文掲載までのプロセスを簡単に説明しようと思う。

まず、時間をかけて丹念に集めたデータを、起承転結の形式をまとったひとつの物語の形式にまとめる。これが「論文」である。それを、「学術誌」と呼ばれる、論文を掲載する雑誌に投稿する。

この「学術誌」にもランクがある。メディアの報道でもよく耳にする『ネイチャー』や『サイエンス』という学術誌は、その世界でも最高峰の、ダイヤモンド級の研究成果のみが掲載される。そのような学術誌は、「トップジャーナル」、あるいは「一流誌」などとも呼ばれる。

しかし、科学の成果とはもちろん、そのようなダイヤモンド級なものばかりではない。一般的なインパクトは薄くとも、専門の業界では重要な、ニッケルや鉛のような研究成果もある。そのような研究成果は、「専門誌」と呼ばれる、その分野に特化した学術誌に掲載される。ウイルス学の場合には、『Journal of Virology』という雑誌などが、それに該当する。

これはここでは余談になるが、学術誌のランクの付け方や研究成果の評価方法についても、実はいろいろな意見や観点があり、なかなかにややこしい。たとえば、「新しい惑星の発見」と「未知の遺跡の発見」に貴賎をつけることはできないように、研究成果の貴賤を議論することはとても難しく、またセンシティブな問題でもある。

これはこれでとてもややこしい問題なので、ここではあえて深掘りせず、機会と需要があれば、将来この連載コラムでも取り上げてみたいとは思っている。

■科学の「論文」が世に出るまでのプロセス

話は戻って、論文掲載までのプロセスの話。

論文を学術誌に投稿すると、ほとんどの場合、「レビュアー(査読者)」と呼ばれる人に転送され、査読、つまり審査が行なわれる。公正な審査のため、レビュアーは基本的に匿名で扱われるが、それはほとんどの場合、同業者、つまり、論文を書いた人と同じ業界にいる科学者である。

このような同業者による審査の方法を「ピアレビュー(peer review)」と呼ぶ。学術研究は専門性が高いことが多いため、門外漢にはその意義や価値を正しく評価できない場合が多い。そのため、このような審査形式が一般的になっている。

この審査システムには、とにかく時間がかかる。論文を投稿してから審査結果が返ってくるまで、数ヵ月かかることはザラである。さらに問題なのは、審査の結果、「受理できません」という結果が出ることもよくある。

そうなると、その論文はまた別の学術誌に投稿し直しになり、また数ヵ月の審査を経る、ということになる。学術誌は実は無数にあるので、ちゃんとした体裁のちゃんとした内容の論文であれば、最終的にはどこかの学術誌に掲載されるのが一般的であるが、とにかく論文の審査には時間がかかるのである。

そしてさらに大変なのは、この「査読」という審査で、一発OKが出ることはまずない。大抵の場合、「ここを修正しなさい」とか、「これを言及するにはデータが不充分だから、それを示唆するための追加の実験をしなさい」という、修正が求められる。

この行程を「リバイス(改訂)」と呼ぶ。そこで要求されたことに真摯に対応し、修正を施した論文を同じ学術誌に再度投稿し、再度審査を受け、指摘通りに論文が修正されていることが確認されたら、その論文は晴れて「アクセプト(採択)」となる。

その後、英文校正や体裁のチェックが入り、晴れて論文が学術誌に掲載されて、世に出る、というわけである。ちなみに最近は、実際の冊子・雑誌として出版されるのではなく、「オンラインジャーナル」と呼ばれるものが、ウェブやPDFファイルで閲覧可能になる場合が一般的である。

論文投稿から「アクセプト」までのこの一連の行程は、運が良ければ数ヵ月くらいで完了することもあるにはあるが、年単位の時間を要することもザラにある。要は、アカデミアの主な仕事は「研究成果を論文として発表する」ことにあるが、それにはとても時間がかかる、ということである。

それでは、パンデミックの中で、新型コロナの変異株についての研究をこのようなスタイルで進めたらどうなるか? ここまで説明すれば、賢明な読者の方々にはもうおわかりだと思う。

その論文が晴れて世に出る頃には、その論文で調べた変異株は、世界から消えてなくなってしまっているのである。(中編に続く)

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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